本書は働く人々を描いた物語だ。

働き方には色んなスタイルがある。独り黙々と仕事をこなすやり方もあれば、侃々諤々議論をしながら進める方法もある。それは、一般企業であれ、個人事業主であれ、自治体であれ変わらない。様々な屈託や挫折を抱えた人々、夢や希望を持った人々が一つ所に集い、同じ目標に向かって任務を遂行する。それは本書の舞台である航空自衛隊航空幕僚監部広報室でも同じだ。

自衛隊という特殊な職場でも、仕事のスタイルは特殊ではない。それは、頭ではわかっているつもりだ。しかし、自衛隊を知らぬ我々部外者は、ともすれば自衛隊員を色眼鏡でみてしまう。陸自、海自、空自のいずれも、ストイックで何者をも寄せ付けないピリピリした隊員揃い。融通が利かず、アイドルにうつつを抜かすなどもっての他。我々はそんなステレオタイプな先入観を自衛隊員に対して抱いていないだろうか。私は薄ぼんやりとだが抱いていた。自衛隊員の知り合いが一人いるにも関わらず。

しかし、本書を読んだ後は、そのような先入観は一掃された。

本書には、空自広報室が舞台だ。そこでは、我々が持っていたステレオタイプな自衛隊員とは程遠い、血の通った人々が活き活きと仕事をしている。

彼らの任務は、日本国民に向けて自衛隊を広報すること。考えてみればおかしな話だ。自分たちが守っている当の国民に対する広報とは一体どういう意味だろう?しかし、自衛隊には現実に広報部署が陸海空それぞれに設けられている。これこそは、自衛隊が置かれた現状に他ならない。自衛隊がどのように国民から見られているか。それを払拭するために自衛隊の広報に従事する方々が何を思い、何を信じて働いているのか。本書は外部から客観的に見るのではなく、内部の視点で自衛隊を描いている。

自衛隊が世間にどう見られているか。そのことを最も感じられる部署こそは広報室だろう。やれ税金泥棒だの、やれ軍国主義復活の象徴だの。自衛隊に対する世間の風当たりは未だに冷たい。

本書の主人公空井二佐が、取材に来た帝国テレビの稲葉リカから投げ掛けられた言葉がそれを象徴している。

「だって戦闘機って人殺しのための機械でしょう?」

花形戦闘機パイロットとしての未来を交通事故で絶たれ、広報室に異動してきたばかりの空井。彼はこの言葉に立場を忘れキレてしまう。

「人を殺したいなんて思ったことありません!」

キレてしまった空井を諭すための鷺坂室長の言葉。その言葉が自衛隊の立場を端的に表している。

「暴論を黙って聞いてちゃいかんよ。」
「主張自体は正しいんだ。」
「その正しい主張をな、怒鳴っちゃ駄目なのよ」
「俺らの信条は専守防衛だからな」
広報室の任務を自覚し、自衛隊の立場を冷静に見据えた言葉だと思う。

本書は決して自衛隊を美化し、礼賛する小説ではない。これは本書全体を通しての一貫したトーンだ。自衛隊は国民の嫌われ者と自嘲するセリフ、またはそれに似た描写は本書のあちこちに散らばっている。今の自衛隊は、まだまだ国民に嫌われている。その現実は逃げない。本書もまた逃げずにその事実を直視している。

本書には戦後のGHQの民主化政策や、教育政策には全く触れない。国際関係や外交や地政学といったややこしい話もほぼ無縁。そもそも矛盾を孕んだまま産まれたのが自衛隊だ。その矛盾に各隊員が折り合いをつけつつ、任務をこなす。本書で活き活きと描かれる仕事風景は、一般企業や自治体でも見られる風景と同じといってもよい。本書が描き出す自衛隊内部からの視点は実に新鮮だ。見慣れた仕事風景のはずなのに新鮮さを感じるのは、どれだけ我々が色眼鏡で自衛隊を見ていたかの裏返しに過ぎない。内側から見ているからこそ、以下の紹介するような自衛隊の各所の特徴をつかみ、かつ自嘲するような四字熟語が作れる。

空自 勇猛果敢・支離滅裂
陸自 用意周到・動脈硬化
海自 伝統墨守・唯我独尊
統幕 高位高官・権限皆無
内局 優柔不断・本末転倒

本書は、無知で偏見のあるテレビディレクターの稲葉リカが取材と称して訪問してくるところから物語が動き始める。彼女へのレクチャー役を空井が担当するという設定が効いている。稲葉リカに自衛隊の基礎知識を説明する空井のセリフを通し、読者もまた、自衛隊の知識を得ることになる。読者は、さらに上に紹介したような空井と稲葉リカの感情のぶつけ合いを通して空井や稲葉リカのキャラも理解し、感情移入することになる。著者の手際は実によい。空井と稲葉リカのやり取りを通じ、読者は空井や稲葉リカの背景も知ることとなる。空井は自分に何の落ち度もない事故でパイロットの夢を絶たれた。稲葉リカはテレビ局で記者から外された鬱屈を抱えている。そして、自衛隊の存在に八つ当たりすることで、国民の自衛隊への態度を代弁した気になっている。本書の大まかな粗筋は、パイロットの夢絶たれた空井の再生であり、稲葉リカの自衛隊への認識改めといえる。そしてその中で微妙に育まれる二人の淡い恋模様である。

