日本民俗学の巨人として、著者の名はあまりにも名高い。私もかつて数冊ほど著書を読み、理屈に収まらぬほどの広大な奥深さを垣間見せてくれる世界観に惹かれたものである。

本書は著者の多岐に亘る仕事の中でも、妖怪に視点を当てたものとなる。

妖怪といえば、私にとっては子供の頃から水木しげる氏原作のゲゲゲの鬼太郎のテレビアニメが定番だ。とくに子泣き爺や砂掛け婆や一反木綿や塗り壁の印象は、このテレビアニメによって決定的に刻印されたといってもよい。ゲゲゲの鬼太郎はアニメだけでなくファミコンでもゲーム化されたが、結構秀逸な内容だった。青年期に入ってからも、京極夏彦氏の京極堂シリーズによってさらに奥深い妖怪の世界に誘われることになる。京極堂シリーズはご存じのとおり妖怪とミステリの融合であり、該博な妖怪知識が詰め込まれた内容に圧倒される。さらにその後、私を妖怪世界に導いたのが本書で校注と解説を担当されている小松和彦氏の著作である。確か題名が日本妖怪異聞録だったと思うが、新婚旅行先のハワイまで氏の著作を携えていった。ハワイで妖怪の本という取り合わせの妙が強く記憶に残っている。

一時の勢いは衰えたとはいえ、最近では子供の間で妖怪ウォッチの話題が席巻している。こちらについては、もはや私の守備範囲ではない。しかし、妖怪ウォッチの各話では’70年~’80年代のカルチャーが幅広く登場し、明らかにアニメのゲゲゲの鬼太郎世代の製作者による影響が見られる。私も娘から何話か見せてもらった画、製作者の狙い通り結構楽しませてもらった。

上に挙げたように、平成の今も妖怪文化が連綿と伝承されている。そういった一連の流れの走りともいえるのが本書ではないだろうか。著者以前にも鳥山石燕氏や井上円了氏などの妖怪研究家がいた。しかし近代的な文明が流入した世にあって妖怪を語ったのは本書が嚆矢ではないかと思える。そのことに本書の意義があるように思える。

伝承されるさまざまな妖怪一体一体の発生について文献を引用し記している。語彙的な分析から筆を起こし、語源や各地での伝わり方の比較がされている。河童、小豆洗い、狐、座敷童、山姥、山男、狒々、ダイダラボッチ、一つ目小僧、天狗。本書で取り上げられる妖怪は比較的有名なものが多い。とくにダイダラボッチは私が住む相模原、町田に伝承が多く残っている妖怪であり、著者の解釈を興味をもって読んだ。

本書の良い点は、それらについての記述についての詳細な注解が附されていることだ。その労は校注者として名前が挙がっている小松和彦氏による。かつて私を妖怪学へと導いて下さった方だ。そして、本書の解説も校注者の小松氏自らが買って出ている。この解説こそが本書の価値を一段と高めているのだが、意外なことに小松氏は著者の事績を全て手放しで褒めてはいない。逆に堂々と批判を加えている。それは文献引用の不確かさや著者自身による創作の跡が見られることについての批判だ。

冒頭に書いた通り、著者の名前は日本民俗学の泰斗としてあまりにも高名であり、そのために、著者のいう事を鵜呑みにしがちなのが我々である。しかし小松氏は解説の中でそういった盲信的な読み方を強く諌めている。その権威を盲従せず学問的な姿勢を貫く点にこそ、本書の本当の価値が込められているのではないだろうか。もちろん、著者の価値がそれによって補強されることはあっても貶められることがあってはならない。近代へ移り変わる我が国にあって、旧弊の文化を辛抱強く掬い上げ、現代へと残してくれたのは紛れもなく著者の功績である。

著者の「妖怪談義」は名著として様々な出版社から出されている。が、角川文庫の本書こそは現代の視点も含めた柳田妖怪学を後世に正しく伝えていると言える。

‘2015/6/12-2015/6/18


3 thoughts on “新訂 妖怪談義

  1. 水谷 学

    柳田國男との出会いは、学生時代に漫画で読んだ荻野真氏の孔雀王(退魔聖伝)でした。荻野氏の著作から、真言密教、修験道、民俗学などに興味を持ちました。その後出会ったのが夢枕獏氏の陰陽師シリーズです。ほぼ全巻読破し、百鬼夜行などにも興味を持ち時々図書館で閲覧したりしています。最近では建築家伊東忠太が思わぬ妖怪博士ぶりで数多くの妖怪を創作しているのを見るにつけ、水木しげるに多大な影響を与えたのではと思います。新訂妖怪談義の優れているのは巻末の妖怪の語彙集です。森見氏のきつねのはなしで姿は見えないが、気配で人を恐怖に陥れる妖怪というものが小説のモチーフになるということに気が付き、江戸時代の幻獣を研究している中に、YKG活動で訪れた上原城のある永明寺山に羊のようなヤクのような幻獣がいたという文献を見つけました。執筆活動の中に妖怪変化の類も少し取り込んでいければと思います。

    1. 長井祥和 Post author

      水谷さん、おはようございます。

      孔雀王なつかしいですね。私も読んでましたよ。あそこから柳田國男氏というのはなかなか珍しいですね。

      いかにも日本的なものとして、まだまだ廃れさせていくには惜しいですよね。私も伊東忠太氏をはじめ、先日お亡くなりになった水木しげる(昨年は深大寺にも境港にも行きましたし)さん

      の世界に触れたこともあり、引き続き興味を持って追っかけていこうと思っています。まずは守屋山登頂でしょうか。

  2. Pingback: 柳田國男全集〈2〉 | Case Of Akvabit

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