著者の本を読むのは随分久しぶりだ。かつて著者のデビュー作である「翼ある闇」を読んで衝撃を受けた。読んですぐ弟に凄いから読んでみ、と薦めたことを思い出す。それなのになぜかその後、著者の作品からは遠ざかってしまっていた。「翼ある闇」のあまりに衝撃的な展開に毒気を抜かれたのかもしれない。

多分、著者の作品を読むのはそれ以来だから20年振りだろうか。本書で著者は日本推理作家協会賞を授かっている。江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞の受賞作を欠かさず読むようにしている私にとっては本書を読むのが遅すぎた。というよりも著者の作品に戻ってくるのが遅すぎたといっても過言ではない。本書は20年前の衝撃を思い出させる内容だったから。

ノックスの探偵小説十戒は、ミステリー好きにとってお馴染みの格言だ。本書はその十戒に抵触しかねないぎりぎりの域を守りつつ、見事な大団円で小説世界を閉じている。横溝正史の作品のようなムラ社会の日本を思わせる世界観に沿いつつも、現代ミステリーとして成立させる技は並大抵のものではない。

もちろん、本書の構成を実現するにあたっては力業も使っている。つまりは牽強付会というか無理やりな設定だ。私もなんとなく違和感を覚えた。だがそれは、本書で著者が仕掛けた大きなミスディレクションによるためだ。たいていの読者はその点を気にせず読み進められる。そして読み進んでいき、著者が開陳する真相に驚愕するだろう。私自身、違和感は感じたとはいえ、まさかの真相にやられたっと思ったのだから。その驚きはまさに「翼ある闇」を読んだ時の体験そのもの。

さて、これ以上本書の真相を仄めかすようなことは書かないでおく。書くとすれば、本書で著者が作り上げる世界観についてだ。上に横溝正史的な世界観に沿いつつと書いた。本書で著者は横溝正史が傑作の数々の舞台とした世界観の再現に成功している。しかし一方で、そういった世界観が今の時流に逆らっていることを著者が自覚しているからこその描写も登場する。それは作中の展開上、仕方のないことだったとしても。今や建て売りの2×4や画一化された間取りのマンションに日本人は住む。そのような住まいはトリックの舞台として相応しくない。もう底が割れてしまっている。あまりにも機能的でむやみに開放的な今の住居の間取りは、我が国からお化けや幽霊、妖怪だけでなく、ミステリーの舞台をも奪い去った。

本書はあえてその課題に挑戦した一作だ。著者が挑んだその偉業には敬意を表したい。敬意を表するのだが、私の感想はもう一つ別にある。それは、本書以降、現代を舞台として横溝正史的な世界観のミステリーを書き上げることは無理ということだ。本書は、著者の力量があってこそ成り立った。そもそも他の作家であれば本書のような道具立ては採らないのではないだろうか。著者がいくら筆達者であっても、もはや読者の知識がついていけなくなっている。そう思う。鴨居や床の間、欄間や雨戸。それらを知る読者はこれからも減っていくに違いない。

そういった意味でも本書は、古い日本を世界観に採ったミステリーとしては最後の傑作ではないだろうか。

‘2016/05/04-2016/05/04


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