郡山に出張で訪れたのは、本書を読む10日前のこと。セミナー講師として呼んで頂いた。そのセミナーについてはこちらのブログブログで記している。

この出張で訪れるまで、私にとって福島はほぼ未知の地だったと言っていい。思い出せるのは東日本大震災の二年半後に、スパリゾートハワイアンズに家族と一泊したこと。さらに10年以上遡って、友人と会津若松の市街を1時間ほど歩いたこと。それぐらいだ。在住の知人もおらず、福島については何も知らないも同然だった。

何も知らない郡山だったが、訪れてみてとてもいい印象を受けた。初めて訪れたにもかかわらず、街中で私を歓待してくれていると錯覚するほどに。その時に受けた好印象はとても印象に残り、後日ブログにまとめた。

わたしは旅が好きだ。旅先では貪欲にその土地のいろいろな風物を吸収しようとする。歴史も含めて。郡山でもそれは変わらず。セミナー講師とkintone ユーザー会が主な目的だったが、郡山を知ることにも取り組んだ。合間を見て開成館にも訪れ、郡山周辺の歴史に触れることもその一つ。開成館では明治以降の郡山の発展がつぶさに述べられていて、明治政府が国を挙げて郡山を中心とした安積地域の発展に取り組んだことがわかる。郡山の歴史を知ったことと、街中で得た好印象。それがわたしに一層、福島への興味を抱かせた。そして、郡山がどんな街なのか、福島の県民性とは何か、に深く興味を持った。本書に目を留めたのもその興味のおもむくままに。福島を知るにはまずは歴史から。福島の今は、福島の歩んできた歴史の上にある。本書は福島の歩んできた歴史を概観するのによい材料となるはずだ。

東北の南の端。そして関東の北隣。その距離は大宮から東北新幹線で一時間足らず。案外に近い。しかし、その距離感は関東人からも遠く感じる。関西人のわたしにはなおさらだ。そのあたりの地理感覚がどこから来るのか。本書からは得られた成果の一つだ。

本書は大きく五章に分かれている。福島県の古代。福島県の鎌倉・室町時代。福島県の戦国時代。福島県の江戸時代。福島県の近代。それぞれがQA形式の短項目で埋められている。

たとえば、古代の福島県。白河の関、勿来の関と二つの関が設けられていたことが紹介される。関とは関門。みちのくへの関門が二つも福島に設けられていたわけだ。福島を越えると別の国。蝦夷やアイヌ民族が住む「みちのおく」の手前。それが福島であり、関西から見るとはるか遠くに思える。ただ、それ以外で古代の文書に福島が登場することはそれほどない。会津の地名の由来や、会津の郷土玩具赤べこの由来が興味を引く。だが、古代製鉄所が浜通り(海岸沿い)にあったり、日本三古泉としていわき湯本温泉があったり、古来から対蝦夷の最前線としての存在感はは福島にあったようだ。

そんな福島も、源頼朝による奥州合戦では戦場となり、南北朝の戦いでも奥州勢が鎌倉や京に攻め上る際の拠点となっている。また、戦国の東北に覇を唱える伊達氏がすでに鎌倉から伊達郡で盛んになっているなどは、福島が中央の政情に無縁でなかったことを示している。

そして戦国時代だ。福島は伊達氏、特に独眼流正宗の雄飛する地ともなる。伊達氏が奥州を席巻する過程で激突した蘆名氏との擂上原の合戦は名高い。秀吉による奥州仕置が会津若松を舞台として行われたことも見逃せない。会津に転封された蒲生氏郷や上杉景勝など、中央政府からみても会津は一つの雄藩に扱われる国力を持っていたこともわかる。また、この頃に「福島」の名が文献にあらわれるようになったとか。「福島」の名の由来についても通説が提示されている。今の福島一帯が当時は湖沼地帯で、付近の信夫山から吾妻おろしが吹き、それで吹く島と見立てたのを縁起の良い「福島」としたのだという。別の説もあるようだが・・・

そして江戸時代。多分、このあたりから今の福島の県民性が定まったのではないかと思う。たとえば寛政の改革の主役である松平定信公は幕政に参画するまでは白河藩主として君臨しており、その改革の志は白河藩で実施済みだとか。また、会津藩にも田中玄宰という名家老がいて藩政改革を主導したとか。会津藩校である日新館ができたのも、江戸時代初期に藩祖となった保科政之公の遺訓があったからだろう。また、その保科政之公は実際に家訓15カ条を残しており、それが幕末の松平容保公の京都守護職就任にも繋がっているという。朝敵の汚名を蒙ってしまった幕末の会津藩だが、そこには幕藩体制のさまざまなしがらみがあったことが本書から知れる。また、隣国米沢藩の上杉鷹山公の改革でも知られるとおり、改革がやりやすい土地柄であることも紹介されている。改革を良しとする土地柄なのに幕府への忠誠によってがんじがらめになってしまったことが、幕末の会津藩の悲劇を生んだといえるのかもしれない。

ところが、その改革の最もたるもので、私が郡山に訪れた際に開成館で学んだ安積疎水の件が、本書には出てこない。猪苗代湖から水を引き、それによって郡山や安積地域を潤したという明治政府による一大事業が本書にはまったく紹介されていないのだ。そこにいたるまでに、白虎隊や二本松少年隊の悲劇など、本書で取り上げるべきことが多すぎたからだろうか。少し腑に落ちないが、本書では近代の福島県からは幾人もの偉人が登場したことは忘れていない。野口英世、山川捨松、新島八重、山川健次郎、星一など。本書はそれを一徹な気風のゆえ、としているが、実際は改革を良しとする気風も貢献しているのではないか。円谷英二や佐藤安太といった昭和の日本を支えた人物はまさにそのような気性を受け継いだ人のような気がする。

本書はあくまで福島県の歴史を概観する書だ。なので県民性の産まれた源には踏み込んでいない。それが本書の目的ではないはずだから。本書にそこまで求めるのは酷だろう。

でも、もう少し、その辺りのことが知りたかった。改革が好きな県民性の由来はどこにあるのか。今も福島には改革の気質が濃厚なようだ。私をセミナーに招聘してくださるなど、福島ではたくさんのIT系のイベントが催されているようだ。会津大学はITの世界でも一目おかれている。

私が郡山を訪れた時、福島第一原発の事故による風評被害は郡山の皆さんの心に影を落としているように思えた。でも、ブログにも書いた通り、改革の志がある限り、郡山も福島もきっともとの姿以上になってくれると信じている。セミナーで訪れた後も再度郡山には及び頂いた。それ以来、福島には伺えていないが、また機会があれば行きたいと思う。その時はもう少し奥の本書で得た福島の知識を携えて。

‘2016/10/9-2016/10/10


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