最近、言論者として売れっ子の著者であるが、その言説には臭みを感じず、私も違和感なく御説を拝見している。

といっても私も読む言論雑誌などホンの一握り。最近は新聞さえろくに読んでいない状態だけに、御説に関してどうこういうつもりは毛頭ない。ただ、著者の論調には右だ左だといった偏りがないように思える。自ら律してバランスを保つというよりは、骨太な筋がどすんと通っていて、ぶれないという印象を受けていた。

本書を読み、その骨太な筋を作り上げた年輪の一端に触れることができたように思う。

いうならば、著者の思想史であり、思想の自叙伝である。

不勉強故に、著者が神学部出身ということを知らずにいた私。そもそも神学系の書物など、新約・旧約の両聖書ぐらいしか読んだことがない。当然、文言から○○伝の○○章を即座に結びつけられるような教養も足りない。

なので、インテリジェンスと神学とマルクス主義がなかなか結びつかなかったけれど、著者が何故外務省を志すようになったのかという経緯について読み取れた。また、マルクス主義といえば、学生運動やセクトの争いなど、枝葉に視点が行きがちである。しかし、本書からはイデオロギーではなく学問としてのマルクス主義を探求する著者の姿勢が読み取れる。学問としてのマルクス主義は、涸れた泉ではなく、まだ得るものもあるのではないか、という思いも受けた。

本書を読んでいて、著者の真面目な物事の捉え方に感銘を受ける思いである。が、ここまで真摯に学問を追い求めた人も、外務省という組織の中では生き切ることができなかった。私がいうことは失礼ながら、個人の内面で真理を追い続けることと、組織の中で組織の意を体現すべく歯車となることは、人生の中で両立できるのだろうか、という疑問がぬぐえない。

その疑問を払拭するためにも、著者の他の著作には目を通し、外務省を追われた顛末や、神学的な真理探究のその後について、読んでみたいと思う。

’12/05/02-12/05/10


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 7月 27, 2014

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