本書を読む数カ月前に浅利慶太氏が亡くなった。
演劇に一時代を築いた方の逝去とあって、盛大なお別れ会が帝国ホテルで催され、大勢の参列者が来場した。私も友人に誘われて参列した。

すべての参列者に配られた浅利慶太氏の年譜には、演劇を愛する一人の気持ちが込められていた。
その年譜には劇団四季の創立時に浅利慶太氏が書いた文章が収められていて、既存の劇団にケンカを売るような若い勢いのある文章からは、演劇への理想が強くにじみ出ていた。
また、豪華に飾られた棺の両脇には演出家として俳優に指導する姿や演劇論を語る在りし日の浅利氏の映像が流されており、棺の前で黙祷する列に並びながら、参列者が浅利氏について思いを致せるように配慮されていた。

「なぜ宝塚歌劇に客は押し寄せるのか」でも書いた通り、宝塚歌劇の運営体制の裏側を知ってしまってからというもの、私は演劇の理想を見失いかけていた。
そんな私は、浅利氏の説く演劇論に救いを感じた。
劇団四季を宝塚と並び称される劇団にまで育て上げた浅利氏は、劇団の運営をどう考えているのだろうか。
私は浅利氏のお別れ会に参列したのを機会に、浅利慶太氏と劇団四季についてきちんと本をよまねば、と決めた。タイトルそのものの本書を。

著者は政治について語る評論家だ。
そんな方がなぜ演劇を?と思う。だが、劇団四季の躍進を支えた一つの要因に浅利氏と政治家との関係があったことは言うまでもない。
そうした関係が劇団四季の経営を支えたことは、ネットで少し検索すればゴシップ記事として出てくる。
また、著者と劇団四季や浅利慶太氏の縁は、本書の「あとがき」で著者が語っている。血縁も地縁もなく、パーティーで浅利氏の知己を得たことで、著者は劇団四季や浅利慶太氏に物書きとしての興味を抱いたそうだ。
ゴシップ趣味ではなく、劇団四季や浅利慶太氏は本来、興行経営の観点から論じられるべきではないか、という著者の意志。それが本書を生んだ。
もちろん浅利氏と知己である以上、本書は劇団四季と浅利慶太氏の立場に立って論を進める。だから良い面しかみていない。それは前もって頭に入れておいても良いと思う。だが、それでも本書の分析は深いと思う。

まえがきに相当する「オーバーチュア」では、劇団四季の概要と本書がどういう方針で劇団四季と浅利氏を描くかを示す。
劇団四季に対する批判は昔から演劇界にあったらしい。その批判とは、セリフが明朗で聞き取りやすいがゆえに、かえって実生活とは乖離しているというもの。
え?と私は耳を疑う。私はあまり耳が良くない。なので、セリフがよく聞き取れない演目は評価しない。なので、セリフが聞き取れないことがなぜ批判の対象になるのか理解できない。
そもそも観客は舞台の全てを感じ取ろうとするはずではないのか。
私にとってはセリフも重要な舞台の要素だと思う。だが、昔の新劇にはそうした演劇論がまかり通っていたらしい。いわゆる「高尚」な芸術論というやつだろうか。
芸術は高尚であっても良いはず。だが、さすがにセリフが聞き取りずらい事を高尚とは認めたくない。浅利氏でなくても憤激するはずだ。そうした演劇論が「オーバーチュア」では紹介されている。かなり興味深い。

「第1章 ロングランかレパートリーか」
劇団四季は日本で唯一のロングラン・システムを演ずる劇団。それでありながらレパートリー・システムも手掛けている。
他の劇団、例えば宝塚歌劇団は五組がそれぞれに1~2カ月の公演期間の演目を切り替えるレパートリー・システムを採用している。
劇団四季は「キャッツ」や「オペラ座の怪人」「ライオン・キング」など、ロングランが多い印象がある。
それが実現できた背景には劇団四季の創意工夫があったことを著者は解き明かしてゆく。
例えば専用劇場。それによって常に劇団四季の演目が上演できるようになった。
また、地方の都市にある劇場でも演目が上演できるよう、シアター・イン・シアターという舞台装置のパッケージ化を進めるなど、効率化に工夫を重ねてきた。
そうした工夫の数々がロングランを可能にしたといえる。

