著者の本を読むのは「のぼうの城」「忍びの国」に続いて3冊目だ。
本屋の店頭で話題になっていた本書の記憶が残っていて、いずれ読むべき本として常に脳裏にあった。

瀬戸内海、特に村上水軍の伝説は、さまざまなご縁を通して興味を持っていた。
かつて、大久野島に単身で訪れたことがある。忠海から運搬船に乗って。その旅では尾道も訪れたように記録しています。坂の上から見下ろした狭い海峡が印象に残っている。
つい先年には、島田荘司氏の『星籠の海』を読んだ。その中で取り上げられていた村上水軍の残した秘密に興味を持った。さらにその後、福山でkintone Café広島にお招きいただいた際には鞆の浦を見学することもできた。
そうした経験の数々は、瀬戸内の島々の光景とあいまって、私に豊かな海のイメージを与えてくれた。

私は戦国時代の物語が好きだ。織田信長と大坂本願寺が戦ったことも知っている。
だが、その戦いに村上水軍も参戦していたことは、本書を読むまですっかり忘れていた。

私は村上水軍について十分な知識を持っていない。本書を読む時点でもまだ。
だが、本書は村上水軍についての知識を備えていなくても純粋に楽しめる。
というのも、本書の舞台は瀬戸内よりもむしろ大坂が主だからだ。

大坂、つまり大阪は、私が育った場所だ。つまり本書は、私にとって土地勘のある場所が舞台となっている。
これは私に本書を親しませてくれた。もちろん、当時の大坂の地形は今の大阪と随分違っている。

そもそも大坂本願寺は上町台地に飛び出た岬の突端にあり、今とはレベルが違うほど、天険の地だったこと。また、大坂湾の沿岸には堺の町を除いて目立つ建物がなかったこと。そのため、例えば村上水軍が明石の浦を超えた途端、大坂湾や大坂本願寺の様子が一望に見えること。逆に本願寺からは明石の浦に展開する村上水軍が見えること。今の大阪湾の距離感覚で考えると遠く思えるが、当時は近くに感じられたことは覚えておきたい。

ところが、いくら当時の距離感が今の感覚とはかけ離れていたとしても、軍船すら未発達だった戦国時代において、船の数の違いがどれほどだったかはわかりにくい。また、海賊の重んじる価値や、陸と海の間で違う軍の兵士のあり方など、今の私たちにとって理解しにくいことも多い。

正直に言えば、本書にはそこまで海賊の内面は描かれていないと思う。
そもそも海賊である以上、あらくれ者の集まり。やりとりされる言葉も現代の広島弁の原型より、さらにわかりにくかったはずだ。
ところが、本書に出てくる村上水軍の登場人物が操っている言葉は標準語に近い。いくら交易のため各地の言葉に通じていただろうとはいえ、ささいなことではあっても無視出来ない違和感となって最後まで残る。
大阪の海賊たちが達者な大阪弁を操っていただけに、喋られるべき言葉が期待と違うのは残念だ。
本書について海賊のことが描かれていたかと問われる前に言葉が、と言うしかない。

本書はそうしたささいな点を除けば、読むべき内容も多い。特に、大局を見通す目の大切さだ。戦国の殺伐とした世にあって、その能力がより重んじられていたこと。大局を見通す目の大切さを著者は本書の随所に挟む。
大事の前の小事にはこだわらない。それは本書の全体を通して感じることだ。

本書の主人公”景”は、海賊の心意気を存分に持っている。野放図ななりをする粗野な醜女として、近隣に名を轟かせていた。村上水軍の長、村上武吉の娘として。
本書のタイトル通り、村上水軍で育った強さを持ちながら、まだ世間を知るには経験が足りない。そして未熟な行いをする。

“景”に比べて父の村上武吉や毛利家を支える小早川隆景の大局を見通す目。
大坂本願寺で信長に歯向かい続ける顕如のこだわりが時代の大局とは逆を行っていること。大坂本願寺を中心とした一連の攻防の中で木津川砦や天王寺砦をめぐる小競り合いも、しょせんは大局の前の小局にすぎない。

大局を見るとは、身の回りのことを気にしない、ということとは逆だ。
気にしない、のではなく身の回りのことにこだわらない。そして、本当に必要なものに向かってゆくことなのだと思う。

だが、実際に人が現実を前にした時、局面の大小など気にする余裕もないのも事実。
例えば本書に出てくるような木津川砦の戦いに参加したら、周りの兵たちと同じ動きをしなければならない。一人だけ違う動きをしたら、たちまち仕留められ、命を失うのが落ちだ。
つまり、自らがそれぞれの局面でそれぞれの適性を見極めた上で適した振る舞いをする。その繰り返しによって大局観は養われてゆく。
修羅場が続いても命を存えさせる。ということはすなわち、その場ごとに適した振る舞いをし続けたことになる。ということは、自然と周りからも大局観の持ち主と認められる。

もちろん、ただ生き延びるだけでなく経験も必要だ。だから”景”が向こう見ずに飛び込んでゆくのは決して間違ったことではない。
経験を積まねば、適した振る舞いをしようとしてもやりようがないのだから。

上巻では”景”は大坂本願寺のために駆けつけようとする一向宗の漁民を連れてゆく。そして、本願寺へと送り届ける。
そこで目撃した戦いの血腥さや、陸戦ならではの戦い方。それは”景”に自らの未熟さをつきつけ、経験をつけさせる。

また、大坂の南の方にある淡輪辺りを根城にする眞鍋海賊が”景”の容貌を褒めそやす。そして、実際にその頭目である七五三兵衛から想いをかけられる。その経験は、自らの容貌が劣り、女子に似つかわしくないと言われ続けた”景”に価値観の違いを感じさせる。

‘2019/10/9-2019/10/10


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