講談社現代新書に収録された多彩なラインアップの中でも、本書はあまり見られない趣味の本だ。
本書は肩の力を抜いて、楽しく読める。

国道とはつまり道路。道路のあり方を楽しみ、その踏破を目標とする。私にとってとても共感できる趣味だ。

かつて、私は自転車であちこちを旅することを楽しんでいた。
旅の途中で通り過ぎる市町村境の看板を自転車とともに写真におさめる。そんなこともしていた。
残念ながら結婚して家族を持った私には趣味に費やす時間がなくなり、道や国道の趣味からは離れてしまった。

ところが、ここ二、三年で少しだけそうした趣味の時間がとれるようになってきた。そして、あちこちへと旅する頻度が増えてきた。
東北・関東・中部・近畿の駅百選を訪れたり、日本の滝百選を訪れたり、日本百名城を訪れたり。
残り少ない人生の中で、私の生きた証しを立てようとする本能が、私を旅へと駆り立てる。
まだ訪れていない場所を踏破する営みの裏には、有限の生しか与えられていない私の切ない感情がある。

だから、本書で書かれているような各地の国道を踏破し、多様な国道を走りぬく営みは私にとって相通ずる趣味といってもよい。
私も可能な限り、残りの余生で日本各地の国道を走破してみたい。
本書はその良きガイドとなるはずだ。

著者はサイエンス・ライターとしての仕事の傍ら、国道マニアとして趣味にまい進している方だ。
実際、本書は国道マニアとして思い浮かぶ全ての項目を押さえているように思える。

第1章 国道の名所を行く
第2章 酷道趣味
第3章 国道の歴史
第4章 国道完走
第5章 レコードホルダーの国道たち
第6章 国道標識に魅せられて
第7章 都道府県道の謎
第8章 旧道を歩く
第9章 深遠なるマニアの世界

第1章の国道の名所とは、各地にある特色のある国道を示す。
例えば、階段国道やエレベーター国道、石畳国道や裏路地国道、歩行者天国国道など。全国には面白い国道が散在している。
そして、私はそのほとんどを訪れたことがない。
こうした名物国道に訪れていないことを考えるにつけ、私が今まで経験した旅の乏しさを痛感する。

第2章の酷道とは、国道に指定されているのが不思議なほど、荒れた路肩や路面を擁した国道のことだ。
私は酷道を特集したムックを所持している。そもそも、あちこちの山や滝を訪れることの多い最近の私にとっては、酷道はより身近で憧れるジャンルでもある。
滝までのアプローチでけもの道を行く際にそうした廃道の遺構に出会うことがある。そのたびにかつては人々が行き交っていたはずの道の成れの果てに思いをいたす。
まさに冒険心とロマン、消えゆく歴史への哀惜など、酷道の世界には私の趣味心をくすぐってくれる要素が満載だ。

第3章の国道の歴史も面白い。
本書の帯にもあるが、国道60号や99号はわが国には存在していない。
それは二級国道を定義しなおした際、あらたに101番から番号が付けられたからだ。
だが、普通の人はそれらの国道の番号が欠番になっていることに不審を感じないはずだ。
だが、国道マニアにとっては、それこそが重大な事実なのだ。歴史や経緯など、調べていくと興味は尽きない。それがマニア。
本書はこのような重箱の隅をほじくるような知識が散らされており、それもまたうれしい。

第4章の国道完走も、私にとっては憧れだ。
鉄道の分野でいう、乗り鉄が全線を乗り尽くすぐらいの難易度だろうか。
私は本書を読むまで国道完走を数えたことはなかったが、いくつかの国道は完走しているはずだと思い、数えてみた。
例えば稚内から旭川までの40号線や本章にも紹介されている網走から稚内までの238号線。あと実家近くを走る43号線(大阪⇔神戸)は何度も完走している。三宅坂から沼津までの246号線も。
こういうのを地図上で埋めていくと、きっと楽しくなるはずだ。