「第2章 俳優」
この章は、私にとって関心が深い。もちろん宝塚歌劇団との対比において。
宝塚歌劇の場合、ジェンヌさんは生徒の扱いでありながら、実際は舞台の上ではプロとして演じている。そして生徒の扱いでありながら、公演以外のさまざまなイベントに駆り出される。
そのため、ジェンヌさんは舞台だけに集中できない。

それを補完するのが宝塚に独自のファンクラブシステムだ。
私設ファンクラブであるため宝塚歌劇団からは公認されない。当然、宝塚歌劇団からファンクラブの代表に対する手当は出ない。
ところが、実際はジェンヌさんのさまざまな雑事はファンクラブの代表が代行している。チケットの手配や席次までも。むろん、無償奉仕で。

一方の劇団四季には、そもそもそうした私設ファンクラブがない。属する俳優に序列は付けないのだ。
宝塚歌劇団は一度トップスターにになると、原則としてどの公演も主演が約束される。ところが劇団四季は各公演の配役をオーディションによって決める。毎回、公演ごとに出演が約束されていないため、出演機会も限られる。
それでありながら、団員には劇団から固定給と言う形で支払われている。
生活の基盤がきちんと保障されており、なおかつ課外活動のようにファンと触れ合う必要もない。お客様とのお食事に同席する必要もない。だから劇団四季の俳優は舞台だけに集中できる。
俳優が舞台だけに集中することが演目の質に良い影響すを与えることは言うまでもない。
本書には俳優の名簿も出ているし、給与システムや額までも掲載されている。

それでいながら、演目ごとのオーディションによって団員の中に慣れも甘えも許さない。
そうした四季の運営を窮屈だと独立し、離れた人もいる。その中には著名な俳優もいる。著者のそうした人に対する目は厳しい。
劇団四季に独自のセリフ回しや、稽古などは、他の劇団ではなかなかまねができないようだ。どちらが優れているというより、それこそが宝塚歌劇団との一番の違いではないだろうか。

「第3章 全国展開と劇場」
第1章でシアター・イン・シアターが登場した。
パッケージングされた劇場設営の仕組みは、ある程度限られた劇場にしか使えない。
だが、それ以外の地方都市までカバーし、劇団四季の公演は行われている。
劇場ごとに装置も大きさも形も違う中、演目によっては上演できる劇場との組み合わせがある。
本章には地方巡業の都市と演目のマトリクスが掲載されている。
それだけの巡業を可能とするノウハウが、劇団四季には備わっているということだ。

このノウハウはまさに劇団四季に独自かもしれない。
東京や大阪、名古屋、札幌、福岡といった大都市でなければ演劇が見られない。
そうした状態を解消し、演劇に関心を集める意味でも、劇団四季が全国を巡る意義は大きいと思う。

「第4章 経営&四季の会」
この章も私にとって関心が深い。
劇団四季は、ファンクラブによる無償の奉仕(宝塚歌劇団)のような方法を取らずに、いったいどうやって経営を成り立たせているのか。おそらく、経営の手法にも長年のノウハウが蓄積されていることだろう。
余計な人や空き時間が出ないような勤務体系が成されているに違いない。
一人の社員が複数のタスクでをこなしつつ、流動する柔軟な作業体制がつくられているのではないだろうか。その分、社員は大変かもしれないが。

また、ファンクラブを公認のみに一本化していることも特筆すべきだ。
一本化するかわりにサポートやサービスを手厚くしているのではないか。
さらに私設ファンクラブの場合、どうしてもファンクラブごとに方法やサービスやサポートに差が生じる。また、その活動が奉仕に頼っている以上、ファンクラブごとの資力の差がサービスの差となる。それはファンにとって不公平を生みかねない。
ファンクラブが一本化されていることでサービスは均質になる。密接な関係を持ちたいファンには不満だろうが、不公平さを覚えるファンも減る。

