『海賊と呼ばれた男』は、この国に出光佐三という快男児がいたことを高らかにうたいあげた一作だった。その中で舞台となる國岡商店は、出光商会をモデルとした百田氏の創作だ。その創業者國岡鐵造も同じく。

だが『海賊と呼ばれた男』はあくまで小説だ。作中の國岡鐵造は出光佐三をモデルにしているとはいえ、どこまで出光佐三の実像を捉えているか判断するには私の知識はいささか心もとない。そこであらためて実像の出光佐三を知りたくなった。そんなわけで二十年ぶりに出光佐三の伝記を読むことにした。

ところが本書を出光佐三の伝記として読むと少し座りの悪い気になる。本書はむしろ、出光商会の社史として読んだほうがしっくりくる。

あとがきで著者は書いている。本書は、社史を一般向けに書き直したものだ、と。本書の内容からは情念が感じられない。それは社史のように事実を丹念に追うスタイルを採っているからだ。さらに本書には、かなりの頻度で社史の記述が引用されている。

出光商会の沿革を並べることで、本書は客観的な視点を保ち続けていると言える。ただ間違えてはならないのは、客観的なのは文体であり筆致に限られていることだ。内容も客観的かと問われれば、それは違うと受け取るしかない。なぜなら社史とは往々にして手前味噌になってしまうものだから。そしてそもそも主観的なものだ。その傾向は本書からも感じられる。あちこちに引用される自画自賛とも取れる社史の記述から。

そもそも本書はタイトルからして出光佐三の伝記である。出光商会または出光興産の社史ではない。それなのに、出光佐三を語るのに出光商会の社史がふんだんに引用されるということは、それだけ出光佐三が会社経営に一生をささげた証だとも解釈できる。

ただ、誤解されがちなことがある。その誤解とは、出光佐三がビジネス一辺倒の人間味のない人物だということ。ところが私はそうではないと思っている。これはあくまでも私個人の想いだが、私が尊敬できる人物とはビジネスも遊びも一生懸命な人だ。もし出光佐三が私的な時間を顧みない仕事の鬼のような人物であれば尊敬はできない。ところが、出光佐三には、美術品収集の趣味があった。出光美術館の収蔵品が出光佐三の収集品をもとに開かれていることは有名だ。本書にもその辺りの経緯は出てくる。出光佐三にとって美術品の収集が遊びであるならば、彼は遊びにも全力を尽くした人物だったのだろう。そして、収集に情熱を捧げた出光佐三の人間味をより強く知りたいと思うのは私だけだろうか。本書に引用される出光佐三の口から出された名言は、あくまでビジネスの場での発言。彼の360度の人物像を知るには少し弱い。

もちろん、こういった編集方針は著者や編集者の意図であり、私がとやかく言うことではない。他方で『海賊と呼ばれた男』のように、国を思う熱い男として描かれた出光佐三もあるのだから。それと同じように、一人の男が成し遂げた成果として事実を羅列する本書の記述もあってよい。

ただ、出光佐三は人間を尊重する経営哲学で名高い。終戦直後、出光商会の海外事業の全てが失われた際、一人の社員も首にしなかったエピソードはよく知られている。『海賊と呼ばれた男』でもラジオ修理や海軍オイルタンク廃油くみ上げ事業が印象的に描かれていた。それに加えて本書には『海賊と呼ばれた男』で描かれなかった苦難の時期の業務が紹介される。それは例えば鳥取での農場経営や和歌山での漁業などだ。こういった事業が紹介されていることで、より出光商会が終戦後に追い込まれ、なりふり構わぬ状態だったことがわかる。それがよかった。それほどまでになりふり構わぬ状況でありながら、一人も解雇せずに乗り切ったのだから。その経営の信念の凄みが余計にわかるというものだ。

また、日田重太郎は出光商会創業資金やその後の数度にわたる出資で出光商会と佐三を助けた人物。『海賊と呼ばれた男』にも実名で登場する。彼もまた、出光商会の歴史には欠かせない。だが、本書には創業時の融資エピソードでしか登場しない。失敗したら「乞食になったらええやないか」と言い放ったエピソードも出てこない。そのかわりに、本書には銀行からの融資のエピソードが多く書かれている。二十三銀行からの融資で事業清算の瀬戸際から脱したエピソード。これは『海賊と呼ばれた男』の小説版でも少し扱われていた。そして、実際の経営の観点から見ると銀行から融資された金額こそが会社の危機を救ったのだろう。ただ、日田重太郎の挿話が劇的な分、そちらを小説や映画が重く取り上げるのもよくわかる。

日田重太郎の挿話だけではない。神出鬼没に海上給油を敢行し、出光商会を発展に導くきっかけとなった糸口も、日章丸事件の一連の経過も本書からは省かれている。ようするに本書は劇的な要素を一切取り除いているのだ。それは演出や感動など経営には必要ないと宣言するかのようだ。それによって本書は『海賊と呼ばれた男』で描かれた出光佐三の違う一面を彫りだしている。彼は海賊などでは決してなく、経営者として冷俐で優秀な人物だったのだろう。

ただ、本書には不満もある。『海賊と呼ばれた男』では徳山製油所の海上バース接続の苦労が描かれていた。本書にはそれが取り上げられていない。また、第一宗像丸の遭難事故についても本書では触れていない。社史をベースにしているとはいえ、良い面も悪い面も等しく取り上げるべきと思うのだが。それらの出来事は出光佐三の失策ではないし、彼の経歴に傷はつかない。それなのにいいことばかりを取り上げてしまうと、出光佐三を神格化することになりかねない。

さらに言うなら、出光興産では出光佐三の死の前年から不祥事がいくつか発生している。もちろんそれらも本書では触れていない。出光興産の悪口をはばかる気持ちはわかる、だが、それを書くことで、逆に出光佐三の存在がいかに出光商会にとって偉大だったかが一層際立つと思うのだが。

不世出の経営者として、近代日本に出光佐三がいたこと。それを知るためにも『海賊と呼ばれた男』と併せて本書を読むのは良いと思う。

‘2017/02/13-2017/02/14


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