本書もまた、私がNPO設立を模索する中で読んだ一冊。題名から読み取れるようにNPOの現状を憂い、警鐘を鳴らしている。

ドラッカーと云えば、「もしドラ」を通じて今の日本にも知られている。いうまでもなく、ドラッカーは、「もしドラ」の前から経営学では有名な方である。経営学だけに飽き足らずNPOにも関心を高くもち、関連著書も出している。著者はそのドラッカーに薫陶を受けたという。そのため著者は米国のNPO事情にも明るいのだろう。本書は米国のNPO事情の紹介にもページが割かれている。

そして著者は、日本のNPOに違和感を覚えるという。単にNPO先進国である米国のNPO事情と比べて日本のそれが遅れている、というだけではなさそうだ。「はじめに」ではその違和感について書かれている。その違和感がどこに向かっているかというと、どうやら日本のNPO運営者に対してであるらしい。行政から委託を受ける際の単価の安さ、について不満をこぼすNPO運営者。これが著者の目には違和感として映るようだ。行政から委託を受ける際の単価だけにNPO運営の焦点を当てているように見えるNPO運営者に対する違和感、というわけだ。つまり違和感とは、行政に依存することが目的化してしまっているNPOに対するものであり、それによって脆くも崩れてしまうひ弱なNPOのガバナンスに対してのものであるようだ。

2005年にドラッカーが亡くなった後、著者はNPO研究に改めて着手したとのことだ。着手するにつけ、改めてNPOが行政の下請け組織と化している現実を目の当たりにし、NPOの将来を憂えた。憂えただけでなく、本書を上梓してNPOの今後に警鐘を鳴らすことを意図した。「はじめに」にはそういった内容が書かれている。

だが、著者はNPOに反対の立場ではない。それどころか、日本にNPOが根付く切掛けとなった阪神・淡路大震災のボランティアの実態も見聞きし、その可能性を感じていたようだ。しかし、冒頭に書いたように、著者の期待は違和感へと変わる。前向きなのに後ろ向きに見える我が国のNPO事情が歯がゆい。著者はいう。NPOは自発的な公の担い手になり得るかが問われている。行政からの委託やアウトソーシングに甘んずること勿れ、と。

著者は教授職、つまりは研究者としての立場で本書を書いている。その立場からの目線で、NPOの下請け化がなぜ起こったのかを詳細に分析する。

指定管理者制度や市民協働条例など、行政からの委託の機会は増す一方のNPO。日本には寄付文化が定着していないこともあって、NPOの収入源は行政からのものになりがちだという。行政といえば、予算と支出のサイクルがきっちりしているので、NPO側にも定額収入が期待できるのだろう。さらには行政の指定業者となることでお墨付きを得られると感じることも多いのだろう。

また、我が国では下手に無償でのボランティアが広まっていたことも問題だろう。そのため、ボランティアなのだから幾ばくかの収入が入るだけでよし、としてしまう収入確保の意識が希薄なことも指摘されている。

さらに、本書で一番印象に残ったのは、NPOと行政のボタンの掛け違いである。つまり、NPOが思っているほど、行政はNPOをプロだと見なしていないということである。これは実際のアンケート結果が本書で提示されていた。そのデータによると実際に上記に書かれたような傾向があるらしい。行政はNPOに自立した組織を求めるが、実際は行政が携わる以上に成果を挙げることのできたNPOが少ないことを意味するのだろう。そこに、NPOが行政の下請けになりうる大きな原因があると著者はいう。

あと、本書では米国だけでなく英国における行政とNPOの関係に紙数を割いている。サッチャー政権からブレア政権に変わったことで、英国の経済政策に変化があったことはよく知られている。その変化はNPOにも及んだ。行政側がコンパクトという協定書を作成し、NPOとの間のパートナーシップのあり方を示したのがそれだ。サッチャー政府から「公共サービスのエージェント」とされたNPOが、ブレア政権では「社会における主要構成員の一つ」として見なされるに至った。コンパクトは政府がNPOに対して求める役割変化の一環であり、NPOを下請け業者ではなく主体的な存在として扱っている。なお、コンパクトの中では実施倫理基準、資金提供基準、ボランティア基準についての各種基準が準備されているそうだ。つまり、行政側も自らが発注するNPOへの契約内容にNPOを下請け業者化させる条項を含めない、それによって行政の下請け化が回りまわって行政の首をしめないように予防線を張っている。それがコンパクトの主眼といえる。

