私の人生観に最も影響を与えた本。それはひょっとすると本書かもしれない。
本書を読むのは今回が初めてだったというのに。

では、なぜそう思うのか。
その訳は、本書のタイトルが物心のついた頃から私の目にずっと触れていたからだ。
それがいつからだったかは覚えていないが、おそらく小学校の低学年あたりからだと思う。
それから小中高を過ごし、大学三回生の年に阪神・淡路大震災で家が全壊するまでの期間のほぼ毎日、私は実家の本棚に収まっていた本書のタイトルを見ていたはずだ。

本書のタイトルは「打たれても出る杭になれ」だ。つまり出る杭になることを前提としている。
打たれても出ることのできる強い生き方。本書のタイトルはそれを一言であらわしている。
本書を買ったであろう父は、私に対する教育効果など考えていなかったはず。だが、この文句は思った以上に私の人生に深い影響を与えていたかもしれない。

本書を読む少し前、実家に帰省した。そして本棚に収まっている本書に目を留めた。
実家を出てから21年。21年間、本書の存在は忘れていたにもかかわらず、実家に帰ったら本書に目が留まった。それも何かの縁なのだろう。
奥付によると本書の出版は1979年。40年強の年月をへて、ようやく本書を読むことになった。

だいぶ前に勤め人から独立した私。
だから、いまさら本書を読んで独立に向けて心を奮い立たせる必要などない。
だが、このタイミングで本書のタイトルに惹かれたのには何か理由があるはず。
年齢を重ね、自分の心身の衰えを感じたのかもしれない。もしくは弊社で人を雇用する次のステップに進むにあたり、今一度、初心に帰りたいと感じたのかもしれない。

そんな私が本書を読んでみて思ったこと。それこそが、冒頭に書いた通りだ。実は本書のタイトルこそが私の人生に深い影響を与えてきたのではないか、ということ。

本書には13人の方が語るそれぞれの人生とそこからつかみ取った哲学が述べられている。
私はその中の8人の名前しか存じ上げなかった。だが、どの方も名を遂げた方であることは確かだ。
どの方も高度成長期の日本を支えてきた。そして敗戦した日本を経験し、貧しさと苦しさを経験してきた。
そして、本書が出された1979年。日本の高度成長期がオイルショックによって頭打ちとなったとはいえ、情報時代か到来するのは十数年も先の話。バブルで浮かれる時期にすら至っていない。
ということは、まだ昭和の考え方が全盛の頃だ。

打たれても出る杭とは、出る杭が目立ってこそ成り立つ話だ。
本書は、出る杭が目立つ時代に出版された。組織の力が日本を奇跡的な成長に導いた神話が息づいていた時代。
組織を飛び出すことが異端児にも等しい扱いを受けた時代だ。

だから本書の序章で描かれる「打たれても出る杭」とは、逆境からの奮起を指している。
組織から外れて独立を推奨する訳では決してない。
そのため本書で語られる趣旨は、個人や組織がどうだろうと関係がない。もちろん独立も。
要は個人として挫折にいかにして立ち向かうのか、ということだ。

だが、十三人の話はそうした観点だけにとどまらない。
組織の中でのささいな失敗も描かれるし、スポーツ選手の勝負の世界も描かれる。諦めないことで活路を開いた話も登場する。
組織を率いることの妙味と、人をうまく使うことの難しさと喜びも描かれる。もちろん独立して会社を興し、大手に育て上げた立志伝も語られる。

本書に取り上げられているのは、職業も立場も多様な人々だ。それぞれの人生にはその数だけの逆境がある。どういう立場であれ、逆境を乗り越えた人物、だからこそ、本書にも取り上げられている。
こうした話から伺えるのは、出る杭を協調性や同調圧力といった観点で考えてはならないということだ。

結局、それぞれの人生を決めるのは個々人だ。
人が自らの人生をどう生きるのか。それに尽きる。

では、「打たれても出る杭」とは本書において何を指しているのだろうか。
私はこう考えた。
出る杭には基準となる平らな座標軸がある。その座標軸とは、あらゆる人々の平均値だ。
その平均値とは、さまざまな人々の中の最大公約数を抽出した要素。つまり、多くの人々に共通する要素だ。例えば小中高大を出て会社に勤め、定年まで勤めあげることは、1979年にあっては平均的な生き方だろう。
つまり、大きな軸とは人々の間にある通念や平均的な生き方を指す。それにたいして出る杭とは、現状維持や平穏を良しとせず、それに抗うことだ。
ところが、そうした努力を冷笑する内なる声がある。努力を軽蔑し、挑戦や奮起を醒めた目で見る内なる声。または人々から受ける同調圧力もそれに属する態度だろう。
そうした内なる弱い自分に抗う強さ。それこそが「打たれても出る杭」の要諦だろう。

そうした弱い自分とは、挫折や蹉跌の時にこそ勢いを増す。
その弱さに負け、打たれてしまうと、平板な自分に落ち着いてしまう。そして、挑戦を避け、組織の中に埋没して終わってしまう。

組織の中であっても、弱い自分に抗い、出る杭になれた人は本書に登場するだけの力を蓄えられる。

むしろ、組織の力が強い時代だった当時に、本書に取り上げられるだけの個の強さを持つことは、今よりも難しかったのではないだろうか。
今のようにYouTubeやTwitterやブログなどの手段がなかった時期だからこそ、13人にはすごみが感じられる。
これらの人々の語る人生についての考えを読むと、打たれても出る杭、とは、自らの可能性に対しての言葉なのだと理解できる。

そう考えると、今の私に本書が刺さってきた理由が分かる。
それは、努力を怠っていた私への無意識からの叱咤なのだろう。
その努力とは、人を雇い、家族以外の人の人生に責任を持ち、後進を育成することへの努力だ。
個人の力でずっとやってきた私が怠っていたのが、そうした努力。
そうした能力をこれからは磨く。そして、今までの自分が打っていたのが、自分の可能性という杭だったことを自覚する。

そんな時、妻が本書のタイトルを見て言ったことがある。
若いラッパーか誰かが「出る杭は打たれる」なら、打たれないぐらいに出ればいい、むしろ引っこ抜かれて取り立てられぐらいに、と言ったそうだ。まさにそう。周りに合わせるのではなく、自分の可能性を最大限に高める。これこそが生の意味だと思う。

本書を読んでから一年数カ月がたち、ようやく人を雇えるまでになった。
あとは、本書が私の人生にどのような影響を与えてくれたのか、これからの人生で明らかにしていくことだ。
それまでに実家の本棚に本書を返却しなければ。

‘2019/9/28-2019/9/29


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 1月 16, 2021

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