筒井康隆展に行き、感銘を受けた事は『宇宙衛生博覧会』のレビューで書いた。
筒井康隆展はファンにとってうれしい内容に満ちていた。会場には、今まで著者が発表してきた名作たちがさまざまな形で紹介されていた。その中でも一つの空間を占めていたのが本書だ。
著者の名を広め、一つの作品として幅広い層から支持を得た作品だから当然だろう。本書と本書からマルチメディア展開したグッズの展示は圧巻だった。

その展示を見てからというもの、私の脳裏から『時をかける少女』のテーマソングが鳴り止まなくなった。
原田知世さんと松任谷由実さんのどちらもGoogle Musicで何度も聞いたが鳴り止まなかった。鳴り止ませるには映画をみるか、原作を読むほかない。

そう思っていた時、トランクルームに本を預けに行ったら、以前しまっておいた本の山の一番上に本書が覗かせていた。これは何かの啓示に違いない。
前回、本書を読んだのがいつだろう。全く思い出せない。おそらく私が著者の本を集中的に読んでいた1995年から1997年の頃に読んだはず。

正直、本書の内容はほとんど覚えていなかった。
なので、とても新鮮だった。また、なぜ本書、いや、本書の表題作がこれほど支持されているのか、今も支持されているのかが分かった気がする。

どこかで読んだ気がする説明がある。
それによると、本編が発表されてから50年以上がたつが、いまだにタイム・リープは実現されていない。
そのため、私たちにとって本編で描かれたタイム・リープの考えは今もなお、うらやましさの対象なのだ。
だから技術がこれだけ進歩しても、読者の心をときめかせ、古さを感じさせない。
それが、映画化は4回、テレビドラマ化は5回と繰り返しメディア化されてきた理由なのだろう。

そして新しいながらも、本編からは懐かしき少年・少女小説の折り目の正しさを感じる。
読者に著者が語りかけ、同意を求めるような語り口。ポプラ社の少年探偵団・シリーズや、ルパン・シリーズを読んだ時のような懐かしさ。そうした小説に親しんだ私のような層には、本編はたまらない思い出を蘇らせてくれる。

しかも本編は、少年・少女小説でありながら恋を描いている。
その恋も、子供っぽい初恋ではなく、未来の感性を予想した率直な告白なのがよい。
本書が発表されてから50年がたつが、このような形の告白はまだ一般的になっていない。だから今も本編が新鮮なのだろう。

もう一つ。本編には未来の技術がほとんど描かれない。本編には未来が関係するのだが、それにも関わらず、著者は書いた当時の技術しか登場させていない。
昔のSF小説を読むと、現代より遥か先の未来を書いていながら、すでに私たちにとって古く寂れた技術が登場し、私たちの興を殺ぐことがままある。本編にはそれがない。唯一「磁気テープ」が出てくる場面があり、その部分は著者自身の手によって書き換えてほしいと思う。
だが、それ以外に私たちがレトロだと感じる未来の道具は登場しない。それがよい。

そうした部分は著者が執筆した当時に考慮したのかどうかはわからない。
だが、結果として本書は今でも古びずに読み継がれている。そして幾度となく複数のメディアで作られ続けている。
著者が冗談で本編を称して「金を稼ぐ少女」というが、まさにそのような存在なのだろう。

続いての二編も、少年・少女の小説の伝統をよく受け継いだ語り口だ。

「悪夢の真相」
著者が心理学に造詣が深いことはよく知られている。
本編は、日常の出来事を深層心理の面から描いていく。大人にとってみると、何気ない日常は、子供にとっては重大であり新鮮だ。

そして、自分の考えがどれだけ以前の記憶によって左右されているか。どれだけ夢が過去の経験と結びついているか。
その記憶や経験は覚えていないものも多い。例えば胎児の頃、乳児の頃の記憶も含めて。

そうした子供の視点から日々の出来事を描いていくことで、本編は少年・少女にも心の不思議さを伝えている。
当時ではいまよりも新鮮な作品として存在感があったことだろう。残念なことに私は本編のことをほとんど覚えていなかった。それは多分、本編の筋書きに印象がなかったからだろう。
もちろん本編にはドラマチックな出来事が登場する。だが、細かくエピソードを積み上げ、背後に隠されていた過去の出来事に秘められた謎を明かす本編では、それはかえって印象に残らなかったのだろう。

「果てしなき多元宇宙」
これこそSF、と呼べるような一編だ。
多元宇宙とは、複数の異なる時空で時間軸が存在し、その中では地球や日本があったり、別々の意志を持った存在が生活を行っている。お互いは行き来できることもなく、存在すら知らない。
多元宇宙は設定上では自由に理論を設定できるので、SF作家には便利な存在だ。
おそらく昔から数えきれないほど類似の設定で物語が描かれてきたはずだ。

著者もその設定を借り、とある次元で起こった大事故によって複数の時空に影響を与えるまでになったと設定する。
それによって日本の平凡な女の子が全く違う時空に移動したり、日本で夢見ていた生活が実現できる、という物語だ。

こうやって三編を読むと、ライト・ノベルの創始者こそが著者である、という理由もわかる気がする。
いつまでも作品を発表し続けてほしいと願う。ちなみに私の脳内でヘビーローテーションしたテーマ曲は、本書を読んだことで終息した。

‘2018/10/24-2018/10/24


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