今になってなぜ鑑真和上について書かれた本書を手に取ったのか。特に意図はない。なんとなく目の前にあったからだ。あえていうなら、平成27年の年頭の決意で仏教関連の本を読もうと決めていた。そして意気込んで親鸞についての本(レビュー)を読んだのだが、私には歯が立たなかった。それ以来、仏教についての勉強はお留守になっていた。しかし平成27年も師走を迎え、年越しまでにもう一冊くらいは仏教関連の本を読みたいと思ったのが、本書を手に取った理由だろうか。

仏教を学問として取り扱った本よりも本書のような小説の方がリハビリにはちょうどよい。本書は、著者の作品の中でもよく知られている。そして、本書で語られる鑑真和上の事績は日本史の教科書にも取り上げられているほどだ。我が国の仏教伝来を知るための一冊として本書は相応しいといえるだろう。

そんな期待を持ちつつ本書を読み始めたのだが、本書の粗筋は私が学ぼうとした意図とは少し違った。日本への仏教伝来を知ろうにも日本が主な舞台ではない。鑑真和上が倭国に仏陀の教えを伝えんとして幾度もの挫折から失明し、それでも仏教の伝戒師がいない日本のために命を賭けて海を渡ってきた事はよく知られている。その過酷な旅については、奈良の唐招提寺に安座されている鑑真和上座禅像の閉じたまなざしが明らかに語っている。

本書は、鑑真和上来日に関する全てが著者の想像力によって描かれている。ただし、その舞台はほとんどが唐土だ。鑑真和上が奈良時代の大和朝廷に招提されてから入寂するまでの期間、伝戒師として過ごした期間についてはほとんど触れられていない。考えてみれば当たり前のことだ。鑑真和上の受難に付いて回る挿話とは、唐土と海上での出来事がほとんどだからだ。したがって、我が国への仏教伝来事情を学ぼうにも本書の視座は違っているのだ。

だが、それで私の意欲がくじかれたと考えるのは早計かもしれない。当時の我が国は大唐帝国を模範とし模倣に励んでいた。仏教だけではない。平城京の区割りや律令制度にいたるまで大唐帝国を模範した成果なのだ。遣唐使の歴史がこれだけわれわれの脳裏に刷り込まれているのも、当時の我が国にとって遣唐使がもたらす唐文化がいかに重要だったかの証といえよう。

なので、鑑真和上を日本に招提するため、日本の僧が唐土へ渡り各地を巡って仏教を学ぶ姿そのものが、我が国の仏教伝来事情と言い換えてよいのかもしれない。

本書に登場する留学僧たちの姿から感じられるのは「学ぶ」姿勢である。「学ぶ」は「真似ぶ」から来た言葉だという。「学び」はわれわれの誰もが経験する。が、そのやり方は千差万別。つまり、考えるほどに「学ぶ」ことの本質をつかみとるのは困難になる。しかし、その「学び」を古人が愚直に実践したことが、今の日本を形作っている。そういっても言いすぎではないはずだ。

本書の主人公は鑑真和上ではない。日本僧普照である。本書は、普照とともに遣唐使船に乗って唐に渡った僧たちの日々が描かれている。さらに、彼らと前後して唐に渡り、唐に暮らす日本人も登場する。

普照と共に唐に渡ったのは、栄叡、戒融、玄朗。それぞれ若く未来を嘱望された僧である。また、30年前に留学僧として唐に渡り、かの地に留まっていた景雲、業行も本書の中で重要な人物だ。この六人は、それぞれが人生を賭け、学びを唐に求めた僧たちだ。

普照は、本書では秀才として描かれる。他人にあまり関心を持たない冷悧な人間。いわば個人主義の権化が普照である。本来であれば、学びの本質とは個人的な営みである。しかし当の普照は、自らを単に机の前にいるのが長いだけの男と自嘲している。そして、普照は努力の目的を見失ってしまい個人の学びに見切りをつける。替わりに、鑑真を招く事で我が国に仏教を学ばせようとする。個人ではなく国家の視点への転換である。普照の意識が個人から国家や組織へと置き換わってゆく様は、本書の隠れたテーマといえる。普照の意識の変化は、学ぶ事についての意識の深まりである。それは、我が国が歴史の中で重んじた、中華の歴代帝国を手本とする学びにも通ずる。国家単位での学びを個人で体現したのが普照といえる。

では、そもそも普照を鑑真招提の目的へ誘った栄叡は何を学ばんとしたのか。彼は唐へ向かう船上で、すでに国家の立場で学ぶ意識を持っていた。普照が気づくより前に、個人のわずかな学びを積み重ねることが国の学びとなることを理解していたのが栄叡である。なので栄叡こそが鑑真和上の招提を思い付いた本人だ。そして栄叡は招提のために奔走し、普照の人生をも変える。しかし栄叡は二回目の渡航失敗により、病を得、志半ばで異国の土となる。しかし、その志は鑑真や普照を通じて日本仏教に影響を与えた。大義のために私をなげうつ態度は、当時の日本の志士といっても過言ではない。栄叡のような人物たちが、今の日本の形成に大きく寄与しているはずだ。

