本書を手に取ったのは、東北地方太平洋沖地震発生以降の東京電力のことが脳裏にあったからである。同社は、地震発生以降の対応についてあれこれ取り沙汰され、批判されている。批判することは容易だが、そもそもなぜそれほどまでに頑迷なのか、興味を持った。

私はIT業界で飯を食っている者である。サーバーやPCなど、UPSや自主電源を持っていたところで、電力供給が不安定になればただの箱になることを常々自覚している。そのため、脱原発を即刻行うことについては反対の立場であった。

かといって利権の匂い濃厚な従来の原発政策については、透明感ある改革が即刻必要と感じていた。小学生の娘を持つ身としてもハイリスクハイリターンな原発を電力行政の柱とすることにも、反対の立場である。

私はむしろ、日本の歴史を省みて、このまま成長路線を突き進んでも、ロクな結果にならないのではないかと思っている。先年、mottainaiが世界で脚光を浴びたように、縄文から続く日本の和の精神に立ち返る契機として、今回の地震が起こったのではないかと思っている。

本書は、明治の文明開化以降、どのようにして電力が整備されたかについて、電力業界の変遷を辿った労作である。いうまでもなく、近代国家日本の発展と、電力業界の発展は切り離せないものである。本書を読むと、電力業界の発展につれ、発送電一括の体制が整い、寡占状態に至った経緯を理解することが出来る。

電力業界の統合を巡って、繰り広げられてきた激しい暗闘も描かれている。社員・組合の反発を恐れて高待遇の見直しができない電力業界。高待遇に至ったのも、闘いの結果としての権利としての主張なのだろうか。

私のような部外者がどうこう批判できる筋合いはなく、業界の自助努力に期待するほかないのかもしれない。では部外者はどうすればよいか。批判しっぱなしの批判ではなく、少なくとも電力業界の過去と現在を理解する努力をした上で、未来を語るべきではないだろうか。実はそれは、日本の将来を考えることでもあると思える。

’12/04/23-12/04/26


カテゴリ: 読ん読く.
最終更新日: 7月 27, 2014

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