本書はユニークなアプローチを取っている。歴史上の人物を取り上げ、伝記や小説に仕立てるのではなく、そこにビジネス論を含めているのだ。つまり、本書はビジネス書と小説のハイブリッドといえる。

本書の主人公は上杉鷹山公。歴史上の人物でしかない上杉鷹山公の事績を、伝記とビジネスのハイブリッドで迫れるのも上杉鷹山公が単なる歴史上の人物ではないからだ。故ケネディ米大統領が尊敬できる日本人として挙げた人物。それが上杉鷹山公である。

上杉鷹山公は名字からも分かるように上杉家の方である。上杉家といえば軍神として知られる上杉謙信公が良く知られている。群雄割拠の戦国時代を駆け抜けた謙信公も病に倒れ、それから信長、秀吉、家康へと権力者は移り変わる。上杉家も謙信公から景勝公へと代替わりし、滅亡の憂き目を見ることなく、時代の波を乗り切った。しかし上杉家も無傷ではすまなかった。豊臣政権下では五大老の一人として名を馳せたが、越後から会津へ移封される。会津藩では120万石の大藩であったが、関ケ原合戦で東軍に敵対したため、30万石の米沢藩に転封されてしまう。しかし謙信公からの名藩意識は容易には抜きがたく、石高120万石の大藩意識を引きずったまま江戸時代を凌ごうとする。参覲交代に普請奉仕と幕藩体制にあって出費は嵩む一方。それなのに、1/4に石高が減らされたにも関わらず、人員は120万石の体制を抱えたまま。そんな訳で鷹山公が藩主に就いた頃は、藩籍奉還、つまりは藩を幕府に返上することを画策するまでに追い詰められていた。

しかし幾多の困難を経て果敢に改革を断行した鷹山公は米沢藩を再生させる。莫大な借金を完済したのは鷹山公の次々代であったが、その功績は間違いなく鷹山公にあるといってよい。

日本人は世界でも稀なメンタリティーを持っていると言われる。それは個人の意思よりも集団の意思を重んじる心性だ。それは長所であるが、こと改革を行う上では短所となり枷となる。外圧なく自己変革を成し遂げた事例が稀な我が国において、内側から変革を成し遂げた所に鷹山公の凄さがある。しかも鷹山公は日本人とかけ離れたメンタリティーを持っていたわけではない。むしろ人一倍日本人の心性の持ち主だったと思われる。つまり、鷹山公が成したことは、今の日本を変える上で大いなるヒントとなるのだ。

財政難とプライドに絡め取られて二進も三進もいかず、跡継ぎもない米沢藩。そんな落ち目の藩主として、宮崎の高鍋藩秋月家から養子として入ったのが鷹山公。若く、人脈もなく、経験も足りない鷹山公。しかし、鷹山公は自らの弱点を冷静に受け入れ、その上で素直に忠言を聞き入れる度量を備えていた。また、目的へのビジョンやそのために率先して自らが為すべきことも弁えていた。そして、何よりも覚悟を持っていた。

鷹山公の改革は江戸から始まる。手始めに対象となったのは、本国から疎んじられ江戸藩邸に遠ざけられていた士、改革を志す人々。彼らをまず鷹山公は味方につける。打算でなく改革への意志をもつ故に江戸に追いやられた志士達。彼らこそ藩の改革に欠かせない人物として登用する。その上で鷹山公は、まず彼らに対して改革へのビジョンを語る。語る言葉の内容に曖昧さが含まれていれば逆効果。改革の士達は新たな若き藩主を見限ってしまうことだろう。しかし、そこで鷹山公が語ったとされるビジョンには、以下の要素が含まれていたという。

何がしたいか・・・・理念・目的の設定
どこまで出来るか・・・・限界の認識
なぜ出来ないか・・・・障害の確認
どうすれば出来るか・・・・可能性の追求

上記の4項目は、文中においてもその形のまま箇条書きで記述されている。ここが本書の特徴だ。小説の体裁を取りながら、ビジネス書の風味が実に濃厚なのだ。通常の小説ではこのような書き方はしない。しかし、このような書き方によって読者の理解を助ける点に本書がビジネス書である所以がある。