コンパクトに代表される英国政府のNPOに対する取り組みを読むと、日本政府のNPOに対する取り組みにはまだまだ工夫の余地があるのではと思える。

ここで著者は、NPOが下請け化に陥る原因を、NPOの資金の流れと法制度から分析する。特に前者は、私がNPO設立を時期尚早と判断する大きな要因となった。原則繰り越しや積み立てのしにくいNPOは、上手に運営しないとすぐに自転車操業、又は下請け化の道まっしぐらとなる。私自身、自分が運営するNPOがそうなってしまう可能性についてまざまざと想像することができた。つまり、私自身のNPO設立への想いに引導を渡したのが本章であるといえる。後者の法制度にしたところで、経営視点の基準がないため、下請け化を防ぐための有効な手立てとなっていないようだ。NPO関連法は我が国では順次整備されつつあり、NPO運営規制も緩和に向かっているという。英国風コンパクトに影響を受けた行政とNPOの関係見直しも着手されているという。しかし、著者は同時に法整備の対象に経営視点が欠落していることも危惧している。

資金やサービスの流れについては、公益法人法が改正されたことを受け、NPOとの差異が図に表されている。政府、税、資金調達、運営を四角の各頂点とし、その図を使って公益法人と一般企業、NPO企業との仕組みの違いを説明する。

最後の二章は、自立したNPOのための著者の提唱が披露される場だ。上にも書いた通り、問題点は明確になりつつある。果たしてここで披露される提唱が有効な処方箋となりうるか。処方箋の一つは、NPOは、公的資金と会費、寄付、サービス対価収入などの民間資金のバランスについての明確な基準を持つ必要があること。また、行政にはNPOへの理解が欠かせず、自立した組織になることを念頭にした対応が求められること。この二つの処方箋が示される。

その処方箋の前提として、著者はドラッカーのマネジメントに読者の注意を戻す。ドラッカーは顧客を重視した。行政や税制がどうこうするよりも、NPOのサービスを求めるのが顧客である以上、顧客に回帰すべきというのが結論となる。

ドラッカーの設問一 「われわれの使命はなにか」
ドラッカーの設問二 「われわれの顧客は誰か」
ドラッカーの設問三 「顧客は何を価値あるものと考えているのか」
ドラッカーの設問四 「われわれの成果は何か」
ドラッカーの設問五 「われわれの計画は何か」

当たり前といえば当たり前で、企業経営にとってみれば常識である。しかし、顧客重視がしたくても出来にくいのがNPO経営といえる。企業の評価手法や利益設定を単に当てはめただけでうまくいくほどNPO経営は一筋縄では行かない。顧客重視だけではうまくいかないNPO経営の難しさは、検討するにつれますます私の能力に余ることを実感した。その対案として、著者は英国政府とNPOのあいだで締結されているコンパクトの評価部分を我が国でも採用することを提案する。さらに、我が国においてはNPOの内容説明や開示にまだ工夫の余地があると指摘する。

最終章では、まとめとして、公からの資金割合が高い現状を是正し、民間からの資金割合を高めることを提言する。

結局は、私企業と変わらずにサービス収入を増やすしかないということだろう。

ここに至り、私はNPOとしての独自サービスをITの分野で行うことが時期尚早との判断を下した。当初は営利企業を設立し、その範疇で業務を行うことが適当だという結論に。残念ながら、今の技術者の単価は私も含めて高い。クラウドでかなり工数削減が可能になったとはいえ、NPOの単価は、営利企業で相場とされる技術者単価に釣り合わない。NPO現場の要望にあったカスタマイズを考えると、NPOに技術者をフルに関与させることは難しいと云わざるを得ない。

しかし、クラウドの変化は著しい。まずは一年、法人化してからクラウドの様子を見ることにした。技術者に頼らずクラウドを駆使することで、必要とされる現場へIT技術を導入することができる日もそう遠くないだろう。そのことを見極めた後、改めてNPO再チャレンジへの道を考えたいと思った。

‘2015/02/27-2015/03/05


One thought on “NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない

  1. Pingback: 非営利組織論 | Case Of Akvabit

コメントを残して頂けると嬉しいです

読ん読くの全投稿一覧