戒融の学びは、実践の学びである。「机にかじりついていることばかりが勉強と思うのか」と仲間たちに言い放ち、早くから放浪の意思を表す。そして実際に皆と袂を分かち、僧坊や経典に背を向け流浪の旅に出る。学校や教団のような組織に身を置く事をよしとしない戒融は、私自身に一番近い人物といえるかもしれない。自身の苦しみは自身で処理し、他にあまり出さない姿勢。そういう所も、ほとんど独学だけでやって来た私がシンパシーを感じる箇所だ。独りの学びもまた学びである。しかし、それは人に理解されにくい道だ。本書の戒融は、人から理解されない孤高の人物として描かれる。本書は普照の視点で書かれているため、戒融は物語半ばで姿を消す。そして物語の終わり近くになって再登場する。実在の文献によると戒融という僧がひっそりと遣唐使船で帰国した事が記されているそうだ。ただ、戒融が放浪僧だったとの史実はなく、あくまで著者の創作だろう。しかし、創作された戒融の姿からは独学の限界と寂しさがにじみ出ている。私も独学の誘惑にいまだに駆られている。が、私の能力では無理だ。共同作業によらねばならない現実を悟りつつある。何ともはかないことに、独り身の学びを全うするには人の一生はあまりにも短いのだ。それでもなお、独り学びには不老と同じく抗い難い魅力を感じる。

玄朗の学びは、同化の学びといえる。玄朗もある時点までは普照たちと同様に学問を目標としていた。しかし、玄朗は唐に向かう船上ですでに日本への里心を吐露する。そこには、同化と依存の心が見える。当初から向学心の薄かった玄朗の仏教を学ぶ意思は唐に渡って早々に薄らぎ始める。玄朗の意欲はますます減っていき、普照が鑑真和上の招提に奔走する間に唐への同化の度を強め、ついには唐で家族を持ち僧衣を脱ぐに至る。普照や鑑真が乗る日本への船に招かれながら、土壇場で心を翻して唐人として生きる道を選ぶ。玄朗の心の弱さをあげつらうのは簡単だ。だが、それはまた唐の文化に自らを馴染ませる学びの成果といえないか。玄朗は玄朗なりに自らの性格や依存心を早くから自覚し、仏門に向いていない自らの適性を学んだともいえる。それはそれで同化の学びとして何ら恥じるところはない。古来、数限りない適応や同化が繰り返され、人類は栄えてきたのだから。

景雲の学びは、諦めの学びだ。30年間唐にあって何物をも得られず、ただ無為の自分を自覚する。30年とは当時の人にとって一生に等しい時間だ。だが、私を含めた現代の人間の中に景雲を笑える人はそういないだろう。全員が景雲のような無為な人生を送る可能性もあるはずだ。だからこそ、景雲の生き方を反面教師として学ばねばならない。大人になるために学ばねばらないこと。それは自らの適性を探る行為だと思う。決して大学に行くためでも大企業にはいるためでもなく。自分が何に向いているかを試行錯誤する過程が学ぶことともいえる。義務教育とは、適性を学ぶための最低限の知識や社会適応を学ぶ場だと私は思っている。景雲にしてもあるいは他の文化、他の時代に生きていたら自らを表現できる場があったに違いない。諦めの学びは、良い意味でわれわれにとって有効な学びとなるだろう。

最後に業行。この人物の存在が本書に深い陰影を与えていることは間違いない。本書が単に鑑真の偉業をなぞるだけの本に終わっていないのも、業行の存在が大きいと思う。業行が唐に渡ったのは普照たちに遡ること30年前。その間、ひたすらに写経に打ち込んできたのが業行だ。付き合いも避け、栄位も求めず、ただ己の信ずる仕事に打ち込んできた人物。膨大な経典を写し取り、それを日本に持ち帰ることだけを生きがいとする日々。その学びは、寡黙の学びといえる。その成果は、業行と共に海の藻屑と消える。30年間の成果が自らの命と共に沈もうとするとき、業行は何を思っただろう。しかし、業行の寡黙の学びとは、何も業行だけのことではない。業行以外にも同じ志をもって命がけで唐に学んだ無名の人々の中には業行と同じ無念を味わった人もいたのではないか。無名とはすなわち寡黙。寡黙ではあるが、彼らが唐から持ち帰ってきたものが日本を作り上げていったことは間違いない。史書はともすれば饒舌に活躍した人々を取り上げる。当たり前のことだ。史書に残らない人々は、容赦なく時代の塵に埋もれてゆく。しかし寡黙な人々が着実に学びとらなければ、我が国の近代化はさらに遅れていたかもしれないのだ。寡黙な学びを実践した業行はじめ、無名の人々には感謝しなければなるまい。

後世の日本人はこういった人々の困難と徒労の積み重ねの成果を享受しているだけに過ぎないことを、われわれは知っている。本書に出てくる以外の人々によって命を懸けた学びが繰り返されてきたことだろう。それは、簡単に情報を得られ、ディスプレイ越しに旅行すらできてしまう現代人には想像すらできない速度の積み重ねだったのではないか。では、われわれは何を学べばよいのか。本書が問いかけるものとは、本書が刊行された昭和当時よりも今のIT化著しい時代に生きる者にとって重い。

‘2015/11/27-2015/12/02


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