二人をめぐる広報室の面々も魅力的だ。いろんな屈託や希望を抱えた個性的な彼ら彼女らは、単なる二人の引き立て役ではない。章ごとに、彼らにスポットを当てた話作りがされている。

まず柚木典子三佐。幕僚長の前でも尻を掻くマイペース美人。残念な美人でありべらんめえ美人。だが、彼女には彼女の屈託があり、初めから残念な美人だったわけではない。その屈託の理由や、彼女がそれを乗り越える過程も本書で描かれている。それもまた、自衛隊が孕む問題の一つなのだろう。

続いて槇博巳三佐。防衛大学から柚木三佐との同期。残念な美人のつっこみ担当であり、柚木三佐からは風紀委員と揶揄されている。柚木三佐が残念な美人になった経緯を知るだけに、柚木三佐を気遣い、突っ込み役を敢えて引き受ける。真面目な四角四面の堅物だけの人物だけではなく、鷺坂室長を慕うなど、人情の機微も弁える人物でもある。

次いで片山和宜一尉。悪く云えば粗暴で雑。よく云えばアグレッシブ。空井をことのほかいじるが、それは広報に対する熱意の裏返しでもある。一般の広告代理店で研修を受けた経験がある。鷺坂室長を慕っているが、それ以上に比嘉一曹にライバル心とその裏返しの尊敬の念を抱いている。

さらには、比嘉哲広一曹。人当たりの良さと人脈の豊かさは長年の広報畑勤務の賜物。自他共に認める能力の持ち主ながら、広報室には経験豊かな下士官が必要との信念で、昇進に全く興味を示さない。わざわざ鷺坂室長が他基地の広報からスカウトして広報室に連れてきただけのことはある。片山一尉とは対照的なキャラクターながら広報室の重鎮という言葉が似合う人物。

最後に鷺坂室長。自衛隊の外からは広報室に詐欺師あり、と一目置かれる人物。アイドルには滅法詳しくミーハー。それでいて、広報業務を大所高所から観ることの出来る視野の持ち主で、正に広報室の要と云える人物。懐と器の広さで広報室をまとめ、駄目なものは駄目と一線を引くだけの見識を持っている。また、商談を仕切らせると海千山千のテレビマンも真っ青になるほどの話術の持ち主。

著者の後書きによると、本書の企画は空自広報室から持ち込まれたらしい。持ち掛けた人物こそ、鷺坂室長のモデルでもある方だとか。本書全体にみなぎる自衛隊への一本筋の通った明快な立場や考え方は、非常に説得力がある。それも室長自らが持ち掛けた企画であれば腑に落ちる。おそらくは著者も空自広報室で念入りにブリーフィングやオリエンテーションを受けたのだろう。他にも比嘉一曹のモデルとなった方など何人かの情報提供者によって本書は出来上がったとあとがきで著者が記している。しかし、そういった方々の助言も頂きながらも、本書をまとめたのは紛れもなく著者である。その筆運びには脱帽するほかはない。

航空自衛隊の鷺坂室長のモデルの方の思惑通り、本書は、自衛隊の最良の広報誌に仕上がっていると思う。まずは、自衛隊にアレルギーを持つ多くの人が本書を読むことを望みたい。自衛隊に勤める人々のことを「特殊な職業だけど特殊な人間ってわけじゃないんだなって」と思ってもらえるように。

国防や平和主義、国際関係やら竹島尖閣諸島北方領土云々。国防上、自衛隊の存在は必要だろう。でもそういったややこしいことを考える前に、まず自衛隊での仕事にもこういった仕事があるんだよ。ということを知っておいても良いと思う。私自身、阪神・淡路大震災の経験から、自衛隊に対する認識を改めた。だが、それでもなお、自分が自衛隊のことを何も知っていなかったこと。本書を読んでそのことを痛感した。

なお、本書の上梓直前に、東日本大震災が発生する。著者はそのため本書の刊行を延期し、松島基地の被害状況とそこでの空井と稲葉リカの再会の場を作る。ここは後から書き足したというだけに、すこし後付けの感は否めない。が、著者が刊行を止めてまで書き足しただけのことはあり、自衛隊を広報する上で打ってつけのエピソードがてんこ盛りだ。地震の日、空自の方々が自分たちのことを差し置いて、被災者の方々に何をしたか。

今、東日本大震災における自衛隊員の写真集が手元にある。そこに移っている姿こそ、被災者の私が阪神・淡路大震災で目撃した自衛隊の姿に他ならない。それまで自衛隊に対して良い感情を持っていなかった私が、自衛隊への認識を一新したのはあの地震での経験による。そのことを思い出させるようなエピソードが本書の最後に付け加えられたことは、懐かしいとともに嬉しかった。

‘2015/03/11-2015/03/12


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