本書は、お客様が入居するオフィスビルの共用スペースに置いてあった。ちょうどその時、帰りに読む本を持ち合わせていなかったのでお借りした。そんなわけで、本書についても著者についても全く知識がなかった。なんとなくタイトルに惹かれたのと、読むのにちょうどよい分量に思えたから選んだだけのこと。ノーマークだし期待もしていなかった。ところが本書がとても面白かったのだ。まさに読書人冥利に尽きるとはこのこと。

膨大な借金を抱えた見知らぬ四人が一軒家に集められ、鈴木なにがしを名乗って暮らすよう強制される。一年間、同居生活をやりとげ、偽装家族であることがばれなければ借金はチャラにする。それが謎の黒幕からの指令だった。

それぞれの事情を抱えた四人は、借金を完済する同居生活に突入する。タケシ、ダン、小梅、カツオ。四人のうち、小梅とカツオが偽夫婦、ダンが偽息子、タケシは偽爺さんという設定だ。彼らの日々は平穏に済むはずがない。たとえば隣人に住む一家の美人の奥さんに恋をして、なおかつ落とせ、などという無謀な指令がカツオにくだされる。そんな指令に従いながらも、四人は何とか生活を送る。小梅は小梅でかつて磨いたレストラン経営の腕をいかし、自炊して四人を食わせる。

本書は四章に分かれている。それぞれの章は一年間の四季があてられている。ちょうど彼らの同居生活に合わせて。それぞれの章は、四人のそれぞれの視点で語られる。四人の生活は指令を乗り越えつつ、無事に季節は過ぎてゆく。そして、物語はハッピーエンドへ向かうように感じられる。なにしろ一年間の同居生活は毎日が規則正しい。そして小梅のつくる料理は栄養価もよいので、四人は健康体になってゆく。ところが最後にどんでん返しが待っているのだ。

本書のような設定は、不動産競売のための先住要件を満たすための手段としてよく知られている。宮部みゆきさんの『理由』でも似たような状況設定が描かれていた。いわゆるヤクザによって集められた者たちが仮面家族を演じる設定だ。ところが、そう思って読んでいると思わぬ落とし穴にはまる。本書の裏側を流れるカラクリに一回目ですべて気づくことのできる読者はいるのだろうか。私はほんの一部しか気づかなかった。本書の分量はさほど長くなく、むしろ短い。それなのにきちんと布石が打たれ、きれいにオチがつけられていることに驚く。しかも見事などんでん返しまで用意して。実は著者ってすごい人やないの。

後に著者のことを調べてみた。それによると著者は劇団を主催しているそうだ。そういわれてみると、本書には地の文による状況説明が少ない。物語のほとんどはセリフと登場人物の行動だけで進んでゆく。それは舞台芸術の流れそのものだ。また、ちょっと見ただけではそれぞれのセリフには大した意味は含まれていないように思える。実際、本書を読み終えてみてもそれらのセリフに深い意味はなかったことに気づかされる。これも聞いてすぐに観客の記憶から流れていってしまう舞台のセリフの感覚そのものだ。本書を構築しているのはシンプルな骨格とどんでん返しのためのわずかなギミック。

そして著者はあまりセリフに意味を与えず、短いストーリーの中で見事にどんでん返しをやってのける。これぞ舞台で鍛えられた腕なのだろう。または舞台のだいご味といってよいかもしれない。それは研ぎ澄まされたライブ感覚が求められる舞台上で鍛えられてきたのだろう。本書からは小説のすごさだけでなく、舞台芸術の持つ実力すらも教えられたように思う。

与えられた時間軸の中で効果的な印象を与える。それは舞台やテレビ関係者が書く小説で時折感じることだ。百田尚樹さんの短編集からも同じ感覚を感じた。おそらく、これは映像的な感覚をもっている作家に特有のスキルなのだろう。二つの芸術に共通するのは時間軸だ。時間の進み、そして時間の区切り。彼らはその制約をものともせず、舞台やテレビの仕事をやってのけている。時間をわがものとし、それを小説の中にうまく取り入れている。この気づきは私にとって新鮮だった。

本書の帯にはこういう文句が書かれている。
「ラスト7行の恐怖に、あなたは耐えられるか?」
この文句は少々大げさだ。恐怖は感じない。だが、ラスト7行のうち、初めの3行については、3回ほど読み直すことをお勧めしたい。別の意味の恐怖を感じるはずだ。それまでそのようなからくりに全く気付かずに読んでいたことに。そして、著者の筆力が自らの読解力を上回っていた事実に。私は最初、3行の意味を深くとらえておらず、恐怖は感じなかった。だが、本稿を書くにあたってもう一度本書を読んでみた。そして、ラスト7行のうち、最初の3行が抱く真の意味に気づきおののいた。

本書を読み、著者の他の作品を読んでみなければ、と思わされた。まったく、こういう出会いがあるから読書はやめられないのだ。

‘2017/06/21-2017/06/21


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