先日の第一回ハマドクで取り上げられた「WORK SHIFT」。この本についてのレビューは先日書いた。それからしばらくしてから本書を手に取った。英国エコノミスト誌は著名なビジネス誌として知られる。その錚々たる筆者達がそれぞれの専門分野に焦点を当てて、2050年の世界を予測したのが本書だ。2050年とは、「WORK SHIFT」が予測する2025年のさらに四半世紀先の未来である。はたしてそれほどの未来を予測しうるのだろうか。

「はじめに」では編集長のダニエル・フランクリン氏が筆を執っている。そこで氏は、今後四十年間に起こる重大な変化の一部は、かなり高い精度で予測が可能だ、とぶち上げる。続いて、本書の執筆者達が未来を予測する手法として指針とする四つの項目を挙げる。それは、
一、 未来を予測するために、まず、過去を振り返る
二、 単純に過去を未来に当てはめるのではなく、そうした流れが途絶することを積極的に見越していく
三、 アジア-とりわけ中国-の隆盛を重視する姿勢
四、 未来予測産業の大多数と対照的に、前向きな進展の構図を書き出そうとする

編集長の述べた共通項の四項目にも見られるように、本書の視点は総じて楽観的といえる。その楽観度合いは先日読んだ「WORK SHIFT」よりも格段に高い。ある意味でそれは救いのある視点ともいえる。ジャーナリズムとはとかく警鐘を鳴らし銭を稼ぐのが仕事と思われがちだ。しかし本書はそういった読者の危機感につけ込む手法はとらない。それはジャーナリズムとして傾聴に値する態度ではないだろうか。だが、本書の論調が楽観的であることが、すなわち安泰を意味するのではないことは承知の通り。なぜなら本書第二十章「予言はなぜ当たらないのか」で書かれているとおり、人間は困難を避けたり克服したりすることのできる動物だから。つまり本書を読んで安穏とするのではなく、本書を読んだ上で読者一人一人に気づきが求められるのである。

本書で取り上げられる対象の範囲は広い。第一部で人間とその相互関係。第二部で環境、信仰、政府。第三部で経済とビジネス。第四部で知識と科学。それぞれの部は各五章に分解され、さらに詳しく解説で紙面が割かれている。
第一部 人間とその相互関係
第一章 人口の配当を受ける成長地域はここだ
第二章 人間と病気の将来
第三章 経済成長がもたらす女性の機会
第四章 ソーシャル・ネットワークの可能性
第五章 言語と文化の未来

第二部 環境、信仰、政府
第六章 宗教はゆっくりと後退する
第七章 地球は本当に温暖化するか
第八章 弱者が強者となる戦争の未来
第九章 おぼつかない自由の足取り
第十章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか

第三部 経済とビジネス
第十一章 新興市場の時代
第十二章 グローバリゼーションとアジアの世紀
第十三章 貧富の格差は収斂していく
第十四章 現実となるシュンペーターの理論
第十五章 バブルと景気循環のサイクル

第四部 知識と科学
第十六章 次なる科学
第十七章 苦難を越え宇宙に進路を
第十八章 情報技術はどこまで進歩するか
第十九章 距離は死に、位置が重要になる
第二十章 予言はなぜ当たらないのか

各章には章末にまとめのページが設けられ、読み終えた後に反芻することが可能となっている。

上で各部と各章を挙げたのには理由がある。それはここで各章の内容を挙げることで、本書の予測が可能な限り地球の未来を網羅していることを示すためだ。各分野で世界のこれからを網羅的に予測しているのが本書である。しかも楽観的な視点にたって。

第一章は人口動向による成長地域を分析する。この手の予測には人口の動向を把握することが不可欠となる。そのことは、未来予測の類や人口学をかじるにつれ私にも理解できるようになった。日本の諸問題も外国の諸問題もその原因を追究していくと詰まる所は人口比率による要因が大きい。先進国は家庭労働の担い手が不要になるため人口減の傾向が続き、発展途上国においては人口、特に労働年齢人口の増加率が高くなる。労働年齢人口が増加するとその国の経済状況は好転する。そのことは識者によって常々指摘されていることだ。そのことから、2050年のGDPにおいて上位を占めるのは現代の上位国ではなくこれら新興国であると本書は予想する。そして、現在の人口爆発国家である中国は逆に行き過ぎた人口抑制策が人口のバランスに悪影響を及ぼし、急速に成長を鈍化させるとみている。インドもまた同じ。逆にアフリカや中東が人口の増加が経済成長を促すとしてその成長を期待する。

以降、二章からはそれぞれの主題ごとに予測が記述されている。より広範に、人類、そしてこの星にとって重要と思われるテーマが並べられている。個人的には人類を襲う災厄や、人類の精神的な進化にもページを割いてほしかった。が、40年弱の期間だと、ここで取り上げられたテーマが妥当だろう。私にも異論はない。

そんな中、本書の主張する一番の骨子は、最終章である二十章に集約されていると思える。

その理由は、予測という行為そのものを取り上げているからだ。予測と言えば、人類滅亡につながる悲観的なものが目立つ。かのノストラダムスのオカルトめいた予言から、現代のW2Kや地球温暖化といった科学的な知見からの予言まで、悲観的な予測には際限がない。本章ではそれら予言の概括を経て、なぜ悲観的な予言が多いのかについて分析の筆を走らせる。

私自身でも、悲観的な論調にうんざり感を覚えることが多い。それでいて、悲観的な予言を見かけると、ついつい楽観的な予言よりも目が行ってしまう。これは或いは生存本能から来る精神の働きなのかもしれない。そういった人の心が惹かれる仕組みと、なぜ悲観的な予言が当たりにくいのかについて、本章では詳細に論ぜられている。各章の予言のそれぞれもさることながら、本章の予言に対する考え方それ自体に蒙を啓かれた。

その一方で、十八、十九章に書かれた技術的な内容には新味がなかった。少なくとも「WORK SHIFT」に記載されていたような技術的に踏み込んだ内容にはなっていない。もっともそれは、章毎に割り当てられたページ数からして仕方ないのかもしれない。他の章もまた同じ。それぞれの専門家の予測はより詳細に可能なのだろうが、本書のような形で発表するにはどうしても要約的、概略的になってしまうのだろう。それと同じように、各章の記載内容は、それぞれの専門家から見ても物足りないものなのかもしれない。

しかし本書はそれでよいのだ。今の人類を取り巻く問題の数はあまりにも幅広い。なのでもはや一個人がカバーするには不可能なレベルとなっている。本書はそういった諸問題のこれからをわかりやすく書いている。全ての読者にとってわかりやすくするため、各分野を概括的に書くのは当然といえる。

そのため、私としては様々な問題を把握するためには、こういったレベルの書籍は必要なわけだ。また折に触れて読みたいと思う。

’2015/8/6-2015/8/10


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