旅が好きな私にとって、自分の趣味と仕事をどう結び付けるか。これが私の生き方の指針となっているように思える。

仕事を趣味に無理やりくっつけることはしない。仕事だけに没頭し、趣味のない人間にもなりたくない。もちろん、趣味にうつつを抜かして仕事がおろそかになることもない。
趣味と仕事を両立させつつ、その趣味と仕事をどうやって社会貢献に結び付けられるか。

もちろん、こなしている仕事が対お客様の意味では社会貢献になっていることは確かだ。だが、それは狭い意味の社会貢献であり、あくまでも間接的なものだ。
直接的に、かつ広い範囲の社会に貢献していきたい。そのためには、一対多の関係を構築していかなければならない。
理想をいえば、私が趣味として楽しめるものが世間的には仕事としてみなされること。さらにそれで生計が成り立ること。

趣味を楽しみつつ、それをどうやって社会貢献として実践していくのか。私の今までの人生とは、その試行錯誤に費やしてきたと思っている。

ここ数年、地域創生に関する本を何冊か読んできた。

本書もそれらに連なる一冊だ。
著者は雑誌ソトコトの編集長だ。その人脈もあって、本書で取り上げられている人の数は多い。ソトコトの誌面に登場する人々や、取材の中で知り合った人など、著者の人脈の豊かさがうかがえる。

著者のような人こそ、趣味と仕事をうまく結び付け、なおかつそれが立派な社会貢献になっている人だと思う。
自分の培ってきた能力と人脈を生かした仕事。私が著者のような生き方をするためにはどうすればよいのか。それが本書を読み始めた理由だ。

地域創生といっても、私にできることは限られている。
私が提供できるスキルなど、システム提案や構築やプログラミング、さらにはライティングだけだろうと思っている。
木工や大工仕事は苦手だし、おそらく組織を束ねて臨機応変に指示できるタイプでもないと思っている。

そんな私がどうやって地域貢献を行うか。本書はそうしたヒントに満ちている。

自分にスキルがないから地域貢献や社会貢献を諦めてしまう人。そうした方はかなりの数、いらっしゃるのではないだろうか。こう書く私もその一人だった。
だが、スキルがないから無理と思い込むのは早計だと思う。では、どうすればよいのか。何になればいいのか。どう働きかければ、地域に貢献できる仕事につけるのか。

本書は全国の14の例を紹介している。
全国のあちこちで行われているさまざまな取り組み。本書はそれらを多彩な切り口で紹介している。
全国のあちこちで地域に根差した取り組みの様子を知ることもできる。

その前に著者は「ソトコト」についてふれる。
著者が編集者になってから「ソトコト」がどういう誌面に変わってきたか。ソトコトが今後、目指そうとしているのはどこか。

スローフードやロハスといった言葉を日本で広めた先駆者が「ソトコト」。だが、それらのキーワードは今やビジネスで利用され、人口に膾炙している。当初の新味が失われ、理想すら曖昧になった。
そこで著者はソーシャルを今後の「ソトコト」のキーワードとして掲げた。ソーシャルとはつまり、つながりだ。

今、世界の、日本の若者が苦しんでいる。人生をどうやって生きていくのか。そもそも自分は何のために生きているのか。それらがわからずさ迷っている。
「自分探し」という言葉は今や一定の市民権を得ている。
だが著者は提起する。若者が探しているのは自分ではなく居場所ではないのか、と。
確かにその通り。私も挫折と蹉跌の二十代前半を過ごしたから、著者のいうことがよくわかる。
若者が切実に求めているのは、自分が何かということではない。自分が社会のどこならば無理せず生きていけるのか。そして、その入り口が社会のどこにあるのか。若者が探し求めているのはそこだと思う。

若者にとっては生きていける場所が都会だろうが田舎だろうが僻地だろうが関係はない。自らが社会で生きていく足がかりがあればよいのだ。
ソーシャルな環境の中で居場所さえ見つかれば、そこから交流や人脈で生きる道は広がる。
つまり、地方創生とは居場所を作ることなのだ。

結局、なぜ地方が衰退しているのか。
それは若者が都会に出て行ってしまっているからだ。
なぜ若者は都会に出ていくのか。
それは働く場所を含めた居場所がないからだ。
なぜ働く場所がないのか。
地方の豊かな資源が忘れられているからだ。

日本のあちこちで地方を活性化させようと活動する人々は、ITよりもソーシャルの力を利用し、地方創生を実践しているように思う。
まず地域の資源を生かした産業を興し、そこに働く場所を作る。そして若者を呼び込む。
若者を呼び込むには、居場所も兼ねた場を作る。そして居場所の中で人間関係が迷子にならないように配慮する。

要するに、都会の生活が若者から奪ったものを提供すればいい。
都会では人間関係が希薄になり、居場所がない。居場所といえば、生活の糧を得るための仕事場のみ。そしてその居場所は新たな誰かによって簡単にとって変わられる。
それは、マニュアルが整備され、システムとは無縁に暮らせない社会の課題と言えようか。そのやるせなさが都会の若者を疲れさせる。

しかし、地方では効率が追及されていない。マニュアルもなく、分業もなされていない。
だから、そのコミュニティには仕事が豊富にある。人も少ないし、お互いの職務が定まっていないからだ。柔軟に人間関係が移り変わり、しかも居場所はすぐに見つかる。
その柔軟な関係をソーシャルと呼べばいい。

本書はそうした取り組みを豊富に紹介している。
アート集団。食のつなぎびと。街のなにげない日常の写真を毎日アップ。ヒッチハイク。移住促進。暮らし方提案。過疎地の価値の再発見。ローカルビジネス。DIY。鍛冶屋。空き家。着ぐるみ。地域素材。芋煮会。
そうしたさまざまなソーシャルの作り方が紹介されている。
そのやり方は千差万別であり、正解はない。誰もが手探りのままに進めている。
マイルストーンもゴールもノルマもない。手本や正解すらない。ただがむしゃらに。

著者はまず、内を向くことを推奨する。外にどう発信するかより、まず内なのだ、と。
外向けに発信することにこだわらず、まず、内を固める。それが地元の魅力の構築につながる、と言いたいのだろう。
そして、この内を固める行いこそが、仕事につながる。そして、その仕事が趣味とつながっていればなおいい。さらに、それが地方創生に貢献すれば言うことはない。
それが、私の望みでもある。

‘2019/10/13-2019/10/17


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 2月 27, 2021

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