私が会社を立ち上げたのは、今春のこと。その際、参考資料として何冊かを手に取った。しかし、社長の気構えについて書かれた本は一冊しか読んでいない。それが本書である。他に読んだのは全て手続きにかんする実務書である。

結論からいうと、予定通り4/1に登記完了し、すんなり会社設立できた。それには安価で請け負って下さった司法書士の先生の力によるところが大きい。そのため、読んだ実務書はほとんど役に立たなかったのが正直なところだ。役に立たなかったというより、司法書士の先生がほぼ全てやって下さったので役に立てようがなかったというほうがよいか。

ならば事前に読むべきは本書のような気構えに関する本だったかもしれない。ただ、今回の法人化に当たって、一からの気構えは不要と思っていた。それは、個人事業主として山あり谷あり挫折ありの九年間の経験があったからだ。今回の法人化は、その延長上として想定していた。

法人化によって新たに事務所を構えることもなかった。新規事業に乗り出すこともなかった。参画していたプロジェクトを抜ければ良かったのかもしれないが、私の判断ミスで属人的作業を抱え、安易に抜けられなかった。それら制約があったため、当初から環境を変えぬままの法人化を意図していた。そのため、気構えに関する本はほとんど目を通さなかったのだ。実際、本稿を書いているのは、創立してから半年後であるが、納税額や私の自覚は変わったとはいえ、生活に大幅な変更はない。

だからといって本書がとるに足らなかった訳ではない。逆に読んで良かったからこそ、他の同種の本に食指が動かなかったのかもしれない。

私の職種はIT業である。ITバブルの興隆と衰退は業界の端で見聞きしていた。著者の名もIT業界の識者として存じ上げていた。ITバブルに沸くIT業界ウォッチャーとして。そして本書が書かれたのは、まさにITバブルが弾ける直前である。いわば本書は、ITの花形産業として一番華やかな頃を伝える資料である。また、私にとっては本書に書かれた事例が反面教師となるはず。そういったことを本書に期待し、手に取った。

第1章は、「ネット企業を考える」とある。本章は、2005年当時のIT業界の紹介が主だ。2005年といえば、まだSNSという言葉が全く知られていなかった時期。本書のどこにもFacebookは登場しない。フレンドスターやMySpace、さらにはmixiすらもでてこない。通信はYahooがADSLモデムを配りまくり、ADSLがISDNに変わる高速通信の規格として世に広まった時期となる。そのため、動画配信はまだマネタイズには遠く、本章にGoogleは出てきてもYouTubeは登場しない。それが2005年のITバブル終焉直前の状況だった。

しかしそのバブル期に、今のIT業界の骨格は、ほぼ出揃っていたといえる。インフラ、ソフトウェア、ハードウェア、Webの一般的利用からくる広告収入というビジネスモデル。ただ、バブル期故に目立っていた事象もある。それがIT長者の存在となる。著者はベンチャー企業がIT業界を引っ張ってきたことを指摘する。ベンチャーの創業オーナーは大株主でもあり、全ての経営判断を自ら行うことができる。その立場をフル活用し、スタートダッシュとキャッシュの保持に成功したことが強みと分析する。

また、それら企業はさらなる発展の場を金融や通信、メディア、生活インフラに求めるはずと予測する。本書はまだ、ITが集約、寡占の方向に向かうと信じられていた頃の話だ。十年後の今は、インフラがあまねく行き渡りすぎたため、情報インフラの所持が利益に結び付きにくくなっている。むしろ、全ての個人や会社に高速でしかも携帯できる端末が行き渡ったことは、情報の分散化をまねき、他方ではクラウド(この言葉も本書のどこにもない)での情報集約が実現している。

金銭感覚についてもバブル真っ只中の様子が読み取れる。そこには、会社はオーナーのもの、という文化が花開いた時代の、今となっては懐かしさすら感じる思いが付随する。

第2章では、「会社は誰のものか」と名付けられている。

①会社は国家・国民のもの
②会社は株主のもの
③会社は従業員のもの
の三つを著者は提示する。その上で今は「会社は株主のもの」が主流であることを示す。さらに、今後もそうであろうと予測する。

それらの三つの見方を紹介しつつ、本章では会社という組織が社会に産まれた成り立ちと栄枯盛衰が語られる。①は社会主義国家の失敗から成り立ち得ず、③は日本の高度成長の推進力になったことを評価しつつも、所有と占有を混同しがちになる弱点が指摘される。が、やはり著者の意見では株主主体に軍配があがる。その立場で本書も語られる。

ここで著者は企業の支払いの優先順位を引用する。この順番こそが、企業にとっての優先すべきミッションの順番でもあり、企業のステイクホルダーの順序でもある。
①売上(顧客への商品・サービスの提供)
②原材料コスト(取引先への支払い)
③製造販売費用(従業員への給与支払い)
④借金返済、金利支払い(銀行への支払い)
⑤税金(政府や社会への支払い)
⑥内部留保(成長のための再投資用)
⑦配当(株主への支払い)

