二冊続けてジーヴズの事件簿を読む。
そもそも、本文庫に収められたジーヴズものは、前作の才智縦横の巻と、本書からなっている。

だが、訳者による本書のあとがきによれば、ジーヴズものの短編の数は、数え方によってまちまちだが34編から79編まであるそうだ。正確な数が何編かは大した問題ではないが、多くの短編があることは確かだ。
編集者がその中から二冊に収まる短編を選ぶにあたり、どういう基準を設けたのだろう。訳者のあとがきにそれらしい基準は触れられていない。そのため、基準についてはわからない。他の短編の数々を読むべきなのだろう。

だがおそらく、編者が選定した基準とは、今の私たちが読んでもわかりやすいテーマだったのではないだろうか。

前のレビューにも書いたが、ジーヴズものの魅力とは以下の三つがあげられる。それはパーティーとジーヴズの主従関係が憎めないこと。バーティと仲間の巻き起こすドタバタがテンポも良くスマートに描かれていること。何よりもユーモアに満ちていること。
また、同じく前のレビューに書いた通り、ジーヴズものから古さは感じられない。百年近く前に出版されたにもかかわらず。
本書を編むにあたって、古めかしくないことも重視したと思われる。

世界は広く、時代が百年違うと物事の移り変わりは大きい。
だが、恋とは人間にとって古今東西共通の感情。つまり、後世の異国の私たちにも一番わかりやすいテーマだ。
本書には、惚れた腫れた、の恋の物語が多く出てくる。
パーティーの悪友であるビンゴが惚れては振られての繰り返し。本書に収められた短編のテーマは、恋とそれにまつわるドタバタからなっている。
編者が選ぶにあたってのテーマもその点にあったのだろう。

著者はそこを軽快に、嫌みもなく、そしてスマートに書き上げている。

先に、本書には古さが感じられないと書いた。だが、古いからこそ良い点もある。
それは、本書には電話やインターネットなどが登場しないことだ。それらの文明の利器は、時間と空間の差を埋めてしまった。
現代が失ってしまったものとは、時間と空間が離れていることで起こるすれ違いだ。

空間と場所が違うことによるさまざまな思い違いや食い違い。そこから生まれる滑稽さは、落語に例を引くまでもなく、人々を楽しませる源だ。
現代でもコントのネタでもで頻繁にみられるが、時間と空間の差から生じる人々の右往左往の面白さは、人々から笑いを引きだす。
ユーモア小説である本書には時間と空間の差から生じるすれ違いの面白さと、その差を埋めようとする努力が描かれている。それが読者にユーモアの感情を湧き上がらせる。

今の情報機器にあふれた世の中で、人々は便利に慣れてしまった。慣れるだけに飽き足らず、さらなる効率や能率を重視する。
すれ違いや行き違いの無駄を嫌うあまり、日常から喜劇のネタまで失ってしまっている。
実はこれは、私自身が自分の日常として痛感していることだ。
不器用だった若い頃の自分の方が、毎日を面白く過ごせていた気がする。これは年のせいとは言い切れないと思う。
ミスが許されず、効率の追求が価値であるシステム構築の仕事は、私の日々からユーモアを失わせつつある。

実は現代とは、すれ違いの喜劇が失われたかわりに、あいまいな悲劇が私たちを覆っているのではないだろうか。

もちろん、昔が良かったなどと言うつもりはないし、異国の生活を隣家の芝生のように崇め奉るつもりもない。
本書が発表された当時のイギリスの人々だって、実際は日々の暮らしを生きるのに必死だったはず。だからこそ、本書がユーモア小説としてもてはやされたのだろうし。
若さを過ぎ、年を取ってゆく人々が若さを懐かしく思う時、本書に描かれたような若気の至りのじたばたする姿を読むことで、ユーモアを思い出すのではないだろうか。

そう考えると、本書の魅力の本質がよりくっきりと見えてくる。
時代や空間の違いは大したことではない。
人間とは、本質的に楽しく自由に生きたい生き物。
その快楽を得るために人々はジーヴズもののようなユーモア小説を楽しむ。そして、せめて空想の世界だけでもユーモアに憧れるのだと思う。
わが国を覆う笑いの不足。テレビのお笑い番組だけでは満たされないユーモアへの欲求。それこそが本書の魅力につながっていると思う。

そこまで考えたところで、本書の魅力について別の見え方も立ち上ってきた。
それは、ジーヴズとは現代の私たちにとっての人工知能ではないだろうか、という仮説だ。
バーティを私たちになぞらえ、ジーヴズを人工知能に置き換えてみる。完全無欠なジーヴズに頼るバーティの姿は、人工知能と私たちを思わせる。

人工知能について私たちが期待していることは、完全無欠でありながらも裏の人情の機微まできちんと読み取り、適切な対応をしてくれる存在ではないだろうか。ちょうどジーヴズのように。
そう考えると、実は本書の持つユーモア性とは、私たちが人工知能との関係に抱く不安の裏返しのように思えてきた。

無機質な人工知能との関係。人工知能の導く答えが完全であればあるほど、人々はそれを脅威に感じる。
だが、仮に人工知能がジーヴズのようにユーモアを解し、私たちを温かく包み込むような存在であったら。そのような人工知能は私たちにとって敵でも脅威でもなく、真の主従関係が築けるような気がする。

雑務は人工知能に任せ、私たちは神経をすり減らすような生活から逃れ、面白おかしく暮らす。もしそういう未来が訪れるのであれば、私も人工知能の脅威など言わず、未来に希望を託しながら生きていけるはずだ。

本書のユーモア小説としての効能は、ただ今を楽しませるだけでなく、未来への希望をひらいてくれることにもあると思える。

‘2019/12/2-2019/12/2


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 5月 22, 2021

コメントを残して頂けると嬉しいです

読ん読くの全投稿一覧