世に歴史小説の類いは多々あれど、城郭建築をここまで書いた小説ははじめて読んだ。

もちろん、私はあらゆる歴史小説を読んでいる訳ではない。むしろごく一部しか読んでいないほうだろう。なので、私が知らないだけということもありうるだろう。それを踏まえていうと、ほとんどの歴史小説の主人公は武将や戦士や政治家ではないだろうか。僧や剣豪などもそれらの人々に含まれる。彼らは一国の内政や外交や軍事に専従し、采配を振るっては国を動かす。いってみれば彼らは歴史の表舞台で演ずることのできる人々。

しかし、本書の主人公は大工の棟梁だ。それも、戦国時代には欠かせない城郭建築を指揮する棟梁。つまり戦国史においては裏方となり、表に出ることの少なかった人々だ。そんな棟梁が主人公の歴史小説はあまりなかったように思う。少なくとも私は今まで読んだことがなかった。

戦国武将の中には、城郭建築の名手と言われる人物がいる。加藤清正公や藤堂高虎公などはその中でもよく知られた存在だ。が、彼らとて図面を引いたり工作したりといった建築の実作業を本職としていたわけではない。あえていえば、彼らは城下町も含めた城郭全体を脳裏に描き、それを大工に伝えることに長けていただけ。いわば、構想と施工の主に過ぎない。

つまり、彼らの構想は、それを形に写し出す技術者がいて初めて世に出るのだ。技術者つまり棟梁が居ないことには、城郭が形になることはない。それなのに、城を実際に建てた棟梁の名前となると、すぐには浮かんでこない。戦国時代には多くの城が建てられ、その多くは現代にも残っている。しかし棟梁の名が後の世に伝わっていることはほとんどないのだ。本書の主人公である尾張熱田の棟梁岡部又右衛門も同じ。おおかたの棟梁の事跡など歴史の地層に埋もれてしまっている。

だが本書は大工の棟梁つまり技術者が主人公だ。彼らの技術に焦点を当て、技術者としての矜持を描き出す。技術者の苦労に光を当てた本書は、私にとっては新しく興味深かった。

では、今まで城郭建築の面白さを書こうとした作家はいなかったのだろうか。私はいたと思っている。城は戦国の世に咲いた華。これほど目立つ存在なのに、その裏側を書こうとした作家がいなかったはずはない。ではなぜ、棟梁を主人公とした作品はあまりないのか。

その理由はいくつか挙げられそうだ。華や見せ場に欠けるという理由もあるだろう。だが一番の理由は、資料の難読性にあったのではないか。ただでさえ読みにくい古文書が、技術的な記載に埋められているとしたらどうだろう。それを小説として成り立たせようという作家は準備の時点で膨大な労力を強いられることになる。その労力を前にして、城郭建築を小説化しようとする幾多の試みが挫かれてきたのではないだろうか。

そう考えると、本書の重みも一層増すというものだ。著者が本書を書くにあたっての準備は並大抵のものではなかったはずだ。当時の古文書を読み込み、築城にあたっての苦労や挫折を調べ尽くす。その準備の上で本書を小説として面白く仕立て上げるための構成を練る。

結論からいうと、著者はそのすべてを成し遂げている。

特に、著者が苦労したのは棟梁が直面する技術的な苦労をいかに読者に伝えるか、ではないか。斬新な建築様式や城主の大仰な理想を形にするにあたって、棟梁の工夫や努力によって乗り越え実現する過程は、小説的な面白さに満ちている。むしろ、著者にとっては本書に小説的な面白さを加えることは楽だったのかもしれない。なにしろ、本書で取り上げるのは安土城なのだから。

安土城といえば、天下布武の拠点としての絢爛な姿が語り草になっている。そして、本能寺の変から間もなく徹底的に破壊されたことでも知られている。小説のネタとなるエピソードには事欠かないのだ。また、安土城には詳細な図面が現代に伝わっているともいう。なので、著者にとっての難業とは、築城術の奥義を小説に分かりやすく組み込む作業だけだったのかもしれない。

本書は、主君信長がまだ尾張の小領主時代、つまり大うつけと呼ばれている頃から始まる。棟梁岡部は、熱田神宮の練塀修理を信長から命ぜられ、見事に完成させたばかりか、門に個性を施した見事な普請を披露する。それが熱田神宮の祭神の御魂に届いたのか、主君は桶狭間の戦いで今川義元公を討ち取り戦国覇者へ名乗りを挙げる。大勝の陰に主人公の奉納練塀の功もありとして、主君に取り立てられることになる。主君が覇業への一歩を踏み出すごとに、岡部棟梁も付き従って拠点を移すことになる。やがて、安土こそが天下布武への拠点に相応しいとの主君の命によって、棟梁岡部は安土への築城を行うことになる。

安土への築城は、一筋縄ではいかない。なかでも棟梁を悩ましたのは、天守を七重の南蛮天主堂のようにせよとの主君の仰せ。つまりはキリスト教の教会によく見られるドーム状の巨大空間付きの天守だ。バテレンから最新の南蛮渡来の文物を見せられた主君は、すっかり南蛮びいきになってしまったというわけだ。

