エッセイを読むのも好きです。

特に村上春樹さんのエッセイはあまり気負った題材でもなく、何かを批判したりすることもあまりなく、他人を罵倒することもなく、人間なんて所詮は、といういい意味での諦めが漂っています。かといって毒にも薬にもならないエッセイかというと、そんなことはなく、油断していると蜂の一刺しにやられてしまうような、適度な緊張感を孕んでいるところもまたよいです。

本書は再読だったか初読だったかは忘れましたが、先日、実家から持ち帰ってきた数冊の蔵書のうちの一冊です。手に取ったのも、なんとなくという感じです。読む10日ほど前にお亡くなりになった、本書の共著者である安西水丸さんのことが直接の影響だったわけではありません。少しは影響があったのだろうけど。

村上春樹さんは、私の同郷の人です。なので、氏が書いた阪神間についてのエッセイを読む度に郷愁が掻き立てられます。そういえば本書を読む1か月前にも明石や三宮を訪れたのでした。そうでした。それで本書を手に取ったのだろうな。うむ。

本書でも、「関西弁について」「阪神間キッズ」「夏の終わり」の3編が私の郷愁を満たしてくれました。東京に住むものが、かつて住んでいた関西を眺めて、という構図も私の心境と同じ。

他にも「「うゆりずく」号の悲劇」でなんていう一篇も。船やトラックの側面に書かれている、あのなぞの言葉についての考察です。なんとなく気になっていたけれど、よくよく考えれば妙なことについて考えを致せるそのアンテナ感度には尊敬をおぼえます。

本書は、1985年から1986年にかけて連載されたもののようですが、当時の東京の状況を描いたエッセイもよいです。「政治の季節」「バビロン再訪」とか、当時も今も、東京って変わったようでいて、何も変わっていないのだな、と思ったりして。

でも本書に収められたエッセイで一番よかったのは「オーディオ・スパゲティー」かな。オーディオに凝ると配線や設備を揃えるのが大変、という要約すれば他愛もない内容なのだけれども、その背後の分析が鋭い。「少なくともテクノロジーに関してはデモクラシーというものは完全に終結してしまっているように僕には思える」なんて、今のITやSNS全盛の時代の状況を見通したセリフが1985年に書けるところに、村上春樹さんの凄味があると思いました。

’14/03/29-’14/04/01


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