最初に顧客が登場する。つまり、先にあげた①~③に上がった会社は誰のものかという問いに対し、会社は株主のものであるが、顧客第一との結論が打ち出されている。このあたりは納得のいくところである。綺麗ごとでも上っ面でもなく、実際に顧客と対面して商売を行っていると、その辺りは自然な感覚として身につく。

続いてジョンソン・エンド・ジョンソンの社訓も引用される。それによると、すべとの消費者が一番目に挙げられ、全社員が2番目に、全世界の共同社会が3番目、会社の株主が4番目となっている。つまり、株主は最後に利益を享受する。そしてそれゆえに会社に対して主権を持っている。このことがすなわち著者が本書で提示した、会社は誰のものかという問いに対する答えとなっている。

だが、本書を読んだ結果、私が設立したのは、株式会社ではない。株主不在の合同会社である。これは本章で結論された株式主権の考えと相反する。

私が合同会社を選んだ直接の理由は、登記費用の節約である。それにもかかわらず、先の①~⑦でいえば、結果として⑤のの税金、⑥の内部留保、⑦の配当を拒否した形になっている。

私にとってそのことは特にジレンマではない。⑤~⑦に支払いを回さない分、単価が削減できる。つまり。消費者、お客様への還元に回せているのだ。私は利用者の立場が長い。なので、どうしても単価を下げる癖が出てしまう。よいサービスを安く、を目指す私にとっては、合同会社は何ら矛盾しない形態となる。その場合、株式による出資が得られないデメリットも覚悟の上。

ただしその場合、株主の監視がない分、代表社員たる私の自覚が欠かせない。

その点が第3章「「会社は化け物」と心得よ」に記載されている。

ここではバブルの走りとも云える英国経済を揺るがした南海会社やフランス王立銀行の破産事件、国を揺るがした経済詐欺、近頃ではエンロン破綻とそれと結託していたアーサー・アンダーセンの事例が紹介されている。人は資本や規模に容易に目がくらまされる。

企業がその地位を悪用するのは簡単であることが、本章では述べられる。本書の1章で、ホリエモンこと堀江氏も何度か取り上げられている。例えばニッポン放送乗っ取り事件の下りなど。本書はlivedoor粉飾決算で逮捕される前に書かれているようだ。しかし本書の行間のあちこちで、堀江氏の手法についての懐疑が投げかけられている。図らずも、livedoorに関する逮捕劇が、本章の懸念を裏付けた形だ。

本書の第1章では2005年当時のIT業界をにぎわせた、かなりの数の経営者が紹介されているが、そのなかで著者が評価した人間だけが、2015年も健在である。楽天の三木谷氏、ソフトバンクの孫氏など。これは本書の評価できる点だ。他の方は10年後の今、ほとんど目立たなくなってしまった。結果論ではあるが、会社とは何か、をうまく表現できなかったのだろう。私も他山の石としてはならないと思っている。

そういった堀江氏やその他の経営者の轍を踏まないため、本章では会社と経営者の関係を整えるための信任制度について、かなりの紙数が割かれている。株主が有限責任制の下で守られていることは無論だが、それによって経営者と株主の間に情報の格差が生じ、それによって経営者の暴走が発生することもまた事実。本章では忠実義務と善管注意義務の二つが紹介されているが、この辺りは合同会社の経営者である私も肝に銘じておかねばならないのはもちろんだ。

第四章では、「企業のガバナンスを考える」と名付けられている。その中で、ガバナンスが失われやすい企業のトップ3が挙げられている。規制産業、経団連○○部、世襲企業などだ。

そして、企業ガバナンスはどういう勢力によって脅かされるかについても提示される。経営者、株主、投資家、経済団体、従業員、メディア。私の作った会社は零細過ぎて、ガバナンスを担うのは、役員である私か妻のどちらかのみ。だが、それに加えて顧客を含めても良いのではないか。顧客から経営が独立するのは勿論のこと。しかし、あえて顧客との共存を図る。つまり、顧客をもガバナンス対象として意識すればどうだろう。

第5章「新しい資本主義が始まっている」では、今までの章で株主主権主義が明確となったことを踏まえ、新たな企業形態を紹介する。それは、以下の7つ。

①持ち株会社制度が進む
②「人的資本」が見直される
③社会的責任投資が論議される
④ブランドの価値が高まる
⑤大企業が産業政策を代行する
⑥先祖がえりの可能性
⑦最後には志が問われる

私が作った小さな会社は、まだ無力な存在。設立から半年たった今、利益もとんとん、前年比売上も微増、といったところだ。そんな小さな会社でも、上に挙げた7つのどれかを目指す権利は持っている。

私は②と⑦に賭けたいと思う。特に②。自分の夢や家族との触れ合いを犠牲にすることのない会社。多分、利益は上がらないだろう。株式会社にしたところで上場など不可能だろう。でも、何かしら自分の生きた証が残せれば、と思う。それが私の志である。

‘2014/12/20-2014/12/24


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