ジンが熱い。
ジンが今、旬であることは、酒に興味がある人、特に蒸留酒の世界に興味を持つ人にとっては周知の事実だ。
昨今のジン界隈の盛況は、ウイスキーの盛り上がりにも引けを取らない。

去年の秋、Whisky Festival 2019 in TOKYOに参加した。
このイベント、タイトルはウイスキーと名乗っているが、ジンのブースも結構目立っていた。特に国内のクラフトジンはかなり数の蒸溜所が出店しており、ジンの盛り上がりを如実に感じた。

実際、会場のジンをいくつか試飲させてもらったが、それぞれに個性が認められる。
ジンだけを巡っていても決して飽きがこない。
実際、Whisky Festival 2019 in TOKYOの半年ほど前に天王洲で開かれたGIN FESTIVAL Tokyo 2019にも参加したが、GINだけで埋められた空間は、食傷どころか食指が伸びる一方だった。
Whisky Festival 2019 in TOKYOから四カ月ほど後、今度はWHISKY galoreでクラフトジンの特集が組まれていた。
WHISKYを専門とする雑誌でジンの特集が組まれるなど、異例だといえる。
そうした流れの目の当たりにし、ますます私の中でジンの興味が増す中で本書を手に取った。

本書が出版されたタイミングは、世界的なジンの復興が起こり始めた時期に等しい。
産業革命を目前にしたイギリス、ロンドンでは、ジンが社会風紀の乱れの象徴として槍玉に挙がっていた。
その事実は当時のロンドンを描いた文章を読んでいるとよく見かける。酒の歴史を扱った本では必ずと言ってよいほど。
つまり、ジンとは悪徳を体現したふしだらな酒、という印象がついて回っていたのだ。

そんな悪いイメージがついて回ったジンが、ここに来てなぜ大復活を遂げたのか。なぜ、今になってGINに脚光が当たっているのか。
それが気になって私は本書を手に取った。その理由を知るために、もう一度ジンを学び直すことも悪くない、と。

本書が扱うのはジンの歴史だ。同時にジンの歴史とは蒸留酒の歴史にもかぶる。
なぜならウイスキーをはじめ、蒸留酒の歴史はまだよく解明されていない。そして、ジンの製法がウイスキーの製法に影響を与えた可能性も大いにあり得るからだ。

今までにも私は、ウイスキーの歴史を取り上げた本を数多く読んできた。
そうした本を読んだ後の余韻には、なんとなくの収まりの悪さを感じていた。
その中途半端な感じは、ウイスキーの歴史には長らくの空白があることから生じていたようだ。本書は、そんな私のウイスキーに関する知識の欠落をいくつかの点で補ってくれた。

特に、中世のヨーロッパに決定的な影響を与えたペスト禍において、ジンに欠かせないジュニパーベリーの薬効が信じられ、人々がジュニパーベリーにすがった事実はジンの歴史において重要だ。
そもそも蒸留酒の起源を調べると、医薬品として用いられていた事実に行き当たる。
そうなると、続いて湧き上がる疑問は、数ある蒸留酒の中で最初に人々をとりこにしたのがなぜジンだったのかの理由だ。なぜブランデーやウイスキーではなく、ジンだったのか。
その理由は、ペストに苦しむ人々がジンのジュニパーベリーの薬効にすがっていた事実を知ると納得がいく。ペストに効くと人々が信じたジュニパーベリー。それを主要成分として用いたジン。

もう一つの興味深い事実は、ブランデーの存在だ。
もともとヨーロッパで広く飲まれていたのはビールでありワインだった。
特にキリスト教文化にとって、ワインは欠かせぬ飲みものであり、それを蒸留したブランデーは、他の蒸留酒と比べても先んじた地位を確立していた。

実際、本書によるとジュニパーベリーを蒸留酒に漬け込みはじめた当初、その蒸留酒とはブランデーだった。
ところが、ヨーロッパを覆った寒気と国際情勢は、北の国からぶどうを奪い去っていった。
そこで、人々は穀物を使った蒸留酒を作るようになり、ジンやウォッカ、ウイスキー、アクアビットがブランデーにとって変わっていったという。

ジンも当初は、ジュネヴァというネーデルランドの酒として生まれたという。そして、その味は今のジンとは似ても似つかぬものだったという。より濃厚でより芳醇な。私も前述のGIN FESTIVAL TOKYO 2019でジュネヴァを飲ませてもらったが、ジンの持つ清涼感がなく、個性に満ちた味だったように記憶している。

著者によれば現代のジンは味のついたウォッカだという。
そしてオランダ語でイエネーフェルと呼ばれたジュネヴァはジンの原点だという。また機会があれば飲んでみたいと思う。

続いて本書は、ジュネヴァがイギリスへと伝わり、粗悪な酒としてはびこる様子が描かれる。その様を称してジン・クレイズと呼ぶ。
著者はこうした表現によってジンを陥れようとしているわけではない。
むしろ、当時のロンドンの世相を陰惨なものにしていたのは貧困だった。貧困に至る社会制度。
それこそが当時のロンドンを支配していた悪だった。
そのため、民は粗悪で安いジンに群がった。当時重税が掛けられたビールの代わりとして。
それがジンの悪名の元となり、今に至るまで影響を与え続けている。

ところがロンドン・ドライ・ジンが生まれたことによって状況が変わった。
ジンといえばイギリスというイメージがつき始める。
それはイギリスの海軍が強大になり、それが各地、各国の産物を集結させたため、品質の向上に拍車がかかった。
さらにコフィ式連続蒸溜器の発明がジンの品質を劇的に向上させた。
次いで、さまざまな果実とジンを混ぜる飲み物が流行し、それはアメリカの自由な雰囲気の中でカクテルとして開花し、世を風靡する。

そればかりか、ジンはアメリカでギムレットのベーススピリッツとして好まれ、その他のさまざまなカクテルのベースにもなる。そうやって、ジンの活躍の場は増大していった。
時代は1920年代。後々にまで語り継がれる華美に輝いた時代。そして、アメリカがつかの間の繁栄を謳歌した時代。
カクテルはあちこちで飲まれ、ジンはあまりにもメジャーな存在となった。
ところが、それがメジャーになりすぎ、さらに禁酒法がジンにさらなる逆境となり、いつのまにかジンは時代から取り残された存在となった。匂いのないウォッカにその座を奪われて。

すっかり主役の座から降ろされたジン。長い間、時代遅れの酒の代名詞であったジン。
それが変わったのがボンベイ・サファイアの登場だ。水色の清々しい瓶は鮮烈で、それまでのジンが門外不出を旨としていたのと違い、レシピを公開した。
ボンベイ・サファイアの登場によってジンの歴史に新時代が到来した。

そしてそこからヘンドリックスジンをはじめとしたあまたのジンが追随し、今の世界的なクラフトジンの繁栄へと至る。

こうしてジンの歴史を概観すると、ジンのベースがプレーンだったことが、ジンに大いなる可能性を与えたことは間違いない。
プレーンであるが故、ボタニカルを無限の組み合わせることもできる。それは既存の蒸留酒にないあらゆる伸びしろをジンに与えたのかもしれない。

私も本書を読み、またジンの専門バーやGIN FESTIVALに行ってみたくなった。今年はコロナの影響で中止だとか。それが残念だ。

‘2019/3/10-2019/3/24


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