本書を読み終えてから一年近く経ち、ようやく本稿を書いている。その間には本書を原作としたテレビドラマも始まったと聞く。例によって一度も観ていないが。

だが、読み終えて一年経ったにも関わらず、本書の内容はよく覚えている。心動かされたシーン、クライマックスのシーンを何度読み返したことか。何度も読み返したことによって本書の内容は頭に入った。しかしそれだけではない。他にも本書の内容を覚えている理由はある。それは、題名から想像した内容と実際の内容に違いがあったことだ。

はじめ、本書の題名から想像していたのは「まいど一号」である。「まいど一号」とは東大阪市の中小企業団地の会社が集まり、開発したロケットの名前である。それは 宇宙開発協同組合SOHLAとして知られている。私が本書を読む前に持っていた下町ロケットのイメージは、宇宙開発協同組合SOHLAのニュースを下敷きとしたものであった。

しかし、本書の粗筋はそれとは大分違っている。中小企業といっても、主人公佃航平が社長を勤める佃製作所は、技術に定評のある精密機械の製造会社。しかし、ここに来て大口顧客の契約を失注し、ライバル社からは特許侵害で訴えられ、さらにメインバンクへの融資依頼も渋られる始末。

立て続けに起こった会社存続の危機に際し、折よく帝国重工の宇宙航空部長財前より、佃製作所の持つ特許の譲渡を持ち掛けられる。その特許がないと帝国重工は自社の新型水素エンジンを商品化できない。しかし、航平は逆に財前に提案する。部品供給者として共同開発に参画させてもらえないかと。巨額の特許譲渡収入を捨ててまで航平にそう決断させたのは、自身が宇宙開発事業団の主任エンジニアとしてロケット打ち上げに失敗した経験があるため。その苦い経験の払拭や、自らの夢への想い。

はたして航平は自社内製品しか採用しないという帝国重工を説得できるのか。また、佃製作所は、帝国重工の求める苛烈な試験を通せるだけの製品を送り出せるのか。ライバル社からの特許侵害裁判に勝てるのか。何よりも社内の空気を航平の夢に向ける事が出来るのか。

著者の作品全てに目を通した訳ではないが、著者は組織の嫌らしさや軋轢を描くのがうまい。そういう印象を持っている。組織の嫌らしさや軋轢に抗い、勝ち上がる個人のしたたかさ。著者の作風はそのようなものだと勝手に思い込んでいた。しかし、本書を読んだ後では、そういう著者の作風に対する見方は改めねばならない。人の負の感情に対するのは、己を信じる自負心である。本書の底には一貫して前向きの気が流れている。もちろん本書には、足を引っ張る人間や懐疑的な人間も多数出てくる。しかし、本書にはそれを覆すだけの信念とそれを貫き通すことの美しさが気高く書かれている。

また、本書は佃製作所という中小企業が舞台だ。中小企業をいじめる大企業。その構図は、著者の他の作品でもお馴染みだ。しかし、本書に登場する帝国重工の財前や、メインバンクから出向して佃製作所の経理部長を勤める殿村といった人物は、大企業のプライドにふんぞり返ることなく航平の夢に協力する。そういったシーンはとても印象に残る。会社とは、仕事とは何かといった思いが、本書を読み終えると胸に実感として湧き出るはずだ。

何かを成し遂げるにあたって、立場や損得よりも大切なものがある。そのようなテーマは書き方を誤ると、とにかく「くさいシナリオ」になってしまう。が、本書では日本の中小企業に焦点を当てているためか、話に現実性がある。実際、わが国では町工場から世界に雄飛した松下やソニーといった先例もあり、世界シェアの大半を握る中小企業も珍しくない。戦後の熱い成長の記憶は我々の無意識に残っており、本書の内容が嘘っぽく聞こえない。日本の中小企業はもっと自信を持って良い。そう思える。

本書に感じられる中小企業への温かい視点は、或いは大手銀行出身の著者の自省によるのかもしれない。かつての我が国の高度経済成長を支えたのは、財閥系の大企業よりも、むしろ中小企業だった。そのような論は良く目にする。大手銀行が大企業だけを相手にし、中小企業への融資を控えたのが、日本経済の失速の原因ではないか。もし著者がそう思って本書を書いたのだとしたら、非常に心強い話である。少なくとも私は本書をそう受け止めた。そして今でもそう信じている。舞い上がった気持ちのままに。

本書は、中小企業への著者からのエールである。そうに違いない。

‘2014/12/25-2014/12/26


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