ひめゆりの塔

私がひめゆりの塔を訪れてから、二十年以上が経つ。

その年月は、細かな記憶をだいぶ薄れさせてしまった。どんな外観だったか、どんな入口だったか。もはや覚えていない。けれども、展示ホールに漂っていた雰囲気は今も心に鮮やかだ。鎮魂歌が流れる展示ホールの壁一面にはひめゆり部隊の方々の写真がずらりと。皆が少女の姿でわれわれ来館者を見下ろしていた。私に強い印象を与えたのは、その厳粛で荘厳な雰囲気だ。

他の展示内容はあまり記憶に残っていない。敵から身を潜めたガマ内部のジオラマや負傷者を看護するひめゆり部隊の姿など、悲惨な戦場の様子が再現されていたように思う。だが私の記憶はおぼろげだ。

ひめゆり部隊の皆さんが経験した戦場の悲劇とは、もっと生々しいものだったはずだ。より騒々しくより切迫感に満ち、人の発するあらゆる臭いや兵器の漂わせる金臭さ。そのような生々しさは厳かな展示ホールからは一掃されていた。いつまでも若々しく美しい写真の中の彼女たち。われわれは、彼女たちの御魂安らかなれ、と祈るしかないのだろうか。彼女たちの生涯が惨たらしい状況に閉ざされたことよりも、荘厳で清らかな天界に昇った姿で記憶すべきなのだろうか。

断っておくと、展示のあり方に物申すつもりは毛頭ない。むしろ彼女たちが払った犠牲の尊さに、胸の塞ぐ思いが残っている。二十年たった今も厳粛な雰囲気が記憶に刻まれているということは、それだけ展示に訴える何かがある証だ。展示ホールにはそれだけのインパクトがあった。

だが、それだけで良いのだろうか。彼女たちの経験した悲劇をそうした印象で固定してしまう事は正しいのだろうか。彼女たちは紛れもなく生きていたことを忘れてはならない。壁に掲げられることで、彼女たちは神格化にも近い扱いを受けている。生身の人間だったにもかかわらず。ただ、重く苦い時代に産まれてしまっただけの。壁に掲げられたひめゆり部隊の皆様は、時代の犠牲者として額に固定されている。それで済ましてしまって良いはずはない。

本書はひめゆり部隊についての小説だ。史書でもないしルポルタージュでもない。本書は一貫して当事者からの視点で描かれている。書き手の神の視点から見下ろし、劇の登場人物を操るように彼女たちを書かない。沖縄戦の当事者であるひめゆり部隊の乙女たち。彼女たちの目に映った戦場は理不尽だ。その不条理を描くにあたって著者は完全と言って良いほど自らの姿を隠し通している。本書で著者は戦場の現実をひめゆり部隊の彼女たちに語らせていることに徹する。戦場とは最も似つかわしくない若い女性の視点は戦争の非現実性を際立たせる。ひめゆり部隊と名付けられていても、隊員は十代の乙女たち。彼女たちの目を通して見た戦場は、何が無意味でどこが歪んでいるのか。

あの年頃の女子高生の感情の揺れ。それは娘を持つ私にも心当たりがある。移ろいやすく、何にでも笑い、少しのことに傷つく。大人都合での物言いに反発する。それは時代を遡った当時も同じはずだ。

ひめゆり部隊の皆さんも、沖縄が戦場となる前は、屈託ない女学生の生活を謳歌していたことだろう。美しい献身の心と他人を羨み妬む心を同居させた大人と子供の境目を揺れる女性として。登場するカナ、雅子、時子、ミトは皆、そのように描かれる。

彼女たちは真っ直ぐだ。国体護持も八絋一宇も関係ない。ただ、自分達が置かれた理不尽な現状を真っ直ぐに憤る。

14ページ
「わたしたちは、たくさん見てきたわ。でも、美しい死にかたって一つもなかったわ。みんなむごたらしく、みじめで、みにくかったわ。『天皇陛下ばんざい』をいった者はひとりもいなかったわよ」

81ページ
(沖縄だからがまんできるんで、本土がこんな目にあったらたまらんよ!)ある将校がぬけぬけといい放った一言だった。

134ページ
「国なんか、もうどうでもいいのよ!わたしはただひとりの人間を殺してやりたいと思うだけよ!」

徐々に南へと追い詰められてゆく彼女たち。皇軍のため全てを犠牲とすることを求められる日々。だが、そんな中でも彼女たちは理想を、人間としてのあり方を考える。そして美しい死を死にたいと願う。その一方でカナの従兄真也への恋心を秘めつつ、恋敵として穏やかならぬ感情を競い合う。学校の中での立場や名声を羨み、妬み合う。ここには彼女たちを一切美化せず、生身の乙女として書こうとする著者の意思がある。

