承前として、上巻から続く1944の章で本署は始まる。これから読まれる方の興を削いでしまうので、登場人物たちの動向については書かない。が、本章で起こる様々な出来事は、運命や時代に左右される人々について、心に訴えかけるものがある。戦争という緊迫した状況下では、人は普段被る仮面を剥がされ、うろたえ、醜い姿もエゴもさらけ出す。空襲に怯えるロンドンで、爆撃された廃墟の傍で、V2が飛来する恐れの中、人々は生きる。

人が懸命に、も生きようとする本章には、色々と心に残る場面が登場する。空襲のさなかにどうしようもなく惹かれあうレズビアン。爆撃が迫る中、牢獄に閉じ込められた子供たち。爆撃された街で、堕胎によって瀕死となる女性。わが日本でも空襲体験やそれを描いた小説も多々あれど、本書の空襲描写は、ことさら印象に残る。おそらくは私を捨てて救護活動に没頭する消防士の視線からみた空襲描写が多いからであろうか。

1944の章の描写を通し、1947の章に登場した人々の過去に何があったのか、読者は理解する。1947の登場人物達に共通する空虚さの中に、嵐の中を潜り抜けてきた人々の反動を観る。

最後に1941年。

普通の小説ならば、プロローグとして書かれる内容の本章だが、本書は末尾の章として置かれている。1944年の大戦を懸命に生きる登場人物達。彼らがどうして大戦の混乱を、それぞれの立場で身を置くようになったのか。本章ではそれが書かれる。

繰り返すが、本章の内容は登場人物たちの紹介であり、本来ならばプロローグとして物語の前提を説明するものである。

上巻のレビューの最初に、本書を読んだことを3年半しか経っていないのに忘れたと書いた。なぜ忘れたかについては、すでに上に書いてきた通りである。つまり、文章の構成順と物語の時間軸の順序が逆だからであり、本来ならプロローグにあたる部分が最後に来ているためである。物語の時間軸に沿えば、最後に置かれるべきシーンが冒頭の1947の章に配されている。そのため、従来の小説の読み方では読後感が混乱してしまうのである。特に、斜め読みに読んでしまうと、全く記憶に残らないということになってしまう。おそらくは3年半前の私は、そのような読み方をしてしまったのだろう。言い訳をするようだが、丁度この時は、私的に衝撃的な出来事があり、本書に集中できていなかったのかもしれない。

だが、今回は前回の失態を取り返せたのではないかと思う。本書の凄さと意図が把握を実感することができたように思う。

1941の章の最期は、廃墟の中から救い出された少女の美しさに、消防士が感動する場面で終わる。
1944の章の最期は、空襲に死んだと思った恋人が見つかり、消防士がそのことを友人に告げる場面で終わる。その恋人が友人と情を通じあっているとも知らずに。
1947の章の最期は、ロンドンをさまよい、ロンドンの静けさを、うつろに見る元消防士の視線で幕を閉じる。元消防士のケイの視線で。

本書はレズビアンという愛の形を、時代に翻弄された無残な愛の終わり方で描いたものである。その無残な愛の形を描くためには、時間軸では無残に、文章構成では感動で終わらせる必要があったのだと思う。本書のラストが、感動で終われば終わるほど、その愛が無残に終わる結末を知る読者には、なおさら虚しく響いてしまう。そんな効果を狙っての、本章の構成だとすれば、その効果は確かに上がっているといえる。

’14/07/02-‘14/07/08


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