小説の場合筋を追う事に没頭するあまり、ビジネスに活かすためのヒントを読み流してしまう。が、上に箇条書きで書いた4項目は、鷹山公の改革へのとば口である。ここを読み飛ばすことは、鷹山公の改革の根本を見逃すことに等しい。本書がビジネス書の体裁を濃厚に備えているのは、鷹山公の事績を通じて、現代の経営に役立つ重要なメッセージを余さず取り込むためである。この4点はビジネスにあってもプロジェクトにあっても無意識に考えるはずの事項だからだ。

続いて鷹山公は、本国へ出立する。藩士に対して自己の改革の意思を明確にするために。本国では、全藩士を城の大広間に集めるという前例のない行動によって自らの意思を直接全藩士に伝える。著者はそこで読み上げたメッセージもビジネスに活かせるよう箇条書きにまとめる。

実態の報告
方針の明示
自己の限界明示
協力要請

上記4項目を達成するために、

情報の共有
討論のすすめ
コミュニケーション回路を太く短く設定する
トップダウンとボトムアップを滑らかにする

といった具体的な策を著者は書き記す。江戸時代の文章をそのまま提示したのでは、今の多忙なビジネスマンの心には届かない。そう意図したのだろう、著者は現代文に書き下した上で箇条書きにして記載する。念には念を入れて。

以下、本書は鷹山公の改革をつぶさに紹介する。その内容は実に先進的であり、封建社会の江戸時代に為された施策であるとは俄かには信じられない程だ。私自身、鷹山公の事績についてまとまった本を読むのは本書が初めてだ。そのため、鷹山公の行った施策を詳しく知れば知るほどその内容には驚くばかり。江戸時代ばかりか日本史上における名君として外国の大統領からも尊敬を受ける理由も分かる気がする。

もともと本書を読んだのは小田原市で開催された第8回嚶鳴フォーラムがきっかけである。誘ってくれた友人と一緒に出掛けた嚶鳴フォーラムは、全国の自治体、それも郷土ゆかりの偉人を擁する自治体の首長が一堂に会し、互いの偉人を紹介し合い、その叡智に学ぶのが主旨だ。第8回の会場が小田原だったので全般的には二宮尊徳公が取り上げられていた。だが、嚶鳴フォーラムには参加自治体が地元ゆかりの偉人を紹介する時間もきっちりと設けられている。当時の安部米沢市長もその一人として登壇され、上杉鷹山公の事績を紹介して下さった。それで改めて鷹山公に興味を持ったのが、本書を手に取った理由だ。

士農工商穢多非人という身分差別がまかり通っていた江戸時代にあって、身体障害者を始めとした弱者の命は現代とは比べ物にならないくらい軽視されていたことだろう。しかし鷹山公は藩内の身体障害者に対する虐待禁止を打ち出したという。また、出生直後の乳児を殺してしまう間引き。これも当時はよく行われていた風習らしいが、鷹山公によって禁止されている。また、自助、互助、扶助を三位一体として弱者への福祉に力を入れたという事績も伝わっている。姥捨山や間引きなど、弱者にとって生きにくい世。それが江戸時代であった。そんな中、このような政策を打ち出した鷹山公の先進性には驚きを禁じ得ない。また、鷹山公に輿入れした幸姫が、小児脳性麻痺の障害者だったことも付け加えておかねばならない。幸姫を受け入れた度量があってこそ、福祉政策に理解があったのかもしれない。

本書で挙げられた改革の全ては資金あってのものだ。そして米沢藩とは債務超過藩として名を馳せた藩である。では乏しい資金の中、どうやって鷹山公は改革を成し得たのか。それは、殖産政策による収入の増加に励んだからである。収支のバランスが崩れた場合、普通は支出から先に削る。しかし鷹山公が改革に着手した当時の米沢藩の財政状態は、生半可な経費節減策では焼け石に水であった。それほどまでに追い込まれていたのが米沢藩だ。そのため、鷹山公は支出の削減と同時に収入の増加という二方向で改革を進めた訳だ。

