先日、ソトコトの編集長による地域創生の本『ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論』を読んだ。
『ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論』で取り上げられた取り組みは、最近の働き方改革の文脈に沿っていたように思う。私が同書から学んだのは、働き方改革を絡め、若い世代を巻き込むことだ。それが地域創生に有効であることも。

本書は、地域創生を被災地の復興の視点から取り上げている。
被災地の復興で何よりも重要なのは、天災で傷ついた地域を元に戻す作業だ。つまり、創生よりもまず復旧が優先される。その過程においては、より地域に根ざした視点が欠かせない。
未曽有の大災害、つまり東日本大震災によって生活基盤を失った人々が地域を復興するにあたり、どのような手法を採ったのか。
本書には成熟社会という言葉が登場する。成熟した社会の中で培われたノウハウを使い、どうやって地域を復興させるか。そうしたケースが紹介されているのが本書の特徴だ。

地域での中小企業経営者、または飲食業に携わる人々。本書に登場するそれらの人々が被災地の復興にあたって採用した手法は、いたってオーソドックスだ。
その手法は『ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論』で紹介されていたような、情報技術を駆使し、働き方改革の風潮に沿った方法ではない。
本書では、地縁のつながりを生かす手法が取り上げられている。

例えば飲食業。根こそぎ津波にさらわれ、見渡す限りの更地となった生活の場。再び人々が暮らせる街として蘇らせるにはどうすればよいのか。
更地になった土地であっても、全ての希望が失われたわけではない。
ただ、更地から復興させていく方法については確かな答えはない。
情報技術や最新の手法に頼らず、従来のやり方でどのように復興させるのか。本書にはそうした取り組みの事例が豊富に載っている。
本書に登場する人物はほとんどが年配の方であり、取り組みも洗練されているとはいえない。だが、培われた地縁を生かした復興への取り組みは参考になる。

更地となった同じ場所に店舗を再建するのは簡単ではない。
仮設店舗を設置し、そこに人を集める方法も一つの方法だ。だが、周囲の住宅が根こそぎ更地にされ、住民が激減した場所で客を集めることは簡単ではない。
となると、新たな土地を求め、そこで店を再建し、集客からやりなおす方法が考えられる。本書の中に登場する方は、福島県の二本松市に新たに活路を求め、そこで同じ地域からの避難者を対象に店を開業しているという。

新たな土地に活路を求める方法ももちろん有効だ。だが、被災地の復興の観点で考えると、被災地とは別の場所に店を構えたとしても、復興したとはいえない。
仮設でもよいから元の場所に店舗を構えたい。被災者の心情としては当然のことだろう。

だが、津波によって風景が一変し、そこにかつて住宅や店があった記憶は刻々と失われつつある。そのような中、どのようにして復興させるのか。並大抵のことでは成し遂げられないはずだ。
そこで、本書に登場するある方は、他の残った店舗から機材や資材を融通してもらったという。他にもさまざまな伝とネットワークをたどり、地道な努力を重ねれば活路は拓ける。
工場が被災した場合も同じだ。工場が浸水し、傾いて使えなくなった機械をいかにして復旧させるのか。経営者としてはまず従業員の生計を第一に考えなければならない。そこで、壊れた機械や備品の数々を同業者のネットワークを使い、全国から取り寄せる。その時は、SNSなど、今風の手段も使うが、根本にあるのは縁やネットワークの力だ。

情報技術を駆使し、新たな方法論を活用して果敢にチャレンジする地方創生。それもまた真っ当で、やるべきことだ。
だが、本書では既存の方法論も依然として有効であると説く。特に復興においては。
もちろん、どちらが良いと決めることはない。両方を状況に合わせて使い分けるのが望ましいのだろう。

私は情報技術で生計を立てている。そのため、私の立場としては、情報技術を活用した仕組を大いに推進したい。
だが、データだけでは現実の復興が覚束ないのも事実だ。物を使い、人が動かす。そうした目に見える形の取り組みはまだまだ必要だ。その観点からは、従来の方法論の有効性を強調する本書の論調には賛成する。

