著者は不条理な状況を描かせたらいまだに名前の上がる作家だと思う。
ただし、実際のところ、著者がなくなってから四半世紀が過ぎた。
その作品の多くは新潮社のサイトを見る限りではまだ絶版にはなっていないようだが、諸作品はだんだんと忘れられつつあるように思う。

それは、著者の不条理を描く舞台の設定にも関係していると思う。要するに舞台設定が古くなりつつあるのだ。
『砂の女』は単純な舞台設定であり、今でも通用する。
ところが、SF的な趣向を取り入れた作品などは、著者が活躍した当時に想定されていた未来が描かれている。ところが現代からみると古さは否めない。これは著者に限らず、他のSF作品にも当てはまることだ。

本書において、舞台は病院だ。病院自体は今でも通じる。
ただ、本書の小道具としてカセットテープが頻繁に登場する。それが古さを感じさせるのだ。

その古さは他にも病院内のいくつもの描写に表れている。そうした描写が、著者が描き出す寓意やメタファーの効果を減じさせてしまっていると思う。
とはいえ、作品にも著者にも罪はない。これも一度印刷されたら変更が効かない文庫本の宿命だと思う。

ただ、本書の肝は、著者が描いたさまざまなメタファーにある。だから道具立ての古さはいったん脇に置くべきだ。
それよりも、著者が描こうとしたメタファーの数々から著者の意図を想像したほうが本書は楽しめる。

人は普段、社会の中で己をさらけ出さずに生きている。体の不調や心の闇など。
しかし、病院はそうした隠し事を明らかにする場所だ。心に問題を抱える方は精神科であらゆる角度から分析され、心の闇を日にさらされる。体に問題があればメスがはいり、臓器は外気に触れる。レントゲンは透視という名の下、現像される。

人の生死が最もくっきりと分かたれ、もっとも混在するのが病院であることは周知のことだ。
それゆえ、患者側の感情はあらわになる。そして医療側はそうした痛みから防御するため、無関心の鎧をまとう。
片方の感情が抑圧されつつ、片方の感情は爆発する場が病院なのだ。感情の温度差が激しいほど混沌が生まれ、常識では測りがたい異形の物や不可思議な現象が呼び出される。

本書はまさにそうしたメタファーや異形のものが病院内に巣食う。
その表れが性の営みの異常な形だ。病院の殺風景な建物の中で、この世のものではないかのように性のリビドーが異様な姿に変容する。
常識を体現しているはずの病院で、整然と秩序に従うことは、いびつな圧力をリビドーに加える。

始めがまともな姿ならまだいい。だが、本書においては当初から不条理な姿をとっている。不条理に登場し、不条理に行動する。だから不気味なのだ。
その様子の裏に感じられる狂気。それが整然とした病院内で現れるからこそ、得体のしれない衝動が読者を襲う。

整然とした病院の秩序を表すため、著者はあえて急患受付台帳の様式を挿入する。唐突に文中に現れたその台帳には、署名され、印鑑が押され、整然と表現されている。
もちろん、この台帳が表しているのは病院の秩序であると同時に、世の窮屈さであり、抑圧の象徴でもある。

職場の役割分担や職階は、組織を統制し、回していくためには欠かせない。だが、それは感情に蓋をし、病院内のあらゆる物事を事務的に処理する振る舞いにつながる。
そうした秩序を守ろうとする営みは、感情を持て余す人々の狂気をますます呼び起こし、主人公をより一層不条理な状況に追いやってゆく。

つまり、著者が本書で描こうとしているのは、社会が根本的に抱えている歪みと矛盾そのものなのだ。
主人公をめぐる状況の変化は、私たちが社会の中で成長するにつれ感じるものと同じ。整然とした病院の裏にある狂気は社会の歪さの現れ。

私たちは本書の主人公のように、なんとかしてこの混沌とした現実を生き抜こうとする。
だが、社会を生きる以上、人と関わるほかはない。今の社会はオフィスで長時間、同じ時間を過ごすことが求められる。
それなのに、人の心はわからない。
長時間一緒にいると、なじみであるはずの人の心が見えなくなる瞬間がある。それは同じ職場で机を隣り合わせ、長い間、顔を合わせていても。

この事務仕事という営みがはらむ非人間的な側面は、今までの人類があまり経験してこなかったものだと思う。
他人同士が同じ空間に長いあいだ同居する。それは人がまだなじんでいない時間の過ごし方だ。
おそらく、家族とは、その時間の過ごし方で共有できるからこそ、家族として成り立つのだろう。

ところが、オフィスは別だ。近代の事務作業は、そうしたストレスに満ちた状況を人に強いてしまっている。しかも本書ではそこいら中に盗聴器が付けられ、ますます窮屈に描かれている。

何からも逃げようと病院を駆け回る主人公。そんな主人公が最後に過ごす場所が一人だけの密会。
現代の社会には自分自身にすら密会できる時間と空間がない、ということだろうか。

本書が発表されて四十年以上が過ぎ、ようやくわが国では新しい働き方が採用されつつある。
だが、本書が発表された時期はそうした矛盾がもっとも現れた時期だったように思う。
それを見事に現代の人間を追い詰める様として描いた著者の慧眼はさすがだと思う。

‘2018/11/03-2018/11/08


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 12月 6, 2019

One thought on “密会

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