悪意。この言葉から感じるのは、刹那的、衝動的とは逆の感情だ。長い時間をかけて熟成された感情。鬱屈といってもよいか。

この様な負の感情を描くにあたり、著者は告白文や独白という形式を採る。

告白文を書くのは犯罪の第一発見者野々口修。独白は加賀恭一郎刑事。加賀恭一郎といえば著者の作品に度々登場する主要キャラクターだが、刑事になる前に教師だったことは良く知られている。本書ではそのあたりの事情が描かれている。そして、野々口修は加賀の教師時代の同僚である。

人気作家の日高邦彦殺人事件の第一発見者である野々口は、事件を記録するためと称して文章を書く。加賀刑事に読ませたところ、記述の不審な点を加賀刑事に衝かれ、あっさりと殺害犯として逮捕される。

しかし、本書においては、それはほんの入り口に過ぎない。ここから、加賀刑事による果てしない動機探しの捜査が始まる。

駆け出し児童作家である野々口は、日高邦彦のゴーストライターだったのではないかと加賀刑事は推測する。そこらあたりの理不尽な扱いに耐えられなくなった野々口が日高邦彦を殺害したのではないかと。しかし本書はそんな単純な話ではない。

動機を目くらまそうとする野々口と加賀刑事の駆け引きは、二転三転とし、我々読者を翻弄する。果たして動機はどこにあるのか。

そのあたり、著者の筆に曇りはない。だが、本書の描写において、あえて普段は省きがちな描写も挟んでいる。我々読者はそういった描写一つ一つに、野々口の、いや、著者の仕掛けた罠が潜んでいるのではと疑心暗鬼となる。著者の術中にはめられて。

悪意とは、果たして何を意味するのか。悪意を持っていたのは野々口なのか、それとも日高なのか。

真相が明らかになった時、周到に仕掛けられた悪意を知り、読者は愕然とする。叙述の技の切れ味に。著者の筆力に。

そして、告白文や独白で構成された本書の著者の意図を悟るのである。

‘2015/04/29-2015/04/30


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