上巻では、ローマ帝国分裂後も東ローマ帝国として永らえてきたビザンチン帝国の滅亡をもって幕を閉じた。下巻では、そのビザンチン帝国を滅ぼした、オスマントルコの台頭をもって幕が開く。

ルネサンスを迎え、長きにわたって忍従の時にあったヨーロッパ文化が花開こうとする時、著者は地中海にのみ焦点を当て続ける。ハプスブルグ家にも、パリやウィーンの栄華にも、百年戦争やバラ戦争にすら、著者は目もくれない。

なぜなら地中海にはルネサンスを経た後も、海賊の跋扈が後を絶たず、沿岸部の庶民は、海賊の襲撃や奴隷としての運命に脅かされ続けているから。下巻は、あらゆる海賊行為の厳禁を宣言した1856年のパリ宣言で幕を閉じるが、それは19世紀半ばになっても海賊の狼藉が止まなかったことを示している。

むしろオスマン・トルコは、ヨーロッパ諸国への攻撃の一手段として、海賊を奨励し続けた。そのため、暗黒の中世にも劣らず、ルネサンス盛んな時代になっても地中海沿岸部の人々は苦しんでいたことを、著者はこの本書を通して訴え続ける。宮廷人による華やいだ饗宴や、革命騒ぎだけがヨーロッパ史ではなく、名もなき庶民の苦しみにも彩られていたが現実だったのですよ、と。また、キリスト教からイスラム教へ改修させられた人々の生き方を通し、イスラムの寛容についても突っ込んだ考察を行っており、キリスト教中心史観にも一石を投じている。

一方で、本書を通して、地中海を縦横無尽とした海の男たちの生き様も活写される。下巻では、ローマ法王、トルコのスルタン、スペイン皇帝、フランス王が主役となって歴史を動かしているように読める。しかし、その配下となって働いた海の男たちの活躍なしでは本書は成り立たないといってもよいだろう。例えばトルコの海賊から最高司令官に登りつめた「赤ひげ」を始めとする海賊の親玉たち。80代の年齢になっても意気盛んに海賊やトルコと対峙し続けたアンドレア・ドーリア。マルタ島をオスマン・トルコの攻撃から守りぬいた、マルタ騎士団と騎士団長のラ・ヴァレッテ。

歴史の中心が地中海から大西洋に移っていく様が、淡々と描写されていき、本書は幕を閉じる。読み終わってみて、従来の西欧中心史観でしか歴史を知らなかった己の無知を改めて知る思いであ
る。

昨年、私の大学時代のゼミの教授が亡くなられた。中世ヨーロッパの商業史が専門であったゼミでは、本書でも紹介される、フェルナン・ブローデル著の「地中海」を輪読する形式を採っていた。「地中海」も購入したはずが、そもそも一巻通して読んだ記憶もなく、内容もほとんど忘れてしまっている。不肖の教え子として、いまさらながらではあるが、「地中海」も読んでみることで、より一層の理解を深めるとともに、泉下の教授に不勉強の詫びを入れねば、と思った次第である。

’14/01/02-14/01/12


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