本書には、観客目線と言う言葉が頻出する。
この言葉が劇団四季と浅利氏の哲学の根底にあるのだろう。
もちろん本書が劇団四季にとってよいことを書く本であることは承知。それを踏まえると、経営の中には見えない闇もあることだろう。書けない内容もあるだろう。
それでも劇団四季がここまでの規模まで成長した事実は、政治家との関係が有利に働いただけでは説明できないと思う。
今までの歴史には経営や運営の数知れぬ試行錯誤があったに違いない。
本書には浅利氏が生涯の七割を経営に割いてきた、という言葉がある。おそらくその努力を軽く見てはならないはず。

「第5章 上演作品」
ロングラン・ミュージカル(海外)。オリジナル・ミュージカル。中型ミュージカル(海外)。ファミリーミュージカル。ストリートプレイ(海外)。現代日本創作劇。その他。
著者は劇団四季の上演する演目をこの七種類に分けている。
海外のミュージカルだけに限っても、劇団四季はかなり豊富なレパートリーを持っている。
そしてそれらの中には、劇団四季が独自に翻案し、その成果が本場からも評価されている演目があるという。もちろんそうした翻案には浅利慶太氏の手腕によるところが大きいはずだ。

結局、難解な芸術だけによっているだけでは、劇団の経営は立ちいかない。
だから、芸術を追求するストリートプレイも挟みつつ、有名なミュージカルでお客様を呼ぶ。そうした理想と現実を併用しながら劇団四季は経営されてきたのだろう。
ただ、本省に出ている現代日本創作劇の演出家がいないという浅利氏の嘆きが、少し気になる。
私もそれほど演劇には詳しくないが、日本にもよいシナリオがあるように思うのだが。

「第6章 半世紀の歴史」
この章では浅利慶太氏の生い立ちから、劇団四季の旗揚げとその後の発展を描いていく。
学生劇団として旗揚げしてから、さまざまな挫折をへて、今の劇団四季がある。本章では挫折の数々も描かれている。もちろん政治家との出会いについても描かれている。
もともと浅利氏の一族は政財界に顔が広かった。そうした持って生まれた環境が劇団四季の成長に寄与していることは間違いないだろう。
それでも、本書で描かれる歴史からは、日本の演劇を育ててきた浅利氏の執念を感じる。

本章で大事なのは、そうした挫折の中でどういう手を打ってきたか、だ。
劇団四季が日本屈指の劇団に成長したいきさからは経営の要諦を学べるはずだ。

「第7章 劇団四季の未来」
本書は浅利氏が存命のうちに書かれた。今から十六年前だ。
だが浅利氏はすでに社長と会長の座を降り、取締役芸術総監督の立場に降りていた。つまり経営を他の人間に任せていた。
任せるにあたっては、劇団四季は浅利慶太氏がいなくなっても独り立ちできると判断したのだろう。実際、そのような意味の言葉を浅利氏はたびたび発しているようだ。

その後、浅利氏がいなくなってからの劇団四季はどう成長するのか。著者は大丈夫だろうと書いている。
浅利氏も自らがいなくなった後の事には何度も言及しているようだ。
それらを引用しながら、舞台、経営、大道具、意匠、営業、人事、教育に至るまでの多彩な要素で劇団四季が盤石になっていることが書かれている。

私も本書を読んだ後、浅利慶太追悼公演の「エビータ」を見に行った。素晴らしい舞台であり、感動した。
あとは十数年たってどうなるか、だ。
宝塚歌劇団も小林一三翁がなくなって十数年後、ベルばらブームの成功によって当初の理想から変質していった。それは経営の正常化のためである。ただ、同じ轍を劇団四季が踏み、営利の海外ミュージカルのみを上演する劇団になってしまうのか。
それとも今のらしさを維持しつつ、世界でも通用する劇団に成長するのか。楽しみだ。

本書はそれを占うためにも有益な一冊だと思う。

‘2018/10/24-2018/10/25


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