3か月前の1月に読んだ坪内祐三著「靖国」は、幕末の東京招魂社からの靖国神社の歩みを、膨大な周辺文化との関わり合いを通して解き明かした良書であった。

江戸から東京への境目を時間的にも空間的にも司ったのが靖国神社であると喝破したのは前述書である。一方で、昭和天皇に関する言及も、A級戦犯合祀についても触れられていない。政治的な喧噪とは一線を画した存在として靖国神社を規定していた。その記述の中で、靖国神社廃止がGHQによって検討されていたことについての記述が私の目を惹いた。私自身、無学にもそのような検討が為されていたことを知らずにおり、この問題は今に至るまでの靖国問題を解く上で鍵となる出来事ではないかと考えた。

本書は靖国廃止問題に焦点を当て、当時の関係者の奔走を通し、結果として靖国神社が残ったことで、日本と靖国神社が何を失い、何を守ったのかについて検証している。

本書の著者はNHK取材班である。NHKの特番といえば、相当量の取材をベースとしている。その骨太の番組構成には、常々私は信用を置いており、近現代史、特に第二次大戦中の特集はよく観る。本書はNHKスペシャル 靖国神社 占領下の知られざる攻防としてDVD化された特番の書籍版であり、特番の取材過程などが採り上げられている。

国内外のリサーチャーの調査から、当時のGHQの宗教担当者へのインタビューや故人の関係者を通して、靖国神社関係の書類がオレゴン大学で見つかるあたりなど、組織の力を借りた調査力について改めて思いを新たにする。また当時の陸軍省の美山大佐、靖国神社の横井権宮司による奔走も詳しく取り上げられている。当事者による証言の重みを感じずにはいられない。

GHQによる靖国神社取り壊しと遊戯施設建設の話は前掲書にも記載されていた。本書では横井権宮司による自主的な娯楽施設の併設案も証言されており、他にも靖国存続に当っての同氏の尽力は並々ならぬものがある。また美山大佐は、国破れたとはいえ、戦死者に対する国の慰霊行為の必要性を訴え、GHQを説得する。GHQは顧問である上智大のブルーノ・ビッテル神父より以下の進言を受けたことがよく知られている。

「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」

この談話の真偽はともかくとして、当時のGHQの葛藤として、民主主義の伝道者として信仰の自由を侵す、つまり靖国神社の廃止に踏み切ることができなかったことが詳らかにされている。このあたりのGHQの逡巡や議論、占領末期の諦念などが資料上に生々しく残っている点、これらを解き明かしたことに本書と特番の価値はあると思う。

また、靖国神社存続について、日本側の関係者が八紘一宇の本質を捻じ曲げてまでも靖国存続に向けて努力したことも、赤裸々に書かれている。私の感想としては、八紘一宇の理念は雲散霧消したかもしれないが、国の為に戦った方への慰霊施設、という本質は残すことができたのではないかと思う。むしろ東京招魂社としての由来からすると、後者の本質が残せたことのほうが遥かに重要なことではないだろうか。

確かにA級戦犯の方々はそれぞれがたとえ国を憂える心情からの行動であったとしても、結果として日本を敗戦へと導いた。その失敗は現世で償うべきものだったかもしれない。だが、日本古来の文化では敗者は死んだあとに貶められない。敵も味方も死んでしまえば水に流し、慰霊される存在だったはず。

私は上記の理由で、A級戦犯分祀や、国営の慰霊施設を別に作ることには反対の立場を採っている。ただし、実際に侵略された韓国や中国の心情を尊重しなければならないのは当然である。それは両国が今、プロパガンダとして繰り広げている挑発とは別の問題である。

なぜ靖国神社が残れたのか、または残されたのか。この経験から日本は何を得たのか。その成果は日本国民だけでなく、韓国や中国など日本が第二次大戦中に侵略した国々へ粘り強く発信し続ける必要がある。

昭和天皇や首相の参拝問題に右往左往するのではなく、こういった靖国神社の本質を蔑ろにしたまま、韓国や中国の挑発に反応しているのでは、いつまでも靖国問題は外交の火種となり続けるであろう。

’14/04/26-’14/05/02


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