本書の巻末には瀬名秀明氏による解説が付されている。残念ながら私にはそれに勝る水準のレビューは書けそうにない。その解説に全ては書かれている。だが、及ばぬことは分かっていても書きたいのがレビュー。二番煎じを承知で書いてみたいと思う。

本書は、日常に潜む恐怖を描いた小説だ。なので、しょせんは作り事だ。いくら感じても、どれだけ心動かされても、読者はどこかひとごととして物語を読む。

そこには、どこかしら油断がある。作り話とたかをくくり、自分には降りかからないという油断が。小説とは日常と異なる日常の描かれる場。とはいえその日常は、決して自分に降りかかるはずのない作り話の出来事。のはず。

だから、本書のようなリアリティーに満ちた小説を前にすると、不安に苛まれる。こんなはずではなかった、と。本書のリアルとは、誰かが生きた過去のリアルではなく、自分に迫ることもありえる未来のリアルだ。読者は自分の未来を本書の中に見る。それが読者を不安に陥れる。

本書で起こる疫病の蔓延は、人類の歴史に起きた悲劇をなぞっている。ペスト、天然痘、スペイン風邪、AIDS、エボラ出血熱、SARS。歴史に刻まれたパンデミックであり、誰かの生涯を悲嘆に暮れさせたリアル。だが、それらは医療が未開だったころの災厄だ。通常ならば、こういった疫病がわれわれを襲う物語に作り話感は拭えない。

人類の未来に起こりうるリアルとは、そのような疾病ではないように思える。では、どういう疾病なら、未来のリアルとして受け止められるか。それは、新型インフルエンザ、MRSA、未知の感染症である。医学を嘲笑うかのように着々と抗生物質への耐性を身にまとい、牙を研ぐウイルスたち。ある日、油断したわれわれを一斉に襲い、猖獗を極める。そんなリアルであれば、未来に待っているような気がする。

本書に登場するのは日本脳炎だ。私も子供の頃、予防接種を受けさせられた。しかも、この疾病の名前には日本が付く。ということは、日本にまだ潜んでいておかしくないのだ。かつてこの国で幾人もの患者を死に追いやった病。過去のリアルとして、この設定は十分説得力を持っている。では未来のリアルはなんだろうか。それは、日本脳炎がほぼ根絶されたという油断にある。つまり、警戒態勢が解かれ、弛緩している現状をついて、再び日本脳炎が猖獗を極めるところにある。

いま、仮に大流行したとすればどうなるだろう。接種されてない人にはもちろん、新種のウィルスであれば接種済みの人にも甚大な被害が及ぶ可能性は高い。

週刊誌の下世話な煽り記事に過剰反応することは禁物。それは確かだ。でも、気温の上昇気配は皆が等しく実感しているはずだ。南方でもらってくる病気だったはずのマラリアが日本で猛威を奮う日はすぐそこに来ているように思える。では日本脳炎はどうか。マラリアだけでなく、日本脳炎にその可能性はないのか。その不気味な切迫感は、首都圏直下型地震や東南海地震の切迫感に匹敵するかもしれない。これが、著者が取り上げた日本脳炎というリアルだ。

一方、著者が描く埼玉県昭川市はどうか。本書巻頭に地図が掲載されている。昭川市の地図だ。これがまた、絶妙にリアルなのだ。関東以外の方にはわかりにくいと思われるが、昭川市という自治体はない。しかし、地図にのっている鉄道はには至池袋や至国分寺という記載がある。これは西武線を指しているに違いない。線路の組み合わせ的には本書の舞台は所沢あたりを指しているように思える。また、昭川市という名からは東京都昭島市や旧秋川市を連想させる。現実の自治体やそこの住民には迷惑を掛けずに、本書の舞台設定はぎりぎりまでリアルな地理を志向している。

著者は作家になる前は公務員だったという。つまり公務員の仕事への熱量を熟知しているはずだ。公務員だから仕事は適当、というステレオタイプな考えが当てはまらないのは当然だ。自分から決して仕事は作りに行かないかもしれないが、受け持った職掌に含まれる仕事はおろそかにしない。公務員に特有の温度感が、本書ではうまく書かれている。

ここで下手に昭川市の職員をヒロイックに書いてしまうと、途端に物語からリアルさが失われる。著者は本書で読者を突き放したかのように書く。メリハリの聞いた展開よりは実直な展開を。本書の筆致で長編を書き上げるのは至難の技ではないかと思う。だが、一読してドラマ性をあえて放棄したかにみえる本書の文体こそが、本書にリアルさを与えている。

ただ、それだからこそ一点だけ不満がある。ここまでリアルを追求した本書だからこそ、プロローグや動機で登場した某国を持ち出す必要はなかったのではないか。それが唯一本書からリアルさを失わせ、作り物めいた感じになっているように思う。ウィルスは自然に発生にしたほうが、偶然であったとしてもリアルさが担保できていたように思うのだ。

‘2016/06/26-2016/06/26


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