悩み深き20代前半。私もどっぷりとその深みにはまりこんだ口である。

強烈な揺れと、その後の混乱を乗り切った冬。内定をもらったと勘違いし、就職活動を止めてしまった初夏。西日本のかなりを旅行し、台湾自転車一周や沖縄旅行など、遊びに遊びまくった夏。吹っ切れて関西一円のあちこちに旅行し続けた秋。大学は卒業したけれど、内定社のない春。

その反動からか、どっぷりと鬱になり、本を読みまくって何かを探し続けた次の年。この時期に読みまくった本と、身に付けたITスキル。そして今に至るまで付き合いの続く年上の友人達との新たな出会い。この時期に助けられた友人たちへの恩。

後悔していないばかりか、人生で輝けた2年間を過ごせたと思っている。22~24歳の私である。

本書に登場する人物達は、あるいは引きこもり、あるいはコミュ障を患い、あるいはゲームの世界に埋没し、あるいは挫折から夢を追う人生に転じ、あるいは奇抜な塾経営から生徒たちの心をつかむ。多くは当時の20代の若者たちである。真っ当な社会生活を送る者からすると、何とも歯がゆく、張り倒してやりたくなる人物がほとんどではないだろうか。

おそらくは当時の私も周囲からこのように見られていたことだろう。人生で何を成し遂げたいのか、「自分さがし」という名の陥穽は、青年にとってあまりにも魅力的で避けがたいものである。

私はその後、上京し、結婚もして家も買い、娘達にも恵まれ、曲がりなりにも個人事業主として8年ほど生計を立てている。世間的には陥穽を避け、順風満帆な生を歩む人間として映っているのかもしれない。しかし、そうではない。私の根底にあるのは20代の頃と同じく、自分への探求心である。40になっても不惑とは程遠く、未完成な自分を少しでも納得の行く完成形へと引き上げようとする人に過ぎない。

おそらくは私の人生観は、一般的な社会人のそれよりも、本書の登場人物達に近いのだろう。だからこそ、彼らの生き方に共感する部分は強い。歯がゆくもないし、張り倒す理由もない。むしろ応援したい気持ちになる。

ただ、彼らに、現代の彼らのような若者たちに会ったとして、私に出来ることは実はそれほどない。月並みだけれど、人生とはその人の生である。他人が肩代わりすることはできない。ただ前向きに、他人を傷つけず、陰口も言わず、己の決断に、与えられた機会に飛び込んでいくのみである。本稿の冒頭で「人生で輝けた2年間を過ごせた」と書いたが、それも過ぎた者だけがいえる台詞。過ぎて初めて人の生は語るに値する。

著者も本書の登場人物達に近いニートのような生活を送ったことがあるとか。著者は下手な同情も記さない代わりに、突き放すこともしない。ただ傍らでその人の人生を見つめるのみである。その視線は温かい。おそらくは著者も、登場人物の生は肩代わりできないことを知っていることだろう。替わりに出来ることとして、その生を描くことで、自らの探究心を満たしたかっただけなのだろう。それでいい。人生とは結局は自らを納得させるためにあるようなものなのだから。

’14/04/16-’14/04/17


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