『首折り男のための協奏曲』という題がつけられた本書。ミステリーのタイトルとしてありだと思うし、著者ならではのひねりの効いた題名だともいえる。表紙カバーの見返し部分には、辞典の項目のように「協奏曲」「首」についての定義が並べられている。もっともこの趣向、著者の今までの作品を読まれた方にはお馴染みなのだが。

「協奏曲」の項には、気の利いた定義が添えられている。「上手なピアニストと上手なオーケストラが同じステージに立ったからといって、名演になるとは限らない。」

また「首」の定義はこうだ。「普通は細く、折れやすいし折られやすい。人間の首は、この『首折り男のための協奏曲』に収録されている物語の数と同じ7つの頸椎によって支えられている」

この二つの定義は著者によって書かれたものだろう。あたかも本書の構成を宣言するかのように。連作短編集。それは、著者が得意とする形である。

本書に出てくる人物達は多彩だ。平凡な老夫婦。いじめを受ける中学生の中島。大男の小笠原。事件に巻き込まれ濡れ衣を着せられそうになる丸岡。依頼に応じて対象の過去を洗う探偵黒澤。そして謎の首折り男。

「大人になっても、人生はつらいわけ?」

本書の序盤で中島の口から発せられたセリフだ。

それに「中学生よりはましだ」と答える大男。

本書はいじめを扱う。いじめのつらさを語り、いじめに耐え抜いて大人になることを語り、大人の社会でも続くいじめを語る。

軽妙な会話の中に意表をつくウィットを挟む。著者の作品に一貫して見られる作風だ。本書においてもその作風は健在だ。クワガタや時空のねじれ、チャップリン。傍目には脈略のない話題をつなぎつつ、首折り男と黒澤を中心として連作短編は続く。

本書に収められた各編の中で、一番の異色作は「合コンの話」。実はここには首折り男も黒澤も他の人物たちも出てこない。それもそのはず、本書の各編はそもそも首折り男のための協奏曲として書かれたわけではない。それは本書巻末のあとがきで著者によって明かされる。もともとは様々な雑誌に発表した短編を、首折り男のための協奏曲としてまとめたものらしい。

そこで「合コンの話」だ。この作品には、箇条書きや報告書、メールの応酬など、いろいろな文章形式が混ぜこまれている。異色と言ってもいい。内容自体は、合コンに集った男女の織り成す人間模様が描かれるだけなのだが。

この新たな表現形式を模索するような一編は、単体であれば評価できる。しかし本書の中では明らかに異色である。浮いているといってもよい。恐らくは雑誌に発表したはよいがおさめるべき単行本がなく、本書に含めたのだろう。

本編以外は、発表された各編をもとに連作短編集として編み直したにしては良くできていた分、最後が画竜点睛を欠く形になってしまったように思う。それが残念だ。

最後の一編は別の短編集に収めるべきだったと思う。

‘2015/12/17-2015/12/20


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