第5章のレコードホルダーの国道たちは、いろいろな切り口で国道を紹介していて面白い。
長さ短さ高さ低さ広さ狭さ速さ多さなど。他にも道の駅が最も多い国道とか、多くの都道府県を通過する国道とか。
そうした目で見てみると、まだまだ国道趣味には多くの楽しみが見いだせそうだ。
誰か国道の沿道にあるコンビニエンスストアやファミリーレストランの数の統計をとってくれるとうれしいのだが。

第6章の国道標識に魅せられても興味深い。
国道マニアは、あの青くて角が丸い逆三角形の標識を「おにぎり」と呼ぶそうだ。重複国道では複数の「おにぎり」が並んでいる姿が見られる。私もいくつか、そうした光景を見たことがある。
それ以外にもいわゆる青い看板の意匠にときめくマニア。昭和前期に設置された昔ながらの国道標識が道端でひっそりと標識の役目を果たしている姿に胸を熱くするマニア。
こうしたモノに惹かれる気持ちはとても分かる。

第7章の都道府県道の謎で取り上げられる都道府県道も奥の深さでは国道にひけをとらない。
たまに私もWikipediaで都道府県道の項目にのめり込んでしまうことがある。
国道のように整備されておらず、地元に密着した道路だけに、それを極めるだけで至福の時間が過ごせるだろう。
都道府県道であれば、私は多くの道を走破しているはずだ。町田街道や行幸道路、鎌倉街道、尼宝線や武庫川右岸、兵庫県道82号や51号など。

第8章の旧道を歩くで取り上げられる旧道もいい。私は旧道にもロマンを感じる。
江戸から明治、大正の頃までは幹線道路として人々の旅を支えていた道。沿道の風景のそこかしこにかつての風情を残している道。
整備された現代の快適な道よりも、私はこうした道に旅情を感じる。

こうした道を歩き、自転車で走っていると、道の側溝や橋やトンネルなどに愛おしさを感じる。
新道ができたことで急速に寂れ、忘れ去られようとする道のはかなさに惹かれる。不便であるがゆえにかえってかつての風情を残す。
上にも挙げた兵庫県道82号は、新しく盤滝トンネルができたことによって旧道は寂れてしまった。だが、私はこの旧道を阪神・淡路大震災の当日の朝、決死の思いで走り抜けた。懐かしい思い出があり、著者のいうノスタルジーがより理解できる。
この章では道路元標にも脚光をあてている。特に大正期の元標はまだまだ発見されていないものもあるらしい。
私も本書を読んでからというもの、旅先で道端を見つめることが増えている。

第9章の深遠なるマニアの世界では、今まで取り上げていなかった国道趣味の他の分野について触れている。例えば国道グッズや歌・映画などに登場する国道など。それはそれでマニアには需要があることだろう。
本章で私が面白いと思ったのは、非国道走行というジャンルだ。国道を通らずにある場所からある場所まで走破できるか、というチャレンジ。例えば十字路で国道をまたぐのは許されるが、それ以外はだめというルールを課し、それにそっていけるところまで行く。
鉄道にも一筆書き乗車というのがあって、私も関東を一日乗りとおしたことがあるが、それに近い面白さを感じる。
本書によると東京から大阪まで、国道を使わずに走りきることが可能らしい。おそるべきマニア。

私が本書を読み、国道の旅に出たくなったことはいうまでもない。
だが、私は著者並みのマニアになれそうもない。残念ながら。

というのも、時間の自由がだいぶ利くようになってきたとはいえ、仕事の都合でまとまった時間がとれない。
また、かつては二台の車を持っていたが、今は一台しか持っていないので車が自由に使えない。
それに加え、私の住んでいる東京の多摩あたりは帰りの渋滞がひどく、それが車旅の意欲を極端になえさせる。

そうした意味でも国道マニアとは本当にうらやましい趣味だと思う。そして、その趣味に生涯を掛けられることが本当にすばらしいと思う。
こういう本を読むたび、人は自分の好きなことをして過ごしていくのが本当に幸せなのだ、と再確認できる。
人に与えられた時間のあまりの少なさにも。

978-4-06-288282-8

‘2019/10/3-2019/10/3


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 1月 24, 2021

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