実は著者の作品を読むのは本書が初めてだ。今までも直木賞作家としての著者の高名は知っていたけれど。
著者の作品は西洋史をベースにした作品が多い印象を持っていて、なんとなく食指が動かなかったのかもしれない。

だが、本書はタイトルが興味深い。手に取ってみたところ、とても面白かった。

織田信長といえば、日本史を彩ったあまたの英雄の中でもだれもが知る人物だ。戦国大名は数多くいる。その中で五人挙げよといわれた際に、織田信長を外す人はあまり多くいないはずだ。
戦国時代を終わらせるのに、織田信長が果たした役割とはそれほど偉大なのである。

以下に織田信長の略歴を私なりにつづってみた。
尾張のおおうつけと呼ばれた若年の頃、傅役である平手正秀の諌死によって行いを改めた挿話。
弟を殺すなどの苦戦を重ね、織田家と尾張を統一したと思ったのもつかの間、今川義元の侵攻が迫る。勢力の差から織田家など鎧袖一触で滅ぼされるはずだった。
ところが桶狭間の戦いで見事に今川義元を討ち取る功を挙げ、さらに美濃を攻め取り、岐阜城に本拠を移す。そこで天下布武を印判に採用し、楽市楽座の策によって岐阜を戦国時代でも屈指の城下町に育てる。
そこから足利義昭を奉じて京に足掛かりを築くと、三好家や松永家を京から駆逐する。さらには姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を敗走させ、基盤を盤石にする。
比叡山を攻めて灰塵と化し、石山本願寺も退去させ、長篠の戦で武田軍を打ち破り、安土城を本拠に成し遂げた織田政権の樹立を目前としたまさにその時、明智光秀の謀反によって業火の中に消えた、とされている。いわゆる本能寺の変だ。

その衣鉢を継いだ羽柴秀吉が天下統一を成し遂げ、さらにその事業は徳川家康によって整備された。江戸幕府による260年の平安な時代は、織田信長の偉業を無視しては語れないだろう。
織田が搗き、羽柴がこねし天下餅 座りしままに喰らう徳川
この狂歌は徳川幕府による天下取りが実現した際に作られたという。
当時の人にも徳川政権の実現は、織田信長による貢献が多大だったことを知っていたのだろう。

そうした織田信長の覇業の過程には、独創的な発想や、疑問とされる出来事が多いことも知られている。

独創的な発想として挙げられるのは、たとえば楽市楽座だ。他にも西洋の軍政を取り入れたことや、種子島と呼ばれた鉄砲の大規模な導入もそう。
疑問とされる出来事として挙げられるのは、たとえば正妻である濃姫が急に史実から消え去り、没年すら不明であること。また、本能寺の変によって燃え盛った本能寺の焼け跡から、織田信長らしき死骸が見つからなかったことも挙げられる。
そもそも、なぜ明智光秀が本能寺の織田信長を襲ったのか。その根本的な理由についても諸説が乱立しており、いまだに定説がないままなのだ。

そうした一連の謎をきれいに解釈して見せ、まったく新しい歴史を読者に提示して見せる。それが本書だ。ただ、織田信長が女だったという一点で整合性が取れてしまう。これぞ小説の面白さ。

もちろん、織田信長が女だったことを史実として認めることは難しいだろう。だが、歴史小説とは史実を基にした壮大なロマンだ。著者によってどのような解釈があったっていい。
源義経は衣川から北上し、大陸にわたって成吉思汗にもなりうる。徳川家康は関ケ原で戦死し、それ以後は影武者が務めることもありうる。豊臣秀頼は大坂夏の陣で死なず、ひそかに薩摩で余生を送ったってよい。西郷隆盛は城山で切腹せず、大陸にわたって浪人として活躍するのも面白い。
その中にはひょっとしたら真実では、と思わせる楽しさがある。それこそが歴史のロマンである。小説の創作をそのまま史実として吹聴するのはいかがなものかと思うが、ロマンまでを否定するのは興が覚める。

本書は、織田信長が女性だったという大胆極まりない設定だけで、面白い歴史小説として成り立たせている。
冒頭で、娘を嫁がせた尾張の大うつけを見極めてやろうとした斉藤道三に女であることを見破られる。そして処女を散らされる織田信長こと御長。この冒頭からして既にぶっ飛んでいる。

だが、そこで斉藤道三の心中を丁寧に描写するのがいい。その描かれた心中がとても奮っている。
群雄たちがせいぜい、ただ領地を切り取るだけの割拠の世。これを打破するには、まったく違う発想が必要。そうと見切った織田信秀が、男の発想では生まれない可能性を女である御長に託したこと。その意思を斉藤道三もまた認め、御長には自らが亡きあと美濃を攻め取るよう言い残したこと。
まさにここが本書の最大の肝だと思う。
冒頭で信長の発想が女の思考から湧き出たことを読者に示せれば、あとは歴史の節目節目で信長が成した事績を女の発想として結び付ければよい。

そして、信長について伝えられた史実や伝聞を信長が女性だったと仮定して解釈すると、不思議と納得できてしまうのだ。
たとえば信長の妹のお市の方は戦国一の美女として名高く、兄である信長は美形だったとされている。
また、信長は声がかん高かったという説がある。その勘気に触れると大変であり、部下はつねに戦々恐々としていたという。そして先にも書いたような当時の常識を超えた政策や行いの数々。
それらのどれもが、信長が女という解釈を可能にしている。

本稿ではこれから読まれる方の興を殺がないように、粗筋については書かない。

本書は、信長が女だったらという解釈だけで楽しめる。それはまさに独特であり、説得力もある。本当に織田信長は女性だったのではないか、と思いたくなってしまう。本書はおすすめだ。

‘2020/02/27-2020/02/29


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