また、被災地の場合、そもそもの生活基盤が破壊されている。従来の地域創生とは前提が違うのだ。
しばしばケースに取り上げられる地方創生の場合、徐々に地域の活力が先細りしてゆく。だが、天災は地域の活力を一気に失わせる。
そのため、まず急務とすべきは生活基盤の迅速な復旧と仕事の創出なのだ。

東日本大震災で大きな被害を受けたのは、岩手・宮城・福島・茨城などだ。そのため本書が焦点に当てるのは、それらの地域だ。

まず、岩手県大槌町が取り上げられる。
大槌町役場は浸水し、町長もお亡くなりになった。私のような被災者でない者にも、大槌町が受けた被害の痛ましさは印象に残っている。津波の猛威を最も悲惨な形で被ったのが大槌町だ。
街の多くの産業がどのような被害を受けたのか。全てが更地になった街をいかにして復興させるか。著者は克明に記してゆく。
大槌町でも高台にあった家や会社は無事で、低地にあった建物は全て波にさらわれたという。
低地にあった店舗や工場は、もはや同じ場所での再建が難しい。そのため、違う土地に移るしかなかった。だが、高台にあった工場は平常通りの操業に復すことができた。

生活の基盤を失った住民たちに対して、仕事や生活をすみやかに復旧させる。
高台にあった工場の場合、代わりとなる備品や設備の調達をすみやかに実施し、同業者ネットワークから仕事を回してもらう。そうした多様な取り組みが紹介される。

続いて福島県楢葉町。
ここは、東日本大震災の被害のシンボルとなった福島第一原子力発電所に近い。事故直後、全町民に緊急避難指令が出され、街は放置された。住民が課されたのは過酷な試練だ。
そもそも住民は元の場所に戻ることすら不可能。そのため、生活を再建するには別の場所に活路を求めるしかない。福島県の他の市町村や他の都道府県に新たな暮らしの場を求める。
楢葉町役場は役場ごと、福島県の二本松市に移った。楢葉町の人々も、二本松市を中心に生活を再建していく。その様子が描かれる。
他にも、長く続いた日本酒の醸造蔵が山形県米沢市に移転し、再び醸造を開始する様子も描かれる。
楢葉町の人々が故郷の家に戻る日はいつか。誰にも分からない。故郷を失った人々は郷愁を引きずりつつも、新天地で生活を再建していかなければならない。従来の地域創生とは違うのだ。

続いて茨城県の日立市だ。
日立は顕著な津波の被害を受けなかった。また、近隣にある原発にも被害はなかった。とはいえ、日立市も地震の揺れによって相応の被害を受けたそうだ。
そうした被害からの復興がどうなされたのか。その取り組みが描かれる。

最終章で著者は、これからの地域創生のあり方に触れる。
もちろん、著者は情報技術を駆使した取り組みや、若者を軸にした組織を構築する大切さも理解している。
その上で、著者はそれだけでない、従来のやり方の有効性も忘れてはならないという。
そもそもなぜ著者は地域創生の場として、被災地を選んだのか。それが明かされるのが次の一文だ。

現在、「世界で最も熱い『現場』」は東日本大震災の被災地なのです。そこに身を置き、暮らしとは何か、生きるとは何か、地域とは何かを考え、自らの進むべき道を見定め、そこに向かっていくことです。(157p)

この文には著者の思いが詰まっている。復興とは理論やノウハウだけではない。泥臭い取り組みも必要で、リアルの手触りも必要。目に見える現実を忘れてはならない。それを最も分かりやすく実感できるのが被災地の復興だといいたいのだろう。
情報技術を駆使し、若い感性が主導して復興に取り組むのもいい。だが、血の通った熱も地域創生には必要と訴えたいのだろう。

まずは現場に行け。これはどの地域創生プランナーも強調するはずだ。
それを実感するにはまず被災地。といいながら、私はまだ十年の間に一度も宮城や岩手を訪れられていない。原子力発電所事故による居住制限地域も。
まず、私はそれらの場所に行かねばならないと思っている。

‘2019/10/22-2019/10/23


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 3月 21, 2021

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