著者の大分前の作品にクリムゾンの迷宮という作品がある。いきなりどこへと知れぬ場所へ連れ去られた男女達が、命をかけた生き残りゲームを強いられる話だ。私が読んだのは記録によると2001年。14年前だ。本書を読み終えて思い出したのはクリムゾンの迷宮。作風が実に良く似かよっている。

違うのは、登場人物達が自らの戦う場所を認識していること。本書の舞台は長崎にある端島(軍艦島)だ。さらにもう一つ違うのは、登場人物達の姿形が人ならぬものに化けること。化けただけではなく、化けた姿の属性に応じた能力が付与されていることだ。

異形の姿に成り果てた男女は、赤と青の二勢力に分けられる。そしてその異形の能力を操り、敵を殺す。殺された敵は敵方の勢力として命を吹き込まれ、大将によって任意の場所に打ち込まれる。それはまるで将棋でいう持ち駒のようだ。そう、このゲームはまるで将棋。そうはいっても異形の者達の動きはチェスや将棋のような単純な動きではない。しかし一定のルールに従っている。

本書は青の大将(キング)である塚田の視点で進む。塚田は将棋差しが腕を磨きプロを目指す奨励会に所属していることになっている。青の駒は姿形こそ異形になっているが、人間だった時の記憶を持っている。そしてそれらは皆、塚田が人間だった頃の知己という設定になっている。

なので、塚田が人間だった時にその駒とどういう関係だったか。それが各駒への指示や勝負の行方にも影響を与える。とくに塚田の恋人理沙や大学での恩師は塚田にとって近しい関係だったため、塚田の判断や戦略に大きく影響を与える。

また、千里眼のように周囲の状況を把握できる一つ眼の赤ん坊の外見を持つ存在もいる。今はいつで、なぜここにいるのか、この勝負の胴元はだれか、負ければどうなるか、などの情報。それは話が進むにつれ、一つ眼が小出しに開示する。

対する赤の軍勢の正体も徐々に明らかにされてゆく。赤の大将は塚田の親友であり、奨励会で互いに切磋琢磨する奥本。実力も伯仲した二人が赤と青に分かれ、死の七番勝負を戦うことを余儀なくされる。一度負けたら持ち駒や配置はすべてリセット。前試合の殺された痛みや戦跡の記憶を保持したまま、先にどちらかが4勝するまで勝負は続く。

冒頭にも書いたように、本書は明らかにクリムゾンの迷宮を下敷きとし、それを発展させたものだ。そこにはここ十数年のオンラインゲームの発展も取り込まれている。偶然にも本書を読む少し前に、ターン制を廃した画期的なチェスが発表されたばかり。

本書はそのような新たなゲーム世界の創造を意図して書かれたと思われる。その意図は著者の意図であるが、読者はそれとは別にこの異形のゲームの創造者は誰かという著者から提示された作中の謎も忘れてはならない。各章の合間には断章が挿入される。そこでは人間の塚田の日々が描かれる。奨励会での日々や大学での日々。本書の種明かしとなるのでこれ以上は述べないが、これらの断章がやがて本編の異形のゲーム世界の生成の謎へとつながる。

我々も遠からず本書で描かれたような異形のゲーム世界に迷い込むのかもしれない。あまり歓迎したくない本書のようなゲーム世界の実在。それを現実のものとして考えざるをえないような、そんな未来が遠からず待っているように思えなくもない。Virtual Realityが当たり前のようになり、ゲームにも取り入れられつつある今の延長の近未来では、人はどのようにしてゲーム世界と現実世界を区別していくのだろうか。ゲームの世界から現実の世界に戻ったときの感覚が、本書の結末で書かれたようなものでない誰が言えるだろう。本書は著者なりのゲーム論、仮想現実論として捉えることも出来るかもしれない。

その意味で、本書はクリムゾンの迷宮で提示した世界観をはるかに凌駕したといえる。

‘2015/9/29-2015/10/2


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