著者の作風には、二つの要素が欠かせないと思う。それは、叙情の香りと堅牢な論理が同居していることだ。

叙情を表現する上で、著者の流麗な文体は似つかわしい。著者の作品には日本を舞台とする物語がある。それらを紡ぎ出すうえでも流麗な文体は長所となっているようだ。

ところが、本書の主な舞台はベルリンだ。ベルリンの過去と今を結ぶナチス残党狩りをテーマとしたサスペンス。そこに著者の叙情性が入り込む余地はあるのだろうか。あるのだ。

本書の主人公は青木優二。そこそこ名を知られた画家だ。彼のもとに謎めいた女性エルザが近づいてきたことから話は始まる。エルザによって、青木は自らの出生にまつわる事実を教えられる。それは自身が第二次大戦末期のベルリンで産まれた可能性が高いというものだ。エルザは、金髪碧眼のアーリア人種の容姿を備えていながら、日本人よりも完全な日本語を操るドイツ人だ。

著者は、エルザに完璧な日本語能力と日本文化の素養を与える事によって、日本の叙情を表現しているのではないか。青木もまた、エルザが教えてくれたことで、自分が生来抱いていた違和感の訳を知る。それは、自分の容姿が西洋人らしく彫りの深いこと、考え方の道筋が日本人らしくないことによる。青木はそれを自覚することで、逆に日本的な考え方とはなにかについて思いを巡らせてゆく。

どういう組織がエルザを青木のもとに派遣してきたのか。ただ、日本語がうまいだけではない。ベッドの上でも魅力的なエルザ。青木にとってなくてはならない女性となったエルザの謎めいた素性が、読者の興味を引っ張ってゆく。

自らのルーツさぐりと、エルザへの愛着。それは青木をベルリンへと飛ばせる。

そしてベルリンについた青木は、今まで知識としてしか知らなかったホロコーストの真実を知る。そればかりか、自分がガウアー収容所から奇跡的に生還した赤子だったことも知らされる。父がユダヤ人で母が日本人。当時の日本がナチスの同盟国だったとはいえ、ユダヤ人の赤ん坊が収容所で生き残れる確率はほぼない。そればかりか、青木は自身が収容所を実際に裏から操っていた女看守のマルト・リビーによって人体実験の対象にされていた事実を知らされる。

エルザの回りには、怪しげな対立組織が暗躍する。そして、別人に成り済まし、戦後を生き延びてきたマルト・リビーの下には、おなじく看守のハンス・ゲムリヒが南米からやって来て接触を図ろうとする。

エルザをあやつるアメリカ人の青年マイク。マルト・リビーの正体を見抜き、青木を収容所から救いだしたソフィ・クレメール。彼らが目指す目的はさ二つ。一つは青木を第二のアンネ・フランクに、反ナチスの象徴に仕立てあげること。もう一つは、マルト・リビーを法廷に引きずり出すこと。

ここらあたりから、冒頭で述べた著者のもう一つの作風である論理の色が濃くなってくる。著者は複雑な組織間の思惑をさばきつつ、背後で二条三重の仕掛けを忍ばせてゆく。著者の仕掛けた某略の罠に、青木も読者も翻弄されてゆく。著者はそればかりでなく、もっと大がかりで大胆な真相を提示する。

本書を読み終えた時、読者は真相の深さと、この題材が日本人の作家から産まれてきたことに驚きを禁じ得ないはずだ。

本書が海外に翻訳されたかどうかは知らない。でも、本書の謎やテーマは、海外にも充分通用するはずだ。もしまだ英訳がされていないのであれば、ぜひ英訳して欲しいものだ。著者がすでに亡くなった今、もう遅いかもしれないが。

‘2016/11/27-2016/11/27


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