常駐先の移転により、麹町で仕事をするようになったのは昨年3月のこと。昼はなるべく外出し、ともすれば単調なリズムになりがちな平日の心身を整えている。

私の散歩コースの中には、靖国神社も含まれている。昼食がてらの散歩にしては、オフィスから少々離れており、参拝を行う時間はない。精々、練塀を眺めるだけであった。しかし、この年になるまで、一度も靖国参拝を果たしていない私。靖国の近くで仕事をしている好機を逃したくない、との思いが強くなってきた。

本書を入手したのはそのような時期である。入手以来半年、なかなか読めずにいたが、読み始めるとすぐに、妻が靖国神社に参拝したいと言いだした。縁であろう。思い立ったが吉日、というわけで、最初の休みに家族で参拝する機会を得た。読書中の本書を小脇に抱えて。

神社という場には、日本人の心を落ち着かせるものがある。静けさに満ちた平時の佇まいもよいが、祭りでは、一転して賑やかなハレの場となる。ケガレを祓う神域でありながら、静と動の二面を持つところが、日本の心性に合うのかもしれない。

本書では、靖国神社が持つ静と動の側面を、九段周辺の地勢、そして江戸から明治に至る時の流れから解き明かす。そこは和文化が西洋文明に洗われる場であり、封建の幕府から開かれた政府へと生まれ変わる時期でもある。靖国神社が九段に建てられた理由も、下町の江戸文化と山手の明治文明の境目、つまり九段坂があったためではないかと著者は看破する。私もそのような視点を持って、坂上の靖国神社参道から九段坂を通して、坂下の神田方面を見た。なるほど、その主旨には頷けるところがある。

靖国神社の持つ繋がりは実に幅広い。本書が採り上げる期間は、靖国神社の創立経緯から、太平洋戦争で降伏した直後までとなる。その記述の中で登場する人物や建造物の数はかなりの数に上る。日本武道館とビートルズに始まるプロローグ。サアカス団から奉納競馬、力道山、そして小錦に至る、ハレの場としての境内。大村益次郎、明治天皇から大正天皇といった為政者から見た靖国の意義。河竹黙次郎、岸田吟香、二葉亭四迷と坪内逍遥といった文化と風俗の舞台となった靖国の存在感。大鳥居建立の経緯から、遊就館と勧工場を結ぶ、カペレッティを中心とした建築家の繋がりと、野々宮アパート、軍人会館といった、東京の中でも最先端建築の中心に位置する靖国神社。

本書を読む前は、私の中では、江戸の代表的な神社は、江戸総鎮守でもある神田明神であり、東京の中心である神社は明治神宮か東京大神宮と思い込んでいた。が、本書を読んだ後は、それが靖国神社であることに思い至らされた。それは、政治的な意味や、地理的な理由によるものではない。江戸から東京へと、西洋の事物を取り入れ巨大化したこの都市の、文化の発信源が、ここ靖国神社であったことによる。

実に多種多様な事物が、靖国神社を廻って繋がっている。上に挙げた関連する人物や事物にも西洋由来のものがかなり多い。そこには、靖国神社が従来持っているはずの、様々な価値観を取り入れる器の広さ、そして文化の重層性を訴えたい著者の想いが強く感じられる。国家主義ではなく、国際主義の場。その文化的意義を忘れて靖国神社を語ることの危うさについて、問題提議を行うのが、本書の主題ではないかと思う。

本書の中では、A級戦犯や富田メモ、国務大臣参拝などといった、戦後の靖国神社について回る一切の単語が出てこない。昭和天皇すら一度も登場しない。そこには、明らかな著者の意図が見える。政治的な論争の場としてではなく、文化的な豊穣の場。靖国神社とは、本来そのような場所ではなかったか。

今回の参拝では、大村益次郎像から休憩所までの空間を利用して靖国神社青空骨董市が開催されていた。かつては、この場所で競馬が開かれていたという。読書中にその舞台を訪問するという縁に恵まれた今回。本書の記述とその舞台を実地に見られたことは実に幸運であった。本書で紹介される膨大な関連性を理解するにはまだまだ時間が必要だが、まずは最低限の境内散策と本殿参拝が出来たことでよしとしたい。それまでに何度も本書の記述には目を通し、江戸から東京へと移り変わるこの都市が理解できるよう、努力したいと思う。

なお、娘連れであったことと、次の予定もあったので遊就館には行かなかった。次回、早めに機会を作って拝観したいと思う。少なくとも本書の主題とは直接関連していないとはいえ、靖国神社の祭神を理解するには展示物を観なければ。

’14/1/31-’14/2/5


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