一冊や二冊読んだだけでその作家に苦手意識を持ってしまうことってないだろうか。私にとっては道尾氏がまさにそうだった。著者の作品「向日葵の咲かない夏」「月と蟹」の二冊を読んだのは大分前のこと。両方とも傑作。それは確か。でも、それぞれが発するダークな筆致にあてられてしまった。私がページをめくる指は重く、読破するのに負担を感じた。以来、著者の作品から遠ざかってしまっていた。

そして本作である。

著者が直木賞を獲ったことは関係ない。本書を手に取ったのは何気なくだ。だが、本書によって私の著者に対する苦手意識は払拭された。一冊や二冊読んだだけでその作家を評価することなかれ。本書からはあらためてその事を教わった思いだ。

本書の題材はコンゲームだ。騙し騙される詐欺師の頭脳の冴え。本書では騙される読者の快感が堪能できる。冒頭から著者は繰り返し読者をだます。手品師が使うミスディレクション、つまり読者の気をそらす技術が惜しげもなく使われる。ミステリーは読み慣れているつもりの私だが、本書を読んでいる間、幾たび著者にしてやられたことか。そして、何度も引っ掛けられたことが悔しくないのだ。嫌味にも感じなかった。そう思えるほど鮮やかな手際だ。

読者を騙す手管といえば叙述トリックが真っ先に出てくる。どうとでもと受け取れるかのような修辞技法を使ったトリック。それは読み手を騙す手段としては王道だが、読み手にとってはすっきりないことが多い。読み返さねばならないから。だが、著者は読者を引っ掛けた直後にネタをばらす。つまり読者は騙されても前を読み返す必要はない。その場で、やられた!と額を叩くかもしれない。でも、騙されたことを後に引きずることはない。その場ですっきりと割り切れる。本書を読んでいて感じたのは余韻の軽やかさだ。

本書のトリックを明かすことになるので結末は書かないが、本書で一貫しているのは人間への優しい視点だ。序盤で明かされる主人公の生い立ちは暗く滅滅としたものだ。それだけに、読み終えたあとの余韻が余計に爽やかとなる。本書からは「向日葵の咲かない夏」「月と蟹」に感じられた重苦しい人間性への嫌悪や不信は微塵も感じられない。

むしろ人間不信からの救いこそが本書のテーマではないかと思えるほどに。

本書の登場人物たちも騙される。騙されて悪の道から救い出される。あからさまな悪ですらオセロの一手が黒を白に返すように浄化される。そんな爽快感に満ちているのが本書だ。

私の読んでいない著者の作品は他にも多くある。その中には、私が忌避したようなダークな味付けの作品も混じっていることだろう。しかし、例えそれを読んだとしても、それをもって著者の作風と決め付けることはするまい。その作品自体の作風と思うことにする。すでに私は作風について著者に大きく騙された。本書の結末を知って再びだまされた。ではこれからはどうか? 二度あることは三度はない。三度著者に騙されることのないようにしたい。

‘2016/03/09-2016/03/11


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 2月 27, 2017

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