著者の作品はずっと読んでみたいと思っていた。それなのに、著者の作品で先に読んだのは講演録「日本語教室」のほうだった(レビュー)。実家の父の蔵書の中に本書があり、もの心ついた頃から本書の存在は知っていた。

本書を読んだのは、山の仲間とはじめての尾瀬を訪れた帰りのバス。すがすがしい気持ちで一泊二日の旅を終え、帰路についた私にとって本書は実に愉快だった。そのまま新幹線の中で一気に読み通してしまった。本書のナンセンスな内容が心地よい疲れを抱えた私には合っていたのだろう。

売れないけれど、孤高の小説家フン先生。フン先生が新たに書き上げた小説は、次元を超えて縦横無尽に行来する大泥棒の話。その名もブン。次元を超えて出没する能力をブンに与えてしまったものだから、ブンは小説から現実世界に抜け出てしまう。小説から抜け出したブンは、現実世界であらゆるものを盗みまくる。そんなブンをどうにか捕まえようと、警察長官のクサキサンスケがあらゆる手を使い、ついには悪魔や盗作作家までも使ってブンと対決する。そんな粗筋だ。荒唐無稽なことおびただしい。著者もあとがきで述べているが、「馬鹿馬鹿しいということについては、この小説を抜くものがない」(201-202P)。

ところが本書は発表されてから50年近く生き残っている。本書は地元の図書館で借りた。図書館で開架蔵書として残り続けることは実は大したことではないかと思う。長く残っている事実は、本書がただの馬鹿馬鹿しい小説ではない表れだ。本書の馬鹿馬鹿しさの裏側にあるのはまぎれもない風刺の精神だ。

ブンは奇想天外なものを盗みとる。金などより、人々を驚かせることに喜びを感じるかのように。そしてある時からブンは形のないものを盗み始める。例えば歴史。例えば記憶。例えば見栄。例えば欲望。それらは明らかに著者の思想の一端を映し出している。あらゆる価値観への挑戦。その風刺の対象には、既存の観念への挑戦も含まれていることはいうまでもない。

フン先生は、自らの小説が売れることへも憤る。まるで売れることが悪のように。それは、文壇で売れっ子の作家たちへの挑戦でもある。そもそも「ブン」=文が悪で「フン」=糞を理想とする設定自体がユニークだ。本書を発表するまでは無名の作家だった著者の反骨精神が感じられるではないか。

あとがきによると本書の元となる戯曲が書かれたのは1969年の春から夏にかけてのことだという。1969年といえば、世界的にある潮流の潮目が変わった年だ。東大の安田講堂をめぐる攻防。新左翼や赤軍派があちこちで起こした騒動。ウッドストック・ロックフェスティバルの開催。アポロ11号が月面に着陸し、人類の第一歩が記された。そうした出来事の裏側で、わが国の学生運動が終わりを迎えつつあった。運動が圧殺され、一部の運動家は過激派となって地下に潜伏する。日本も世界も保守と先鋭に二分化されつつあった時期だ。

著者が本書で目指したのはもはや実現が難しくなりつつある理想の世界に対する抵抗なのだろうか。本書には古さもあるし、時代の背景が濃厚な描写も目立つ。だが、本書の随所に設けられた試みは今も斬新だ。いまだに輝きを失っていない。読者への作者からのお願いが随所に挟まれたり、のりしろでPTAに対する抵抗をそそのかしたり。そういった手法は今みても新鮮だし、当時の人々にはさらに驚きを持って受け入れられたはずだ。そうした手法は今、とある作品に影響を与えているように思える。娘達の読んでいた「かいけつゾロリ」シリーズに。

だが、本書が備えているような風刺と、構造の破壊を行った作品に最近なかなかお目にかかれない。今、本書のような作品は生まれないのだろうか。本書が発表された1969年は、テレビの分野でも「8時だヨ全員集合!」や「コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!」などが新風を巻き起こした。本書もその一つだろう。だが、メディア自体は斬新な表現が生まれつつあるなか、表現そのものとして斬新な作品は生まれていない気がする。

だが、あらゆる常識が覆され、既存の通念がゆらいでいる昨今。本書のような認識を転覆させるような作品はまだまだ生み出せるのではないだろうか。メタ文学、メタ認識。それまでにも私たちの感性を揺さぶる作品はたくさん生み出されていた。本書だけがすごいわけではない。だが、本書のすごいところは、そうした認識の枠を無意味なものにしながら、なおかつお笑いとユーモアで勝負していることだ。多分、その取り合わせが本書をいまだに作品として残させているのかもしれない。

だが、当時は斬新だった本書も、古典としての価値を帯びつつあるように思える。本書はもっと以前に、それこそ私が親の蔵書の中で意識しているうちに読んでおけばよかったと思う。本書の結末など、社会に向けて学んでいた当時にあっては衝撃だったことだろう。まだ著者の作品で読んでおきたいものは何冊かある。早めに読む機会を持ちたいと思う。

‘2018/06/02-2018/06/03


One thought on “ブンとフン

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