本書を読む前の年、2015年の秋に妻とホキ美術館を訪問した。ホキ美術館とは千葉の土気にある写実絵画専門の美術館だ。

もともと私は写実絵画に関心を持っていた。そんなところに誘われたのが日向寺監督による映画「魂のリアリズム 画家 野田弘志」。私の友人が日向寺監督の友人と言うこともあってご招待頂いた。この映画からは期待を遥かに上回る感銘を受けた。(レビュー

2014年の夏に観たこの映画をきっかけに写実絵画にますます興味を持った私は、ホキ美術館の存在を知る。ホキ美術館は日本で唯一といってよい写実絵画専門の美術館だそうだ。それ以来、行きたいと願っていた。

そんなところに、妻がホキ美術館に行きたいと言い出した。テレビ番組でホキ美術館が取り上げられているのを観て行きたくなったらしい。これ幸いと、妻とともにホキ美術館に訪れた。本書は美術館の売店で図録代わりに購入した一冊だ。

ホキ美術館には、ホキ美術館創設者と館長のお眼鏡にかなった写実絵画が数百点飾られている。そのほとんどが我が国の写実画家による選りすぐりの作品だ。海外作家の作品はほとんどない。それでいてこれだけレベルの絵画が集められたこと。それは我が国の写実画家の裾野の広さとレベルの高さを表している。

実際、ホキ美術館に陳列されている作品にはただただ圧倒される。少し離れると写真と見まごうばかりの作品も、間近にみると筆跡が認められ、写真とは違う手仕事であることがわかる。「魂のリアリズム 画家 野田弘志」は、野生の鳥の巣とその中に産み落とされていた卵を写実的に再現した大作「聖なるものⅣ」の製作過程を中心に話が進む。スクリーンの中で映し出された製作過程からは、凄まじい根気と集中力が伝わってくる。野田氏による「聖なるものⅣ」はスクリーンで克明に観られる。とはいうものの、あくまで作品はスクリーン越しにしか観られない。そしてそれは撮影監督が向けるカメラの角度とタイミングによって切り取られる。観客が望む角度と時間で観られないのだ。ホキ美術館にはこの「聖なるものⅣ」が飾られている。もちろん好きなだけ観賞できる。しかもホキ美術館に陳列されている他の作品も「聖なるものⅣ」に匹敵するレベルの作品だ。が他にも多く陳列されている。そのレベルは、我が国の写実絵画の到達点を示しており、ひたすら圧倒されるばかりだ。

「聖なるものⅣ」が飾られているのはホキ美術館のギャラリー8。ここには、我が国の著名な写実画家十五人の代表作が一点ずつ飾られている。

本書には、ギャラリー8に代表作を展示する十五人のうち十四人による写実絵画についての考えや哲学、技法について語ったインタビューを軸に構成されている。

始めて写実絵画に触れた方が思うのは、このような事ではないだろうか。
「で、写真とどう違うの?」
白状すると、「魂のリアリズム 画家 野田弘志」を観る前の私の心にもそんな疑問があった。写実絵画の技術的な素晴らしさは理解できても、その芸術性についてはよくわかっていなかったのだ。しかしその疑問は、「魂のリアリズム 画家 野田弘志」で製作の現場を見聞きし、ホキ美術館で現物を目にし、そして本書で他の写実画家たちの肉声を通じて払拭される。

実際のところ、作家によっては現物をみてキャンバスに写し取る方だけではなく、写真をモチーフとして写実絵画を書く方もいらっしゃるようだ。「魂のリアリズム 画家 野田弘志」でもそう。野田弘志氏からして、写真を補助素材として使用しているのだから。「魂のリアリズム 画家 野田弘志」では鳥の巣の卵の写真を基に「聖なるものⅣ」を描き進める野田氏の姿が映っている。

そうなると、写実絵画と写真の違いはますます不明確になってゆくばかりだ。

その疑問を払拭する考えを本書の中で幾人もの画家が述べている。彼らによると、写真に現れた風景を素材としても、写真にはないマチエール(素材感)を出せるのが写実絵画の魅力だという。確かに質感や遠近感、陰影など、平板な写真には出すことのできない画家としての味わいが写実絵画にはある。

それは、ホキ美術館で写実絵画を間近で観ると良く分かる。写実絵画をごく近くで観ると、そこには明らかに画家の作為の跡がある。筆遣いや塗りムラ、筆圧や絵具の盛りなど。こういった細部で見ると明らかに絵であるのに、少し離れるとそれは写真と遜色のない風景が再現されているのだ。しかも写真に写し取られた平板な現実ではなく、画家の目を通した立体的な現実がある。カメラのレンズと画家の目の立体感の違いについては、本書でも幾人の画家が言及していた。

結局のところ、鑑賞者にとってもっとも安心できる写実とは、自分の目に映る現実に近い像なのだ。そして、どれだけ写真の解像度が上がろうとも、写真とは所詮は細かいドットの集合に過ぎない。つまり、自分の目に映る現実の代替としては、写真は究極のところで成り得ないのだ。写真の技術がどれだけ精細を究めようとも越えられない一線がそこにはある。

写実画家とは、越えられない一線には最初から挑まない。それよりも他のアプローチで現実に迫ろうとする。人間の目と脳の認識に忠実であろうとした写実絵画は、技術主体ではなく人間主体の芸術を目指していると思う。本書に載っている写実画家の方々の言葉から、そのような哲学を感じ取った。

私はダリの絵には感銘を受けたが、一方でピカソの抽象画にはゲルニカを除けばあまり感銘を受けない。抽象画とは、目に映らない意識の世界だ。あえてデッサンを狂わせた抽象画は、目に映る景色をスキップして脳の混沌とした無意識に直接訴えかける。一方の写実絵画は目に映る景色をそのまま受け止める。だが、目から意識への伝達や技法も含めた部分で勝負する。一見すると目に映る景色を題材としているがために、視覚と質感に画家の技術や感性が映し出された作品は、鑑賞者を安心させる。だが、安心を与えながらも技術とセンスによってフィルタされた作品は、目に映る景色の中の質感を確かに伝えてくれる。つまり、逆の意味で脳内の視覚を司る部分に訴えかけるのが写実絵画なのだと思う。

「魂のリアリズム 画家 野田弘志」とホキ美術館と本書は、3セットで観て頂きたいと思う。どれもが写実絵画を理解するためのよい教材だ。

‘2016/04/07-2016/04/08


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