兵隊にも色々といる。戦陣訓が顔に大書されたような軍人もいれば、彼女たちに生き延びることを諭す軍人細川のような人もいる。マナ達に戦場での実態や戦局の​推移を語る真也も大局から戦場を時代を見据えようとしている。本書に登場する人物は善悪を一面化せず、複層的に描かれている。それもまた評価できる。

24ページ
「とんでもないことだ!絶対に死を求めてはいけません。求めなくても、死はくるべき時にきます。生きぬけるだけ生きなければならない義務があることを、あなたは知らなければいけません。兵隊の道づれなんて、それこそとんでもないことです」

このように登場人物のセリフを紹介すると、著者の思想傾向をアカだ左だあげつらう人もいるだろう。だが、私はそうは思わない。著者自身のあとがきには、詳しい沖縄戦の概要とその後が解説されている。だが、昭和天皇の戦争責任や、とうとう沖縄訪問が果たせなかったことについては一切触れていない。上に引用したとおり、昭和天皇を揶揄したような悪口は確かに本書で吐かれる。しかしそれら悪口は、昭和天皇個人ではなく、戦争の象徴であり統帥権の総攬者としての昭和天皇に向けられているように思える。

そもそも、本書で著者が問いたいのは国體のあり方や経済制度といったイデオロギーではないと思う。 なぜ我々がこのような弾幕地獄の只中で這いずり回っているのか、なぜ軍人に国の礎となることを強制されるのか、という怒り。沖縄を本土防衛のための捨て石の戦場とした指導者への告発。それほどまでに、唯一の地上戦の戦場となった沖縄が背負わされた現実は深刻だったのだと思う。著者が拠っているのはイデオロギーではなく、沖縄が強いられてきた悲しみの歴史である事は見間違えてはならない。

本書の解説のなかで、岡部伊都子氏が貴重な指摘をしている。本書に出てくる女学生の誰もがウチナーグチを喋らず、ヤマトグチを操っている事に岡部氏は初読で違和感を感じた、と。それは皇国臣民として標準語を強制されたからだ、と指摘している。実は私は本書を読んだ直後、その事に迂闊にも気づかなかった。多分、それは私が本土の人間に染まっているからなのだろう。本土の人間で、なおかつ戦後30年近くたってから生まれた私には、沖縄戦の現実など所詮は理解できそうにないのかもしれない。

私は、日本が十五年戦争に突き進まなければならなかった事情は理解する。でも、それと沖縄県民が払った犠牲は別に考えなければならないと思う。海軍の大田沖縄方面根拠地隊司令官が自決一週間前に海軍次官宛に送った電報の締めくくりの言葉は有名だ。
「沖縄県民カク戦ヘリ。 後世沖縄県民に対し特別な御高配のあらんことを」
大田司令官が遺言として訴えた言葉には、当時の軍人にも本書の細川や真也のような人物がいた事を示している。だが、大田司令官の願いは今もなお叶えられてはいない。それは基地問題で明らかだ。

戦争は悪だ。戦争は悲劇しか産まない。それは言うまでもない。そして、沖縄県民は身に染みて感じているに違いない。なのに中国の領土拡張の野心の矛先は、尖閣諸島を含んだ沖縄に向いている。それは残念だが事実だ。北朝鮮という暴発国家も依然として健在だ。きな臭い国際政治の交点に沖縄が位置している事。これは沖縄に入って如何ともしがた地政学上の宿命だ。だが、それを単に宿命と片付けるのは、沖縄の方々があまりに気の毒だ。

それは、基地に挟まれた地に住む私にとっては、看過してはならないもんだいのはず。だがヤマトグチで喋るひめゆり部隊の彼女たちに違和感を感じなかった私は、まだ他人事として考える部分を持っている。そして20年前の訪問の記憶を薄れさせようとしている。

本稿をアップする少し前に妻がひめゆりの塔を訪れた。そして私は本稿を推敲することで本書の内容を深く思い返した。さらに、来たる六月の私の誕生日祝いに沖縄を独り旅する機会をもらった。当然、沖縄を訪れた際は、20年ぶりにひめゆりの塔を訪れたいと思う。そして本書から得た印象と彼女たちの遺影を重ね合わせてみようと思う。その時、20年間私の中で止まったままだった彼女たちが再び動き出すかもしれない。その時、私は前回の訪問では気づけなかったこと初めて知るはずだ。彼女たちが懸命に生き、悩み、そして未来をに希望を持つ人間だった事、そしてその可能性を活かす機会が永遠に喪われてしまった事を。

その時、私が何を感じ、何を受け取るか、今から楽しみだ。

‘2017/04/27-2017/04/30


2 thoughts on “ひめゆりの塔

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