今回のリンカーン・ライムシリーズは時空を超えて展開する。時空といっても荒唐無稽な話ではない。

ある殺人未遂事件の背後にある、アメリカの歴史にとって触れられてはならない暗部。これが本書のテーマとなる。サスペンスと推理が融合した当シリーズではあるが、リンカーン・ライムが扱うのは現代の事件だけではない。時には時代を遡って捜査することがある。そのような過去への趣向が散りばめられたのが本書である。とはいえ、知っている方はご存じの通り、リンカーン・ライムが道楽で過去の事件を掘り下げる訳がない。ではなぜか。それは、現代に起きた事件の背後を探る上でアメリカの過去を遡る必要に迫られためである。

アメリカの歴史を語る上で、黒人奴隷の虐げられた苦闘の跡は避けて通れない。今でこそオバマ大統領を始め、政財界、芸能、スポーツ界で活躍する黒人の方々は多い。しかし、つい半世紀前までは黒人に対する激しい差別がまかり通っていた。キング牧師の演説でも知られる公民権運動を巡り、アメリカ社会は大きく二つに割れていた。現代に生きる我々、しかも太平洋を挟んだ日本に住んでいると、アメリカにそのような暗い過去があったことを知らない向きも多い。黒人に対する激しい差別が繰り広げられていたことなど、今の若い日本人には知らない人もいるのではないか。アメリカ社会の第一線で活躍する黒人の方々には賛嘆の言葉がいくつあっても足らない。しかし、その陰には苦難の歴史を耐え抜いてきた黒人奴隷や公民権運動に参加した黒人の連帯の強さがある。今のアメリカは、尊い先人達の努力と礎の上に築かれている。

今を生きる我々は、そんな負の過去をも乗り越えようとしているアメリカの強さと、人種差別史の中でも特筆すべき転換期を目の当たりにしていると言えるだろう。

しかし、そうした日の当たる場所で活躍する黒人がいる一方、未だに人種差別に喘いでいる方々がいることも忘れてはならない。人種差別が悪という社会的な認識が広がった今、差別は裏側に潜み、陰険化し、一層始末に悪くなっているとも言える。

本書は、そうした黒人の解放の歴史にまつわる秘話を背景に置く。そして現代のニューヨークに残る差別の残滓を、ヒップホップに代表される黒人文化に絡めてあぶり出す。事前のリサーチの質量には定評ある著者。本書もかなり深いところまで黒人文化が描かれていると感じた。

過去の謎と現代の謎。それらが縦横に織られ、本書は進む。

本書の主要人物はジェニーヴァ。黒人の女子高生である。黒人であり女子高生。本書冒頭で何者かに襲われるが、咄嗟の機転で襲撃を交わす。一般に社会的弱者として括られがちな彼女は、その境遇にもくじけぬ聡明で優秀な人物として描かれる。本書を通して、彼女は保護されつつも、過去と現在の謎を解くため、積極的にライムとその仲間たちに関わって行く。

過去の謎とはジェニーヴァの四代ほど前の祖父チャールズ・シングルトンにまつわるものである。本書中程の188-189頁のライムのセリフで、彼のことが触れられている。「チャールズについて、わかっていることは何だ?教師で、南北戦争の兵士だった。州北部に農園を所有し、経営していた。窃盗の容疑で逮捕され、有罪とされた。世間に知られれば悲劇を招きかねない秘密を持っていた。ギャローズ・ハイツで開かれていた内密の集会に出席していた。黒人公民権運動に関わり、当時の有力政治家や公民権運動家と親しくしていた」

ジェニーヴァは祖父が取り上げられた雑誌を図書館で調べていたことで、命を狙われた。果たして祖父の抱いていた秘密とは何なのか。それを百何十年あとの今、調べることで、なぜ命を狙われなければならないのか。

本書に登場する犯人は、トムソン・ボイド。彼の視点で語られる犯行は几帳面であり、大胆。犯行準備に余念がなく、生い立ちから来る無感覚の人物として造形された。だが、本書上巻では彼の目的は語られない。そしてチャールズの秘密もまた。

上巻では、ジェニーヴァの通う高校の同級生達が登場する。または、グラフィティ・キングこと、ジャックスという謎の人物。ジャックスはけちな小犯罪者とは一線を画した顔を時折覗かせる。高校生やジャックスによって黒人社会の様子が多面的に、多層的に描かれる。その中で著者はさまざまな視点を提供する。我々が黒人社会に抱くステレオタイプな見方は、著者によって乱され、惑わされ、まだまだ黒人社会の一面しか知らなかったことを思い起こされる。同情もしなければ、罵倒もしない。本書で書かれる黒人たちへの視線は公平である。公平とは言っても突き放した視線ではなく、その視線は温かい。

白人である著者がこのような視点で紡げることに、アメリカにおける人種差別問題が解決に向けた第一歩を踏み出しつつあることを感じた。

‘2014/10/4-2014/10/8


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