先を越された。そんな思いだ。本書を読み終えた直後に抱いた感想は、それから半年以上を経て本稿を書いている今も変わらない。

未だ道半ばの私の人生。その人生において、特筆すべき年を挙げるとすれば、1995年をおいて他にない。だからといって他の年が順風満帆だったり、起伏や抑揚のない平凡な年だった訳ではないのはもちろんだ。

大学を卒業したのは1996年。衝き動かされるように鞄一つで上京したのは1999年。結婚したのも同じ1999年。初めての子が産まれたのは2000年。苦労の末に当時の家・土地を売却、今の家・土地を購入したのが2005年。個人事業主になったのは2006年。法人化が2015年。

上に挙げたイベントは、私の人生で大きな節目となっている。むしろ人によっては人生の一大イベントとして扱われることだろう。にも関わらず、私はそれらイベントをさしおいて、1995年を自分史の筆頭に挙げる。

何故か。

それは、自分の内面と、自分を取り巻く社会の変動がリンクしたのが1995年だからである。

年明け早々の阪神・淡路大震災。以前にも書いたが、我が家は全壊し、なおかつ早朝の壊滅した街を西宮から明石へと車を駆って見届けた。それからの1ヶ月は、命の儚さや社会のもろさを心に刻むには充分過ぎる経験であり、短すぎる日々だった。

オウム真理教による地下鉄サリン事件。これもまた、当時地震の影響もあって躁状態になりつつあった私を宗教から遠ざけた。当時の危うい私にとってオウム真理教はこれ以上無いほどの反面教師となった。この事件がなければ、或いは地震後に揺れる心のまま、どこかの宗教に入信していたかもしれない。実際、大学に入ってからというもの、キャンパス内でも勧誘を受けたことが2度ほどあったぐらいなのだから。

就職氷河期の到来。1995年は私にとって就職活動の年でもあった。氷河期と言われる割には、最終面接まで到達し、調子に乗って旅行三昧に走り、全てを台無しにした。あそこで真っ当に新卒採用されていたら、私の人生航路も違う航跡を描いていたことだろう。後悔は全くないが、当時の社会状況と心の動きが私の心に乱気流を起こしたと云えるだろう。

また、Windows95の発売も忘れてはならない。といっても私の家にPCが入るのは翌96年の秋になってから。この時はまだブラインドタッチが出来る程度で、ITの世界で飯を食っていくことになろうとはつゆほども思っていなかった。しかし1995年がWindowsブームの年であったことは、私のIT技術者としての原点に大きく影響を与えているはずだ。私が芦屋市役所にアルバイトで雇われたのが1996年。ここでWindows95に親しみ、今に至るIT技術者としてのスタートを切ったのだから。

本書には、上に挙げた4つの出来事以外の様々な出来事が取り上げられている。これらを読むと、1995年が地震やサリンだけの年ではなかったことを痛感する。それら事件を著者は丹念に新聞・雑誌から拾い上げ、本書で開陳する。しかも、そのほとんどが、浮かれていた私の記憶からこぼれ落ちていたことに今更ながら気づく。

例えばラビン・イスラエル首相の暗殺。青島都知事・横山府知事の当選。都市博は中止となり、住専問題や二信組問題が世を騒がした。カラオケが全盛期で、ヒットチャートにはメガヒット曲が並び、T.Kサウンドが一世を風靡した。イチローが210本のヒットを放ち、オリックスがパ・リーグを制したのもこの年で、野茂投手が米国で旋風を巻き起こしたのも懐かしい。

これら全てを、私は22歳の若者として享受し、浮かれ、永遠に今の時間を楽しめるものと考えていた。社会人になる直前のモラトリアム最後の年が1995年。どれだけ多くの物を与えられ、かつ、取り逃したことか。昔はよかったというつもりはないが、幸せな時期であったのは確か。

著者も私と同じく1973年の生まれだという。おそらくは私と同じく青い時代を楽しみ、事件に衝撃を受けたことと察する。しかし私と違うのは、著者は本書としてきっちり1995年の総括を果たしたということだ。私とて、本書を読む2日前の1/17に震災の日の自分をようやく振り返った。が、まだ当時の社会や経済を振り返るところまでは至れていない。本稿の冒頭に書いた「先を越された」とは、私が行うべきことを著者に先に越された悔しさでもある。と同時に、同世代の著者がそれをしてくれたことに一抹の安堵も覚えた。

‘2015/1/19-2015/1/21


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