当代きっての人気作家である著者。その魅力を語りつくすには私の文章では力不足だろう。あえて二つ挙げるとすれば、多作なのにシリーズものに頼らないこと、シリーズもの以外にも秀いでた作品が多いことだろうか。我々素人からみても、シリーズもののほうが毎回設定を構築する手間が省ける分、作家にとって楽なことは分かる。しかし著者はシリーズものに頼らない。それでいて、あれだけの良作を産み出し続ける著者の筆力は半端なものではないと云える。

とはいえ、昨今の著者を超がつく売れっ子にしたのは、代表的な2シリーズの力に与ることも否めない。代表的な2シリーズとは、「新参者」「麒麟の翼」に代表される加賀恭一郎シリーズと、「探偵ガリレオ」「容疑者Xの献身」で知られるガリレオシリーズのことである。シリーズ物にありがちな惰性とは無縁な2シリーズは、駄作とも縁がない。

この2シリーズに共通する魅力とはなんだろうか。私はそれを人情に篤い主人公のキャラクター設定に見た。加賀恭一郎も、ガリレオこと湯川学も、怜悧な論理を自在に操る能力の持ち主だ。しかし、二人とも論理一辺倒の人物ではなく、その論理が情の豊かさに裏打ちされているのがいい。論理を越えたところで見せる暖かく血の通った振る舞いが、読後に爽やかな感動を残す。謎が解かれるカタルシスももちろんだが、彼らの見せる優しさに心を動かされ、それが後々まで小説の余韻として残る。

彼らの情の篤さは、事件の幕引きにおいて顕著だ。加賀恭一郎シリーズには「赤い指」という名作がある。この事件で、加賀恭一郎がとった事件の幕の引きかたは感動的とさえいえる。それは、厳しくそれでいて相手を真に思いやらねば決して出てこない言動である。ガリレオにしても理詰めに謎を解き、犯人を追い詰めるだけの冷徹なキャラであれば、ここまでの支持が得られたかどうか。理論の塊にみえる彼が時折見せる人間的な心の揺れは、理論武装の平素からするとその人間臭さが余計に強調される。物理学の公理に照らすと合理的でない行動も、ガリレオの心は彼の心にとって合理的な行動を選ぶ。理論と自らの人間性のはざまに揺れる彼の悩みや迷いは、大方の読者にとって大いに共感できる部分であり、だからこそ本シリーズが支持されるのだろう。

ガリレオは本書でも、印象的な言動を多々見せる。冷静で論理の筋が通った頭脳のさえは相変わらず。が、本書にはガリレオのペースを乱す人物が登場する。それは恭平少年である。海岸沿いのひなびたリゾート地へ向かう列車の中で知り合った恭平少年とガリレオ。お互いの行先が一緒であることから、ガリレオは宿泊先を少年が泊まる宿に定め、夏休みの間の二人の交流が始まる。事件に巻き込まれるという類まれな経験とともに。

本書でガリレオが見せる恭平少年への接し方は、本書の最大の見どころである。子どもが苦手という設定のガリレオだが、それゆえに手慣れた大人としての接し方ではなく、彼なりの振る舞いで恭平少年と相対する。一見すると冷徹な理屈で冷たく突き放すように見えるが、そこには恭平少年を大人扱いし、真に少年の立場にたって考えた彼の思いやりが背景にある。恭平少年も、大人の型にはまらず血の通ったガリレオとの交流に感じる思いがあったのか、ガリレオを博士と呼んで慕う。

子どもを子ども扱いせず、一人の人間として接することで、子どもはその相手に敬意を抱く。私も子を持つ親として頭では分かっているつもりだが、それを実践するのは口にいうほど簡単ではない。しかし、本書で描かれるガリレオと恭平少年の交流はどうだろう。ある時は親身にある時は突き放し、恭平少年のひと夏の自立を促すガリレオの様子は、とても独身物理学者のそれとは思えない。

本書の前半部では、自然保護と資源開発の対立が描かれる。それは釣り餌のようにして読者の前にぶら下げられる。それらに対するガリレオの考えも述べられ、大変興味深い。おそらくは著者が平生考えている内容をまとめた内容と思われるが、頷ける論理である。しかし、本書は自然保護論を云々する本ではない。序盤でこういった少し手垢のついた題材での対立が描かれることに、失望を覚える読者もいるかもしれない。ああ、ガリレオシリーズもついにマンネリ化への道を進むのか、と。しかし、本書はそんな単純な筋書きでは進まない。むしろ恭平少年とガリレオを囲む外部が俗っぽくなればなるほど、彼らの交流の豊かさが際立つ。私はそのような意図があって、本書の構成にしたのではないかと思う。

本書のテーマはあくまでガリレオと少年のこころの交流に置かれている。ガリレオが恭平少年に対してみせる気遣いや応対は、読者が大人であればあるほど、普段の子どもへの向き合い方を考えさせられるものである。子どもをいかにして世間から守り、自立した大人へ旅立たせてやれるか。それは決して頭で考えるものではない。

事件は現場で起きているという。それは云うまでもない真理に違いない。しかし、事件は子どもの中にも何かを起こすことも忘れてはならない。今までの推理小説は、子どもの心中を描写することにおいて、あまりにも無関心だったように思う。事件に巻き込まれるという経験は、大人にすら平穏なものではない。ましてや、子どもに対しての影響はもっと重大なはず。有事のとき、大人がどのように子どもを守り、どのように事件の影響からケアするのか。本書が提起する内容は存外に重く、考えさせられる。

云うまでもなく、子どもにはこれからの人生と可能性がある。それを活かすも潰すも大人の責任となる。理屈だけでは追い切れない人生の複雑な襞の一つ一つを、ガリレオは恭平少年に提示し、それと直面するようにさばき、守りぬく。本書を読む興を削ぐことになるのでこれ以上は書かない。が、本書がガリレオシリーズの名作としてまた一つ加えられるのは間違いないとだけは書いておく。

‘2014/10/3-2014/10/4


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