著者の幾多の名作の中に眩暈という作品がある。記憶を無くした男の語る異世界に迷い込んだかのようなエピソード。彼はいつどこで何をしでかし、何故に記憶を喪ったのか。

一見無節操に見えるそれらのエピソードから、地球上のとある場所で起こった事件を御手洗潔が突き止める、という粗筋だったように思う。

著者の地理学、物理学、心理学、民俗学、医学などの博識を駆使し、壮大な謎解きを繰り広げた作品だった。もう二十年以上読んでおらず、大分忘れつつあったのだが、本書を読み、その地球規模の謎が久々に脳裏に甦った。

本書は、記憶を無くした男による奇想天外な話をもとに、御手洗潔がその謎を解明する、ほぼ眩暈のプロットをなぞった作品である。

ただし、眩暈から二十年以上経ち、現実世界の時の潮に合わせ、御手洗シリーズの作品世界も満ち引きを繰り返している。本書では御手洗潔はスウェーデンで脳学者として教授職に就いており、御手洗潔のワトソン役として知られる石岡は登場しない。本書はその大学病院にきた患者が示す荒唐無稽な童話、それとインタビューで患者が語る謎を、御手洗潔が解き明かす趣向である。

本書が目眩と違う点は突拍子もない童話の存在にある。タンジール蜜柑共和国への帰還というその童話は、異常に高い蜜柑の樹の上方に住む民族。背中の肩甲骨に羽の名残がある住民、人口の筋肉で飛ぶ飛行機。そのような場所がこの星に存在するのか。

また、本書を目眩と区別するもうひとつの点は、その死体。首と胴体が離れ、それぞれに凹凸のネジが埋め込まれるという驚愕の死に様。そんな死体が本当に存在するのか、そのトリックの意味とは?

これが、御手洗潔の手によって鮮やかに解き明かされる様は見ものである。

少々強引な論理飛躍を感じさせる箇所がないでもなく、着想ありきで、論理を後付で構築した感がありありだが、それでも本書はこれぞ著者の真骨頂ともいうべき逸品である。

‘2014/8/30-2014/9/2


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