さらに主君の要望はドーム状の空間の上に、君主の居住空間を載せることにまで及ぶ。その無謀さと難解さはわれわれのような建築の素人にも想像できる。さらには天下布武の意向を世に知らしめるため、天守を金箔で覆う指示も加わる。重量は余分に嵩み、棟梁岡部の悩みも増す。

はたして命ぜられた工期内に天守と臣下の者たちが住まう町作りは成し遂げられるのか。そんな興味がページを捲る手を止めさせない。

著者はさらにさまざまな妨害を棟梁岡部の前におき、彼の悩みを一層深める。例えば六角氏の残党。めっきり勢力は衰えたとはいえ、本拠地観音寺城の目前に安土城を堂々と縄張りされて気分のよいはずはない。忍びを使って妨害工作を仕掛ける。柱に用いる巨木の調達も難儀である。畿内にはよい樹がない。それで敵地である武田領木曽産のもの、それも伊勢神宮遷宮の御柱用に用意されていたものをはるばる運ぶ安土まで運ぶことになる。また、堂々たる巨石が見つかったことで城の礎石とせよとの命が下り、途方もない重さのそれを山上へと運ばねばならなくなる。

混乱や大事故を乗り越え、棟梁岡部や総奉行丹羽長秀の苦心の甲斐あって、安土城はいったんは竣工なる。棟梁の面目は立ったものの、竣工後もあまりの重さに天守全体が沈下するなど、苦労は絶えない。

日本の歴史には、幾度となく文明流入の潮流があった。その中でも初めて西洋の技術を用い、西洋の意匠に合わせた安土城築城は屈指の出来事だったのではないか。築城に当たっての棟梁岡部の苦労の数々は、あたかも技術立国日本の原点を目の当たりにするようだ。本書では又右衛門とその息子以俊の職人としての魂と技の引き継ぎが描かれていることは見逃すわけにはいかない。親と子、棟梁と弟子の間に生じる葛藤や軋轢があり、はじめて匠の技は受け継がれていくのかもしれない。そうやって大工の誇りと技術が今日に至るまで日本の底で受け継がれてきたことは特筆しておかねばなるまい。

だからこそ、当時の技術の粋を極めた安土城が破砕されたことは惜しまれる。通史では本能寺の変の後の出来事は、中国大返しから山崎の戦いが描かれることが多い。だが本書は通史の本流にはあまり紙数を割かない。替わりに書かれるのは、安土城がこの世から抹消されるまでの経緯だ。そしてその経緯の一部始終は棟梁岡部によって目撃されることになる。己が築き上げた畢生の作品が亡きものになってゆくのを見守る棟梁の心中が察せられる切ない場面だ。

技術力がどれだけ進もうとも、覆らない真理もある。一度は完成したものが衰え風化してゆくのは必然といってもよいだろう。下剋上の風が幅を利かせ、既存の観念が無用となった戦国の世。そんな時代にあって、権力のはかなさや象徴の頼りなさを誰よりも心に刻んだのが棟梁岡部だったような気がする。

‘2015/11/25-2015/11/26


2 thoughts on “火天の城

  1. 水谷 学

    尊敬する歴史小説家のひとりというか、自分の中ではお手本というべき存在が山本兼一氏です。直木賞を獲ったということもありますが、伊東潤氏、仁志耕一郎氏の戦国テクノクラート作品群、本年度に読破した最高傑作の海道龍一朗氏の「花鏡」にも多大な影響を与えていると思われます。彼の凄い所は、専門家も顔負けの徹底した事前調査にあります。「白鷹伝」では、鷹文化の残るモンゴルにも行き、諏訪流鷹匠の大塚紀子氏の「鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術」にも勝るとも劣らない図解入りの用具の説明には脱帽しました。
    山本兼一氏の作品で読破済なのは、以下の通りです。

    『戦国秘録 白鷹伝』 鷹匠小林家次が主人公

    『火天の城』

    『雷神の筒』 報術師橋本一把が主人公

    『弾正の鷹』 『戦国秘録 白鷹伝』のベースとなった短編集の表題作は松永久秀が主人公でかなりおすすめです

    『信長死すべし』 信長の死を巡る様々な登場人物の中でも帝が黒幕になっているのが面白い

    『まりしてん誾千代姫』 立花宗茂の妻誾千代が主人公 宗茂と誾千代の人となりが良く分かりおすすめです

    『利休にたずねよ』 購入済ですが、未読です

    1. 長井祥和 Post author

      水谷さん、こんにちは。
      本書は参考資料や協力者として多数の建築関係の会社の名前が挙げられており、著者の徹底したリサーチのほどが伺えます。リサーチャーという仕事には常々興味があり、どういう仕事術を掌中の物として手早く膨大な調査を行っているのか知りたく思います。

      著者の本は、続いて別の小説も読んでみたい思いました。挙げて頂いた小説群も、取り上げる題材に一ひねりあって面白そうですね。もちろん火天の城以外は全て未読なので。

      楽しみが増えました。

コメントを残して頂けると嬉しいです

読ん読くの全投稿一覧