本書のように、読み手の認識の上手を行く小説に出会うと興奮させられる。脳の使っていない領域が刺激されるからだろう。
芥川賞作家の円城塔氏の作品を読んだ時にも似た感覚。
本書は、推理小説の枠組みの中で読み手の認識を試しにかかることがなおさら興味深い。

推理小説とは、言うまでもなく小説の一ジャンルだ。その本質は謎を解く経緯を楽しむことにあると言っても間違いではあるまい。
だから推理小説にはある種のルールが存在する。そのルールの制約にのっとり、作家から読者ヘと謎が届けられ、読者は謎に導かれながらページを繰る。そして最後には謎が解かれるカタルシスを得る。それこそが推理小説の魅力だ。
謎という縛りがあるため、推理小説には純文学とは違うたががはめられている。
先に名前を挙げた円城塔氏は、純文学の世界の作家と目されている。一方、著者は推理小説の世界で著名な作家である。そのため、本書は推理小説のジャンルとして書かれている。
ところが著者は、推理小説の枠組みを生かしながら、それを逆手にとった内容に仕立て上げている。

上に推理小説のルールと書いた。ルールといってもいろいろある。
その中で、1920年代に英国の推理作家ロナルド・ノックスが発表したいわゆる「ノックスの十戒」はよく知られたルールだ。
私もかつて、推理小説の概観を紹介する本で「ノックスの十戒」は目にしたことがある。
それ以来、長い間、十戒のことは忘れていたが、本書を読んで久々に思い出した。

「探偵小説には、中国人を登場させてはならない」という第五戒の奇妙な記載。この唐突な一節は、あらためて考えてみると妙な文章だ。
多分、私が初めて「ノックスの十戒」を目にした当時も、かすかに違和感を覚えたはず。だが、もう覚えていない。
本書で取り上げられたことで、あらためて第五戒の特異さに目がいった。

本書は全部で四編から成っている。それぞれ独立した短編だが、最初の一編は最後の一編へとつながっている。
「ノックス・マシン」
「引き立て役倶楽部の陰謀」
「バベルの牢獄」
「論理蒸発-ノックス・マシン2」

「ノックス・マシン」は、まさにノックスの十戒のうち、第五戒がなぜできたのかを取り上げている。中国人を槍玉にあげた唐突にも思える一戒はなぜ生まれたのか。
その謎に着目した本編は、ミステリでありながらSFの要素を兼ね備えている。なぜなら、本編の舞台は2050年代末だから。いわゆる近未来だ。

人工知能による小説の自動生成が当たり前になり、人類が自ら小説を作り出す必要がなくなった未来。
人工知能が小説を生み出すには小説の学習が欠かせない。学習の範囲は語彙や文法、筋、表現など幅広い。
あらゆる文章を読み込み、埋もれた文章まで含めて発掘し尽くすのがパラ人文学。
ところが、あらゆる文章が発掘された事で、学問が成熟を迎え、新たな成果物が生まれにくくなっていた。

パラ人文学部でかつて隆盛を極めた数理文学解析を専攻し、二十世紀の黄金期の推理小説を研究するユアン・チンルウにとっては、そうした事態は望ましくない。自らの捧げた学問分野の衰退につながるからだ。
そこでユアンは研究にあたり、分析にノックスの十戒を用いたモデルを作ってみた。
ところがシミュレーション結果がうまくいかない。それは第五戒の中国人の部分が結果を乱しているからだ。
そんな風にパラ人文学部で研究を重ねるユアンのもとに、国家科学技術局から呼び出しが来る。
国家科学技術局では、タイムトラベル理論を検証する取り組みの中で、時間線上の特異点が発見された。
その特異点の日付とは、ノックスの十戒が書き留められた日。その謎を解き明かすため、ノックスの十戒を研究していたユアンが呼び出された。
ユアンは第五戒の生まれた謎こそが、特異点に関係していると突き止め、その謎を解くため一方向しか行けない時間旅行に志願し、ノックスに会いにいく。

本編はSF的な趣向に満ちているが、その中でノックスの十戒の謎となるくだりがなぜ生まれたかを鮮やかに解釈してみせている。
かつて、歴史ミステリが一ジャンルを築き上げたが、本書もまた、その系譜に載せるべき一編かもしれない。

本書の末に載っている「論理蒸発」は、そこから15年後の世界を描く。あらゆるテキストがデータに置き換えられた世界。紙の書物はほぼ絶滅し、あらゆる文脈がデータの中で密接に絡み合う世界。ところが、その保存されたデータが小説から順に蒸発してゆく事件が起きた。
どうもそれは紙原理主義ともいうべき過激派による犯行の節がある。
小説が人工知能に握られ、人類からテキストの創造が喪われた現状を破壊し、過去の紙による文芸の世界に戻ろうとする。それこそが紙原理主義の掲げる主張だ。

主人公のプラティバは、原典の文章の正統性を管理する部署にいる。そして父は数理解析の分野の泰斗と目される人物である。
世界から小説のデータが失われつつある現状。それを調査するよう命じられたプラティバは、調査の中でユアン・チンルウのことを知る。
そこで二人は協力し、世界からテキストが喪われる事態を防ごうと奔走する。

本編もまた、SF的なギミックに満ちている。
それでいて、小説の中のコンテキストの意味を考えさせられるように書かれている。このメタな発想はとても面白い。

メタと言えば、二番目に収められた「引き立て役倶楽部の陰謀」も面白い。
引き立て役といえば、シャーロック・ホームズを支えるワトソン博士の名前が真っ先に挙げられるだろう。
黄金期の推理小説にはこうした探偵役と助手の組み合わせが多く生み出された。
今般出版される推理小説のシリーズにも同様の引き立て役は存在する。
本書はその引き立て役が集まった会合の存在を仮定する。そして、彼らが巡らせる原理主義の色の濃い策謀を描いている。その発想がとても面白い。

アガサ・クリスティーの「アクロイド殺し」は名作中の名作として知られる一品だ。その犯人の正体をめぐる真相は、発表された当時、大変な反響を呼んだという。
そして、引き立て役の面々にとっては「アクロイド殺しの謎」の革命的な内容が自らが属する古典の推理小説の世界を壊しかねないと危惧する。
そして作者であるアガサ・クリスティーをかどわかし、作品を亡き者にしようと大それた陰謀を実行する。
実際、アガサ・クリスティーは史実でも謎の失踪を遂げた時期がある。それはミステリが好きな向きにはよく知られた話だ。失踪の真相は今もって謎だという。
本編はその謎を引き立て役の陰謀にからめている。その着想の見事さは、うなるしかない。

本書全体から感じられるのは、著者の推理小説全体に対する深い知見だ。ただただ見事。
私自身、かつて読んだはずの「アクロイド殺し」の筋書きをだいぶ忘れてしまっている。本編を読んで、再読してみなければ、という思いを新たにした。

残りの一つ「バベルの牢獄」は、SF的な趣向に溢れている。
推理小説のような要素は一読すると皆無だ。
鏡文字に印刷された文字が、主人公の思惟の対ではなく、わずかな差異=キラリティであるとの設定で進められる。その鏡文字を発する思惟と主人公がどうやって会話を成り立たせるか。本編もまたテキストの本質を高次の視点から描いた一編だ。

こうした物理的な概念を持ち込んで小説を表わす著者の異能には驚くほかない。推理小説の大家である著者だが、まだまだアイデアには枯渇していないようだ。
私も著者の他の作品を読まなければ、と思った。

‘2019/01/19-2019/01/19


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 3月 10, 2020

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