社畜のススメ。実に目を惹くタイトルである。著者と編集者の狙いが透けて見えるような。が、敢えてその挑発に乗り、本書を手に取った。

社畜。このように言われて鼻白む方は多いことだろう。私もその一人である。それどころか、社畜とは正反対の人生を歩まんと日々あがく者である。社畜的な生き方を嫌った挙句、30歳頭で個人事業主として独立し、以来8年半ほど生計を立てている。だからこそあえて、本書を手に取ったと言ってもよい。自分にとって対極にある思想ほど、自分の欠点を補ってくれるものはない。本書を読むことで、私の中で何が変わり、何が強化されるのか。そのような期待も込めて、本書を読み進めた。

会社の為に私を滅し、組織のために奉公する者。社畜という言葉には、そのような蔑みと憐みの意味が込められがちである。最近では自嘲的な意味でも、自己憐憫の揶揄言葉としても使われることが多い。いづれにせよ、社畜という語感から前向きな言葉を汲みとることは難しい。

だが、本書は敢えて「社畜のススメ」なる言葉をタイトルに選んだ。

新潮社からは、出版に当り、このような紹介文が附されている。

・・・多くの企業や職場を見てきた著者は、「社畜」でないサラリーマンこそ苦しんでいることに気づきます。若手のうちから個性や自由を求めたり、キャリアアップを夢見て転職難民になったり、安易な自己啓発書にすがったり……。

「ひとりよがりの狭い価値観を捨て、まっさらな頭で仕事と向き合う。自分を過剰評価せず、組織の一員としての自覚を持つ」
本書で提唱するのは、こうした姿勢をもつ「クレバーな社畜」です。
サラリーマンには「社畜経験」が不可欠である、本当に成長するための最も賢い”戦略”である――その理由を解説します。・・・

敢えてタイトルを逆説的にし、社畜ではない生き方をススメる。そのように穿った読み方をしたくなるほど、挑発的で無謀なタイトルである。

しかし本書で提唱される生き方は、社畜ではない生き方どころか、社畜そのものである。看板に偽りはない。ただし、社畜といっても、従順な羊のような、自我を失くした社畜をススメている訳ではない。本書でススメているのは、上の紹介文によると「クレバーな社畜」である。クレバーな社畜とは、一見すると組織に飼いならされているように見せかけ、その実、組織を利用する者、とでも言おうか。

ここに至り、早合点する方もいるかもしれない。ほら、やはりタイトルとは違い、本書は社畜ではない生き方を薦めているのではないかと。しかし残念なことにそうではない。本書で薦める生き方はあくまで社畜的なそれである。

だが、本書が俎上に上げる人種は、実は社畜ではない。料理されるのは、社畜と正反対の人種である。社畜的な生き方を拒み、自分探しに明け暮れ、組織に埋没しない自己を誇る者。つまり私のような者である。社畜という言葉に嫌悪を抱き、組織に背を向けて独立独歩の道を歩もうとする者。このような者たちを本書は糾弾し、蔑み、そして憐れむ。自分探しに拘った結果、結果としてキャリアを損ない、才能を空費させ、人生を虚しくする。社畜的でない者たちに対する本書の記述は実に手厳しい。逆に社畜的な生き方を選ぶものこそが自己を成長させ、人生を実りあるものにする、というのが、本書の主張といっても過言ではない。

上に挙げた新潮社による紹介文の冒頭にもそのような事が書かれている。社畜化する自分を恐れるあまり、会社という強大な力を持つ組織から学ぶ機会をみすみす逃し、じり貧の人生を歩む。そのような人々に対する批判とこれからの若者にそうならないため、クレバーな社畜の道をススメる。本書はそのような生き方を提唱し、分かりやすいタイトルとして社畜のススメをタイトルに掲げる。

冒頭にも挙げたように、私は8年半、個人事業主として生計を立てている。果たして私は、本書で批判される者たちなのだろうか。それとも隠れ社畜なのだろうか。または、批難圏外の人種なのだろうか。本書を読みながら、私は幾度も自問自答した。

