太平洋戦争が終わって28年後に生まれた私は、戦前の神聖視された天皇家も知らなければ、教科書の墨塗りに明け暮れた経験もない。自宅に御真影や写真集が常備されていることもなく、象徴としての君主として受け入れてきた世代である。

特に思い入れがなかったにも関わらず、中学三年生の時に昭和天皇の崩御という一時代の終わりを経験し、その時の新聞は未だに保存している。歴史に興味を持ちはじめた頃だったので、何か感ずるところがあったのだろうか。

私は国粋主義を気取るまでもなく、ごく自然に、この国に天皇家は必要と考えている。日本建国以来の天皇家を廻る数々の陰謀や血生臭い歴史は承知しているが、それを鑑みても、国の文化や風土の一部として天皇家の存在が、我が国にとって欠くべからざるものと考える。

もっとも、そう考えるのは、私が日本人であるが故の思想の軛なのかもしれない。本書を読むと、日本人であるが故の思想の枠組みに絡め取られている自分を自覚せざるをえなかった。

それほどまでに、本書で描かれる昭和天皇の姿は日本人にとって目を覆わしむるものがある。

上巻では幼少期からの昭和天皇の教育に焦点をあて、元首としての帝王学と同時に、帝国主義、または軍国主義的な教育を受けさせられてゆく様子が描かれる。成人してから、昭和天皇の名の下に発せられた、幾多もの布告が、あたかもこの時の教育が原因であるかのように。

上巻では太平洋戦争の開戦前夜までが触れられるが、欧州巡幸や大正デモクラシーから五.一五、二.二六事件を経て日華事変まで、丹念に大日本帝国が進んでいった敗戦への足取りと、それに昭和天皇が如何に積極的に関与したか、が検証されていく。

この本の記述を全て鵜呑みにすると、昭和天皇は間違いなく戦犯として裁かれるべきと思わざるをえない。引用文献も偏りがないように思えるし、組み立てられる理論も峻厳なものである。日本人が無意識に抱える擁護の情など、入り込む余地もない。

本書の論点に対する日本の碩学からの反論があればぜひ読みたいところである。

’12/05/28-12/06/06


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 7月 27, 2014

コメントを残して頂けると嬉しいです

読ん読くの全投稿一覧