最近はさほどでもないけれど、以前はよく落語の台本集を読んでいた。ところが、私いわゆる寄席での落語体験はまだだったりする。体育館やホールなどでは何度か聞いたこともあるし、真打の方と年賀状のやりとりもあったりする。なのに。

なんだかよくわからない私の落語体験だが、そうなったのも、落語の面白さが分かりかけた頃に、関西から東京に出てしまったこともあるのではないかと思っている。

結婚やら仕事やらで落語どころではなかったこともあるけれど、江戸弁での落語に違和感を感じたことも、寄席に足がなかなか向かなかった理由ではないかと思う。東京に住んでいてもテレビでは関西弁を操る芸人が幅を利かせているため違和感がないけれど、落語の高座は江戸弁が現役である。そのことに無意識に拒否反応を示していたからではないかと勝手に思っている。

もったいない話である。

そうしている間に、昨年暮れに著者がなくなるという報を受ける・・・実は私、談志師匠はテレビでもろくろくお目にかかった記憶がない。もともとテレビを見ない人なので、ブラウン管越しですらご縁がなかった・・・それではあまりにもということで、本書を手に取った次第。

本書は噺家の高座を熱心に撮り続けた田島謹之助氏による2000枚ともいう写真の中でも落語の黄金期ともいうべき昭和20~30年代の噺家の肖像をもとに著者が評論していくもの。

私でも名前と顔の一致する人もいれば、初めて見る方もいる。これら噺家に対して後輩芸人であるはずの談志師匠がずばずばと批評していく様は風雲児の本領ここにありといったところ。

でも、悪口をいいつつも、写真の身振りだけで高座にかけている噺の見当をつけるなど、著者が落語という芸にとことん惚れ込んでいることがよくわかる。そのあたりの愛憎入り混じった人格こそが著者の著者たる所以だったろうと勝手に分かったつもりになっている私。

なお、中ほどには人形町末広亭の在りし日の写真とともに、著者による手書きの間取り図もあったりする。人形町に一年半通勤し、あの街が好きな私にも嬉しい情報であった。

著者のまな板でさばかれているのは東京の落語家だけであり、上方の落語家は一人も載っていない。それはそれで仕方がないけれど、そうなると上方落語の同様の本も読みたくなってくる。2008年の正月にワッハ上方に行って以来、関西弁の落語も長いこと聞いておらず、今度帰省した時には天満天神繁昌亭にでも足を運んでみようかと思わずにはいられなかった。

’12/1/22-’12/1/22


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