殖産政策として特筆されるのは、武士を農商業の作業に向かわせたことだ。士農工商の身分社会にあって、武士が農商業に手を染めることに対する反発は相当だったらしい。武士だけでなく奥方始め家族にもその対象は及んだというのだから徹底している。

では、武士を農商業に向かわせたことによって何が変わったのか。それは仕事のための仕事、報告のための報告が一掃されたことだという。そのような生産性ゼロの仕事に従事するくらいなら、作物を植え畑を開墾する農作業に使ったほうが余程生産的。結果として鷹山公の指導の下、武士たち自身も荒れ地を開墾し、新田開発を担ったというから奮っている。いわば武士に対する意識改革の達成であり、謙信公からの大藩意識の革命でもある。

鷹山公の改革を見てみると、形式主義の一切を否定していることがわかる。〜だからだめ。〜だからできない。それでは改革は進まない。そのような思い込みが組織を硬直化させ、改革の芽を摘む。それは現代においても思い当たることばかりだ。

しかし現代においても抵抗勢力はいる。過去においてもそれは同じ。自らの生まれ育った文化を捨て去ることへの抵抗は思いのほか大きい。成果が見え始めれば尚の事、抵抗勢力にとっては自らの存在意義が失われることを意味する。そんな抵抗勢力による反撃が鷹山公を襲う。それは反対派の重臣たちによる藩主軟禁。寸でのところで改革派の重臣達の機転で辛くも逃れることに成功した。

ここで鷹山公が示した抵抗勢力に対する処罰。この処置もまた鮮やかなものであった。むしろ、この処罰によって鷹山公の名声が後世に残ったのかもしれない。一定の改悛期間を与え、それでも悔い改めぬ者に対して死罪を含めて厳畯な対応を行う。単に優しいだけでは民も家臣も付いて来ない。藩主として改革を示すだけではだめなのだ。それだと家臣は面従腹背の態度を身に付けてしまう恐れがある。いざとなれば改革のためには部下すら切り捨てるだけの覚悟。その覚悟を懐中に潜ませ、いざという時には伝家の宝刀として抜く。そういった凄みを漂わせた者にしか改革は成し得ない。私自身、この点がまだまだ足りないと自覚している。今後の課題として、鷹山公が成した処分の詳細は肝に銘じておきたい。

また、さらに難しいのは功遂げた家臣が堕落した時の毅然とした対応だ。功臣だからといって甘い顔を見せると、改革の成果は一気に瓦解する。鷹山公の場合、藩主就任の初期から改革を共にした竹俣当綱に対する処分がこれに相当する。不要な企業功労者は処断せよ、と著者は言う。功臣といえども権力を握ると錯覚を起こし堕落に走る。起業家ならずとも肝に銘じておくべきことだろう。

最後に著者はリーダーに必要なのは、次代の後継者へ改革を伝えること、という。鷹山公はその点も怠らなかった。伝国の辞を作り、後継者に託したのだ。そこには藩主たるもの、国家と人民のために存在しており、国家や人民が藩主のために存在しているのではない、と書かれていたらしい。封建時代の藩主の言葉とはとても思えない先見性は、ここでも見られる。

エピローグにおいて、著者は鷹山公が自身の改革の本質を機関に見立てていたのではないかと指摘している。つまり属人的な政治ではなく、普遍的で恒久的な機関である、と。鷹山公が仮に亡くなったとしても、藩が機関であれば改革は継続して成し遂げることができる。では、機関がその根底に持つべき思想とは何か。それを著者は愛という言葉で表す。他人への労り、思いやりを持ち続けてこその愛。しかしこのことを実践するのは難しい。しかし、やらねばならないのもまた事実。会社のトップとして、家長として。努力せねばならないことは私自身まだまだある。

本書は何度も折に触れて読み返そうと思う。鷹山公が成し遂げた改革を自らの血肉としていかねばならない。得難い本である。

‘2015/04/13-2015/04/13


コメントを残して頂けると嬉しいです

読ん読くの全投稿一覧