本屋大賞にノミネートされた本書。図書館の本屋大賞の関連本コーナーに置いてあった。
それで手に取った。
本書はまた、直木賞の候補作でもある。それも納得できるほど、本書は面白かった。

本書で重要なモチーフになっているのは『赤毛のアン』だ。あまりにも有名な作品として知らない人のほうが少ないだろう。
ところが、私は『赤毛のアン』を読んでいない。だから内容もよく知らない。おそらく、少女の成長を描いた作品なのだろう、という事しか。

本書にも少女の成長が描かれている。それも二人の。
本書の主人公はタイトルにもなっているダイアナだ。けれども、もう一人の少女彩子も主人公と言ってよいだろう。

彼女たちがお互いに惹かれあったのは九歳のころ。
ダイアナと読むが「大穴」と書く自分の名が嫌だったダイアナは、新学期の自己紹介の時間が嫌でたまらない。
母のティアラに金に染められた髪もあいまって、ダイアナの美しい容姿は人の目を惹く。
目立つのが嫌いなのに、目立ってしまう容姿。それは、ダイアナにとっては逆にいい迷惑でしかなかった。
自己紹介の後、その名前を早速からかわれたダイアナ。そんな彼女に助けを入れたのが、同じクラスの彩子。二人は親友となり、仲良く小学生の日々を過ごす。

本書は九歳の時の出会いから、二十二歳までの二人の日々を描く。
その年月は女性にとって起伏に富み、ドラマに満ちた日々であるはずだ。
たとえ日々が単調に思えたとしても、受験やテスト、部活動、入学卒業、進学、就職が続く。家族との日々とともに。
女性の場合、生理も始まる。そして体の変化も男の子より重大なはずだ。
そうした日々の中で、ダイアナと彩子は行き違いや勘違い、周囲の人々の関係に翻弄されながら、それぞれの人生を歩んでゆく。

本書は、少女の成長を描いている。
少女の成長にあたって、家族、中でも母親の存在が大きく描かれる。

ダイアナの母、ティアラはキャバクラに勤めている。
娘にDQNネームを名付け、金髪に飾り立てるなど、キテレツな個性の持ち主だ。
だが、一人できちんと娘を育て上げている。単なる思慮の足りない人物ではない事は、本書を読み進めると明らかとなる。
一方、彩子の母は絵に描いたような良妻賢母。娘の友達のダイアナにも優しく接し、お菓子やお茶を振る舞ってくれる。

ダイアナと彩子の母は対照的に描かれる。わかり易すぎるほどに。
そして、母がそのように分かり易く描かれていることは、対となる父の存在を浮き彫りにする。

本書の隠れたテーマは、娘にとっての父の存在の大切だ。
ダイアナは本書を通して父を探し続ける。父は誰なのか。かつて、母と父の間には何があったのか。
幼い頃に失踪したまま、父を知らずにティアラに育てられてきたダイアナは、彩子の父から本を勧められ、文学の素養を深めてゆく。
その関係は、小学校の高学年の時にダイアナと彩子の関係が引き裂かれる事件があっても変わらない。

だが、その事件があってからダイアナと彩子は疎遠になる。
同じ町内でありながら学校が別になると疎遠になる。よくある話だ。
二人の関係が不通と違うのは、そんな日々にあってもダイアナと彩子の両親の間には交流が続く事だ。

読んだことのない本を教えてくれる彩子の父。その存在は、ダイアナにとってみれば、父のいない寂しさを補ってくれる存在だった。

中学・高校と2人が成長するにつれ、接点のないまま、彩子は優等生を通す。そして名門大学に入学する。だが彩子は大学の新歓コンパの場で先輩の部員から半ばレイプに近い扱いを受け、そのままズルズルと自堕落な生活に堕ちてしまう。

変わってしまった娘の彩子を嘆く両親。それを補うかのように、薦めた本を素直に読み、吸収するダイアナ。

本書の展開は、親を探す、という表向きのテーマに沿って進む。
そして、その裏に流れるのは、人生にとっての教師の大切だ。

学校の先生を除けば、子供にとって誰が人生を導いてくれる存在になるのか。
普通は、親が子を導く。ダイアナにとっては、それが元親友の両親だったということだろう。

『秘密の森のダイアナ』と言う物語が、ダイアナの名に込められた秘密でもあり、本書を導くキーとなる。
そのタイトルからは、本のページをめくると広がる豊かな世界の可能性が感じられる。

本。それは言うまでもなく、人々にとって有益な学びの場である。
だからこそ、古くから古典の名作が語り継がれ、人々はそれを教師として人生を生きてきた。
私たちが読むべき本はあまりにも多い。
だが、今やあまりにも多い出版点数があだとなり、本から存在価値が急速に失われつつある。

その結果、私たちは読むべき本のほとんどを見逃し続けている。
私にとっては、本書に登場する『赤毛のアン』シリーズがそうだ。
森茉莉『枯葉の寝床』も本書に登場するが、私はまだ読んでいない。
向田邦子や安井かずみの名前も本書には登場するが、私はお二人の著した本をほぼ読んでいない。

私は普段から、読むべき本の多さに焦りを募らせている。
本書を読んだ事で、その思いが一層募った。

私の人生は今まで読んできた本によって導かれてきたと言っても良い。

その一方で、今の子供たちはインターネットという便利なものがある。
インターネットは便利だが、断片的なつぶやきやブログがバラバラの時間軸の中で好き勝手に展開する場に堕している。
便利だが混沌とした場。今の子供たちはそんなインターネットに絡めとられてしまっているようだ。

一方の小説は、作者によってきちんと秩序立てられた世界観の中で展開する。作者の意志に沿って時間軸が編まれている。だから、小説や物語は読者の脳内に整理され、人生の糧として吸収されやすい。

本にはそうした長所が多くある。
だが、あまりにもないがしろにされている。そう思うのは私だけだろうか。

本書のタイトルに”本屋”を含めた著者の意図もそこにあると思う。
本屋の中に詰め込まれた豊かな知識。本書はそのことを思い出ださせてくれる。

‘2019/02/01-2019/02/02


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