そして結論を出した。社畜でこそないかもしれないが、社畜と同じ道を、同じだけの苦労を辿ってきたからこそ、今の自分があるのだと。

本書は、圧倒的なビジネスセンスの持ち主に対し、社畜的な生き方をススメない。むしろそういう人にはどんどんわが道を進めと背を押す。しかし大多数の人々はそのような類まれな才能を持っているわけではない。ではどうするべきなのか。それは、地道に下積みを重ねる他はない、と著者はいう。ビジネススキル、生き様、そして人生。組織と組織に生きる社畜仲間から歯を食いしばって学ぶ物は多い。理不尽さに耐え、組織の論理に揉まれる。それによってしか、あなたにとって成功の目はない。たとえそれが社畜と揶揄されようとも。それが著者の訴えたいことだと思う。

わが身を顧みるに、20代、30代、社畜的な生き方から身を背けてきたつもりだった。が、その分、随分と失敗を重ねている。そしてそのような失敗の中から、自分で学んだ事、その時々でご縁のあった同僚や先輩、後輩から教えられた事のいかに多かったか。本書ではサービス残業を推奨する箇所がある。世論と逆行した主張である。しかし我が身を振り返ると、個人事業主にとってはそもそも残業という観念がない。何があろうと納期に間に合わせるのが当然であり、場合によっては徹夜も辞さない。個人事業主だからといってなんのことはない。やはり下積みなのである。そして社畜的なのである。ただそれが組織に対する滅私奉公という形を取らず、お客様に対する想いと自分の矜持に掛かるかの違いである。俺流と独学を気取ってあがいた分、遠回りしてしまったのが私のキャリアだったのだということに、本書を読んで思い至らされた。

このことを認めるのは、実につらい。つらいし、情けない。でも、これが現実。生まれながらのビジネスセンスを持たざる者の、現状である。しかし、それが無駄だったかというと、そうではない。遠回りしたが、社畜として組織の中で頑張ってきた人に比べ、何ら引けを取ることはないと考えている。それは、組織の中で身を擦り減らす人々と同じくサービス残業をし、お客様の要望に応え、満員電車に揺られて常駐先に通いつめ、という努力をし続けてきたからと考えている。

私は本書を読みながら考えた。そして考えが上に挙げた結論に至るにつれ、自らの来し方を振り返った。その結果、本書で著者が言いたかったことが会得できたのではないかと思っている。

本書は、社畜のススメと書いてあるが、40、50代のビジネスマンに対し、社畜的なキャリアを歩めとは言わない。むしろ社畜として培ってきた経験を活かしてステップアップしろと述べている。それが管理職なのか、閑職なのか、それとも独立なのか。それは個人個人の選択の問題であろう。

ただ、最後に言っておかねばならないことがある。それは、本書はあくまで著者から読者へのメッセージであり、その受け取り方もまた、個人個人の選択の問題であるということ。本書が主張する論点の適用範囲は会社組織や地域社会、家庭にはない。本書が伝えたいメッセージは、読者の内面の充実を図るためのものであり、社会や組織に適用するものではない。著者の発するメッセージを咀嚼せず、外部に働きかけるとどうなるか。新聞の社会面に目を通すと、その悪例に事欠かない。経営者が社畜を是とし、社員を疎かにした経営を行うとどうなるか。社畜を肯んじて、家庭を顧みず仕事に溺れるとどうなるか。ブラック企業、過労死、熟年離婚、児童虐待、パワハラ。禍々しい言葉が次々湧き出す。要は本書を読んで会得したことは、自己内で完結させ、成長の糧とすればよいのである。それを怠り、鵜呑みにして吐き出すと、出てくるのは害毒だけである。

私は幸か不幸か、自分のワークライフスタイルに合わせ、個人事業主として曲がりなりにも生計をたて続けられている。本書で得たのは、これまでの自分の苦労が無駄ではなかったという肯定の思い。そして次代の人々の為に伝えるための材料である。今後は、本書の内容を踏み台にし、自分に期待しつつ独立への道を推し進めていきたい。また、機会があれば若い人々に生きるという事の妙味と重みを伝えられたらと願っている。

’14/06/16-‘14/06/17


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